~幕間~ ひかれたきっかけは?

【俺でいい 私じゃねえ あたしじゃねえ それでいい

 能天気 元少年院 なんでもいい それでいい

 心折れていい 俺でさえあればいい

 そんな俺でいい それでいい


 ──LFD/俺でいい】



「お前さあ、どんなラッパーが好きなの?」

 学校の屋上に二人の少女。青い空の下、晴天に向き合って寝転がった赤い髪の少女が、もう一人の少女にぼそりと語り掛ける。

「あたし?」

 視線を空に定めたまま、もう一人の少女――蒼穹よりも深い青のインナーカラーを携えた少女は、透明な声でそう答えた。

「うん。で?」

「え、あたし」

「いやだからそうだっつってんだろ」

「ん? だから、あたしだよ?」

「はあ?」

「はあ。」

 二人の少女はお互いにゴロンと体を回転させて、怪訝そうな顔つきで向かい合う。

 数秒後。

「……あ~、なんとなくわかったわ。お前自分大好き人間だったな。そういや」

「う~ん……。そうかもね」

「そうだよ、ボケ。で、そういうことじゃねんだよ。自分以外で好きなラッパーいねえの?」

「ふっ、そりゃいるよ。そうじゃなきゃハマんなくない、ラップ?」

「なんでうちを小馬鹿にした感じなんだよテメエ。いちいちムカつくな……!」

「え、してないよ? 仁王こわ」

「はいはいそうかよ……。で、誰なんだ?」

「だれでしょう」

「いやしらねえよ」

「残念、仁王さんチャレンジ失敗。100万円獲得ならず~」

「お前のラッパーの趣味ごときでそんな大金が動くと思ってんならマジで義務教育からやり直したほうがいいぞ」

「ふっ、仁王が義務教育とか言っている今のシーン、動画とってたらさ、100円くらいの価値、ありそうw」

「どういう意味だよ!」

「とくに意味はないです」

「じゃあ意味のあることきかせてくんねーかな、いい加減」

「え~」

「好きなラッパーは?」

「あたs」

「あたし以外で」

「え、仁王のことはべつにすきじゃないけど?」

「そういう意味じゃねえよ! 勝手にふるな。うちがいつお前の前で自分のことあたしつったよ?」

「いま?」

「そういうのもういらねんだわ。答えろはやく」

「……あー、そんなに気になる?」

 前髪をひょひょいといじりながら、少女はもう一人の少女に目だけで視線を送る。

 赤い髪の少女はそれに気づかないまま、天に向かってつぶやいた。

「気になるだろ。友達が何を好きなのかとかさ、ふつー」

「え、あ~、そっか……。」

 少女はそう言うと、青い髪をわさわさと触って、コロンと寝返りを打った。

「……ぁーぃー」

 ぼそりと小さな声。

 対するは無駄に大きな声。

「あん?」

「──AIR-Z(えあーじー)! わかる?」

 意を決したかのように、少女はだれにも知られないところで顔を赤らめて、珍しく張り上げた声でそう言った。

 これまで誰にも言ったことのなかった彼女の原点。彼女にとって替えの利かない、唯一無二の、ラッパー。

 AIR-Z、その名が特別な意味を持つのは、きっと彼女にとってだけでなく――。当時、多くの人を熱狂させた。実力も名声もあった。故に、赤髪の少女も、その存在は確実に認知していた。なんなら、かつて憧れたことさえ、あったかもしれない。

 けれど、彼女はなぜか少し残念そうにぼやいた。

「そりゃお前、ヘッズならみんな知ってんだろ」

「そうなんだ。そっか……」

 少しうれしそうに、少女はクールな表情を崩す。

 が、そんなことも露知らず、もう一人の少女は太陽めがけてあっけらかんと。

「ま、うちは嫌いだけどな」

「は?」

「ディスってばっかで、中身がねえし、まだこれからってところで、蒸発するし。音源もほぼ出してねえ。本当にどこまでも空虚だ。うちは信念のねえ奴は嫌いなんだよ。……ほんっとーに、大嫌いだ」

 彼女の言うことは至極当然な批判だった。AIR-Z、そう名乗ったラッパーはシーンに颯爽と現れ、流星のように輝かしい奇跡を描いて、一瞬で消え去った。そんな男だった。世間の評価は、それを伝説として語り継ぐか、夢半ばで逃げ出した卑怯者と批判するかに二分されていた。いや、あるいは忘れ去られていることも、多いのかもしれない。

