第7話 理由

 気がつくと、時間が日付を跨いでいた。


 寝台の上で壁に背を預けたまま、目線を下ろしていく。部屋が崩壊していた。本棚は横倒しになっている。床には何冊もの本が散乱。机の上のものは周囲に飛び散っていた。寝台のシーツさえ、引きちぎられている。

 酷いありさまなのは部屋だけではなく、俺の身体も同じだった。頭は鉛のように重いし、泣きはらした目が痛む。さんざん打ち付けた腕は赤く腫れ上がっていて、額から流れた血が顔に痕を残している。

 まるで誰かと格闘したみたいになっているが、俺は誰とも殴り合いはしていない。


 あの後、俺は半狂乱となって自分の部屋で大暴れした。本棚を自分で引き倒し、机の上のものを薙ぎ払い、慟哭をあげながら床を何度も腕で打ちつけた。腕の感覚がなくなってくると、今度は頭を打ちつけた。


 冷静な頭で振り返ってみても、何故暴れたのか、自分でもよく分からなかった。恐らくは怜司と桜が原因なのだろう、と俺の頭は予想した。赤くなった彼女を見たとき、俺は彼女もまた怜司にまつわる“登場人物”なのだと感じてしまった。普段、かんざしをつけていない女が、たまたま自分がかんざしのつけ方を覚えた直後につけて現れるなんて、偶然にしてもできすぎてる。そう思った瞬間、俺はなにもかもがどうでもよくなってしまった。


 この考えが明らかに間違いなのは、自分でも分かっている。ここは現実で、物語の中じゃない。そんなことは分かっていたが、それでも怜司に対してだけはそう思うことしかできなかった。

 間違いだと分かっているのに、その考えを変えることができない。きっと俺は、どこか壊れてしまっているのだろう。なにか、自分や人生に対する認識のなにかが壊れている。だが、もう自分ではどうすることもできなかった。俺はもう、疲れ果てていた。


 こんなことなら、あのとき怜司のお節介がないほうが良かった、とさえ思う。それならまだ、遠くから見ているというだけでなんとかなったかもしれない。中途半端に桜と接近しているのが良くなかった。


 冷え切った頭が、さらに思考を遡らせていく。そもそもどうして俺はこんな世界に来てしまったのだろうか。一体どうして、怜司という最悪な形の人間が目の前に現れ、桜という女性と出会い、こんな状況に陥っているのだろうか。何故、俺は生まれて、生きて、ここでこうしているのだろうか。いったいなんのために。

 なにかの罰としか思えなかった。両親に従わなかったせいなのか。それとも、両親の期待どおりにできなかったせいなのか。俺が無能なせいなのか。いったいどこからが俺のせいで、どこからが俺のせいではないのだろうか。


 俺は、自分自身に起こったすべての物事の原因を探していた。この苦痛の、理由と意味を探していた。それさえ見つかれば、まだ耐えられるかもしれない。だが、見つからなかった。俺の苦痛の原因をなすりつけられるようなものは、なにひとつとしてなかったのだ。あるとすれば、それは俺自身以外にはなかった。

 それでも俺は、自分が悪いのだと思うことに疲れてしまっていた。立ち上がるだけの気力が、俺にはもうなかった。


 どこかに理由はないのか。この苦しみの理由。この痛みがなくなるのならば、喜んで胸を引き裂いて心臓を抉り出そう。そう思ったところで理由はなく苦しみから逃れる術はない。


 俺の脳裏にただ1つの言葉が浮かぶ──何故、と。


 重力に従うままに首を倒す。視界の端で月明かりを反射して光り輝くものがあった。希望のように輝くそれは、机に突き刺さったナイフだった。

 汚れひとつない刀身が、鏡のように俺の顔を映し出していた。そこには、見たことのない顔があった。


 二つの漆黒の穴が、俺を覗き込んでいた。

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