第19話 人々の寄る辺

 俺たちは今日も大都市にやってきていた。

 大通りを歩く。周囲は幸福そうな人間どもで溢れかえっていた。大人も子供も。男も女も。客も店も。誰も彼もが。

 露店の前で立ち止まる。売られていた新聞にはすでにリヴァイアサンの文字はなく、この街は平和そのものだった。

 こんなこと、あってはならない。まだまだ知らしめなくてはならない。この世界の本当の姿を。

 その前に知ることにした。この街の情景を。飲み込んでしまう前に。原初の地獄に還す前に。我らの怒りに焚べるために。


 ヴィエラ共和国の国境を通過した俺たちはそのまま東へと進み、隣国であるミルドラ王国を横断。王都を含む道中の全ての都市を飲み込んでいき、さらに隣のイウサール連邦、ではなく転進して北上。アヴェレイ王国をそのまま通り過ぎてクレーネ共和国に到達していた。

 進路があからさまでは世界の人々は恐怖しない。対岸の火事だと思い、地獄へと突き落とされる人々をただ眺めるだけの存在へと人間を変えることは我らの望みではない。そこで少しの間だけ活動を中断してこの国の中央に位置する都市、アブサスへとやってきた。

 ミルドラ王国が崩壊したことで周辺諸国は危機感を十分に持ったようだったが、少し離れればこの有様だ。災害がいつ来るかは怖いが、今日ではないだろう。ここには来ないかもしれないし、来そうになってもその頃にはなんとかなるだろう。もう数ヶ月もの間、事件は起きていないのだからもしかしたら既にリヴァイアサンなんてものはいなくなったのかもしれない。そもそもそんなものは実在したのだろうか。何かの陰謀ではないか。そんな誤謬の安堵が街に蔓延していることが肌で分かった。


 一国を原初の姿へと戻した程度では人々の意識は変わらないらしい。それぐらいのことは初めから分かっていた。所詮は愚か者どもの集まりだ。失望などありはしない。

 だが怒りはある。身体の底の底で煮えたぎる怒り。これこそが我らに必要な動力源なのだ。この凄惨で馬鹿げている現実を見ることで、我らは我らたり得るのだ。


「店主。この新聞を1つくれ」


 露店から新聞を1冊購入。すでに一面ではなくなったリヴァイアサンの話題を振る。


「ミルドラ王国が実質的に崩壊したそうだが」


 店主は気怠げに答えた。


「あー、それか。リヴァイアサンだっけ? 大仰な名前がついてるが、本当なんだかね。実際は内乱でもしてたんじゃないか?」


 そうか、とだけ答えて俺たちはその場を立ち去った。

 まだだ、まだ足りない。まだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだまだ──足りない。

 怒りが俺たちの意識を沸騰させる。今すぐにでもこの都市の衆愚に真実を叩きつけるべきだと、憤怒そのものが肉体から溢れ出しそうになる。

 だが、まだ足りない。数ヶ月もの間、何もせずにいたのは人間どもの状態を観察するためだ。

 今はまだそれを続けるとしよう。


「リヴァイアサン? なんだっけね、それ」「ミルドラ王国が崩壊したってのは本当だったのか、物騒だな」「あれはきっとイウサール連邦の陰謀なんじゃないか? 最近、仲悪かったからな」「リヴァイアサンなんていってるが、天災か何かなんじゃないか? 嵐とかさ」


 人々の反応は多様に見えて実質的には同質だった。誰も彼もが世界が崩壊し得るなどということを本当には信じてはいなかった。

 いや、心の奥底では信じたくないのだろう。自らの安全。よって立つものの基盤が揺らぐことによる恐怖が受け入れがたいのだろう。

 しかし我らはそれを受け入れさせねばならない。その安堵を獲得するために犠牲となっている人々がいるがために。


 大通りを出て路地裏へと入る。陽光は遮られ陰が通りを形作る。風に乗って腐臭が漂う。どこの路地裏も似たようなものだ。ここには掃き捨てられたモノが溜まっている。

 人々が見ようとしない真実。その一端がここにはある。金がなくて食うことさえできない老人。親に見捨てられた孤児たち。社会から弾き出された違法商売人と、それに縋るしかない弱き者たち。

 表にいる連中は彼らを排斥しようと躍起になっている。

 しかし、それは間違っている。ここに溜まらざるを得ない彼らは生まれ落ちて然るべき、必然的存在なのだ。社会という歯車に合わなかった部品。摩擦に耐えきれず崩れ落ちた欠片。初めから無意味に製造されたモノ。それが彼らの本質だ。

 彼らがどこから来たのか、表で栄光を歩む者どもは知っているのだろうか。自分たちの輝きによって生まれ落ちた影こそが彼らなのだと。

 根を絶たねばならないのだ。彼らが生まれ落ちる源を。それが自分たちの足元なのだと、奴らは理解していない。


「お兄さん」


 孤児の1人が俺たちに声をかけてきた。翡翠色の瞳はこの地方では珍しいものだ。恐らく外からやってきた人間によって作られ、捨てられたのだろう。やせ細った両手で器を形作っている。


「お恵みをください」


 恵み。器。この子供はそう俺たちに伝えてきた。

 そう、器だ。我らは魂の器を嘆きで満たさなくてはならない。この子供らの嘆きを、この場にいる存在たちの嘆きを、我ら自身を器にすることによって!


「待っていろ。今すぐお前たちの嘆きをすくい上げてみせよう」


 俺たちは走り出した。もはや一刻の猶予もない。

 今こそ再び、リヴァイアサンの咆哮を轟かせるときだ。

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