 そしてそんないわくつきのラッパーを好きだと言った少女は、思いのほか明るい声で赤髪の少女の発言を受け入れる。

「あはは、たしかに」

「なんだ、意外と認めるんだな……。好きなんだろ?」

「うん。でも、そう思ってたしなー、あたしも」

「はあ?」

「だってさ~、たまたまネットで動画見かけて、ハマって。あたしもって思って、練習して……。なのに、もうどこにいるかもわかんないってさ、ひどいじゃん? 知ったの、もう抜け出せなくなってからだし」

「きっかけがアイツだったてことか……」

「うん。衝撃だった。悪口言ってさ、みんなから褒められてるんだよ? そんなのさ、好きになっちゃうじゃん」

「ああ? それはよくわかんねえわ」

「……ばーか」

「なんだよ?」

 背中越しの罵倒に、赤髪の少女は思わず向き直る。

 すると向けられたままの細く小さな背中から、少し不安げな声が響いた。

「じゃ、仁王はだれなの?」

「まあお前のも聞いたし、言うのが道理か……。うちはバトルで言ったら断然LFDだな。渋いし、誇りを忘れねえ、憧れるぜ……」

 陶酔した声。心の底から好きであることがわかる、熱い声。

 それにひきつけられたのか、少女はくるんと体を転がして、赤い髪を視界に映し……、けれどいつも通りに。

「ふ~ん。……だれ?」

「てめ殺すぞ!!! 今から動画見してやるから百万回見ろコラ!! なんならCDもやるから五億回聴け!!! 難聴になるまで聴けタコ!!!特に名盤【俺でいい】は吐くまで聴け!!!!」

 激しく叫びながら、折れてしまいそうなほど細い肩をがっちりと両手でつかみ、ぐわんぐわんと揺する。

 それでもおすまし顔は崩さないまま、少女はされるがままに首を前後に揺られ、不思議そうに。

「てか、斑鳩(いるみなちゃん)じゃないんだね」

「いやそりゃお前ルミ姉はだって別枠だろ。あれだよもう好きというか愛なんだよ。師匠だし。ライク超えてラブというかもはやセックスまであるわ」

「え、韻韻うつってない? なんか」

「恐ろしいこと言うなよお前」

「ねえ、知ってる? マリオがぶっ壊してるハテナブロックってさ、クッパの魔法で姿をかえられちゃった生身の人間らしいよ」

「いや、だから恐ろしいこと言うなよ。二度とまともにゲームプレイできなくなるわ」

「いやっふ~」

「はっ、恐ろしいほど似てねえなあオイ」

「じゃあ仁王やってよ」

「誰がやるか」

「ノリわる」

「うるせーなぁ」

「仁王さんの、ちょっといいとこ、みてみたい。――芭蕉」

「松尾がそんな句詠むわけねえだろ。アホか」

「詠んでたら100円ね」

「はいはい。勝手にしろ」

 そう言って、彼女はもう一人の少女に背を向ける。

 すると、先ほど肩をゆすられた仕返しなのか、はたまた気まぐれなのか。

「いやっふ~」

 そう言いながら、つかみどころのない少女は抵抗する赤髪の少女に抱き着き、奇怪な動きで密着する。

「オイもうそれやめろ! てかなんで目隠しすんだよ!」

「い、い、いや、ぃやっふ~」

「やめろ!!! ばか!!!」

 晴天のもと、奇声と罵声が響き渡る。

 凰胤高校の屋上には安全用の落下防止フェンス以外、なにも。何人たりとも、二人を遮るものはなかった。


 そして。

 時間だけが二人の間を過ぎ去って。

 少女は赤みを帯び始めた空に呟いた。


「──あたし、絶対優勝するから。約束したからさ、せんせーと」

「はあ?」

「勝ったら、バトルしてくれるんだって」

「なんだそりゃ」

「だからそれまで負けられない。誰にも」

「たりめーだろ。お前倒すのはうちだかんな」

「……とうぜん、仁王にも」

「はん、そうこなくちゃなァ?もっかいバトるか?おい!」

「もち」

「しゃーきた!やんぞ!」

「うぃー」


 2人だけの世界で、音楽は鳴り止まない。

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