第三章 灯した狼煙

「というわけで、呼ばれて、夜這われてヨガりまくる! ども、韻韻です!」


 青空が段々とオレンジに変わりゆく放課後の屋上に、最低な韻と共にキンキンの萌え声が響き渡る。

 凰胤高校で未だかつて聞いたことのないマスコットキャラのような声が。

 その特徴的な声のする方に目を向けると、これまた特徴的な外見の少女がイカれた目つきをしながらダブルピースで立っていた。

 彼女こそ、小学生かと見紛う身長に、成人女性でもなかなか持ち合わせられないであろうボリュームの胸がアンバランスな、ピンク系美少女ラッパー。

「久しぶりだな、韻韻」

「おひさ~。センセー、マジで先生だったとはねぇ~」

 彼女はこれまた異彩を放つピンク色のツインテールをゆさゆさと揺らしながら、そう言った。

「それな。あたしもびっくりした」

「こんな社会不適合者面が教師やってるとか世も末だな!」

「お前ら……」

 教え子の二人に散々な評価をされ、げんなりする。そんなに言うなら俺に教えを請うなよ。

 ……と、そんな愚痴はさておき、なぜ他校生の韻韻がうちの校舎にやってきているかといえば。

 こないだの一件以来、天鬼と仁ヶ竹のバトル練習に付き合うのが日課となってしまい、今日もその流れで二人の指導をしていたのだが……。さすがに対戦相手がずっと同じというのもなあということで、二人の共通の知人らしい韻韻を呼び出したというわけだ。

 また、韻韻は韻韻で二人に伝えておきたいことがあったらしく、ちょうどいいタイミングだったらしい。

 彼女はあっけらかんとした態度で胸を張った。

「ま、こんな下ネタしか言えない韻韻がJKな時点でとっくに世も末なんだけど。わら。普通なら夜も更けてからしか言えないドスケベを朝昼にぶっちゃける快感ったらないんだよね~。うぇへへ、ぐげぇ」

「フォローしてくれてんのかと思ったらお前……。本当に最低だな」

 変態めいたことを言いながらあまりにだらしない顔をして笑うので、思わずストレートに刺してしまった。

 そしてそんな俺の内心よりも柔らかく、けれどぶしつけに、清水のような少女は汚水のような少女に水を差す。

「――で、なにしにきたの。韻韻?」

 天鬼はいつもと同じ無表情でそう言った。

 彼女からすれば俺がドン引きしてしまうような韻韻の発言も、もう慣れっこなのかもしれない。

「ええ?! ざくろんに呼ばれたんだけどな……」

「……あ、そうだったか。おぼえてないわ」

「……おまえ、そういうとこあるよな」

 戸惑う韻韻に、ピンと来ていない天鬼。それを見た仁ヶ竹が「わかるぞ、韻韻」という風に頷いていた。

 韻韻も仁ヶ竹も一般人からすればだいぶ常軌を逸したタイプの人材ではあるが、ほんまもんの天然を前にして翻弄されているらしい。

 しかし、呼び出したらしき当の本人はなにをするでもなく、ぼけーっとした顔で空を眺めている。これは別に忘れたことを思い出そうとしているのではなく、おそらく「青空」で踏める「あおおあ」の韻かなにかを脳内で考えている顔だ。

 こいつのことをラップサイコパス認定する日も近いかもしれん。

 その場につどった四人中三人が天鬼をしばしにらみつけていたが、彼女は全く動じずに呆け続ける。

 仕方がないので、その三人中二人が、韻韻へと視線を移した。

 すると、観念したのか韻韻はなぜか官能的に「はぁん」とため息をつき、

「ええと、気を取り直して、ずぷん」

「なんだよずぷんて」

 わけのわからない発言に、しっかりと突っ込む真面目な仁ヶ竹。こいつがいると変人連中のツッコミを任せられるから楽で助かる。

「挿入音的な? てきなてきな手コキ?」

「はあ?」

 怪訝そうな顔をする仁ヶ竹だったが、そこにようやく俺たちのいる世界に戻ってきた天鬼がのたまった。

「……韻韻の言うことにいちいちつっこんでたら、話すすまないからさ。だまろ、仁王?」

「なんでうちが悪いみてえになってんだよ! つーかてめえが言うなてめえが!」

「声、でか……。」

 完全なる正論を吐いているのにまるで報われない仁ヶ竹が不憫になってくる。

 思わず口をはさんでしまった。

「まあ真面目な人間ていうのは常に損をするもんだ。お互い頑張ろうな、仁ヶ竹」

「ああ?! お前と一緒にすんな! 励ますな! 不真面目の代表格みてえな面しやがって! 死ね!」

「えぇ……。いや、あんまり死ねとか言っちゃだめだぞ~……」

 元々あたり強いタイプだけどなんか俺にだけ異様にあたり強くない、仁ヶ竹……?




「今度さ、【GMB】がご開帳されるんだよね~! で、みんなパコらない? ってお話です。いぇいぇえ!」

 気を取り直したという韻韻の口から出た言葉は、やはり下ネタだった。

「ふむふむ。つまり?」

 理解しきった――みたいなすまし顔で疑問を口にする天鬼。

「うーん、最強の女性MCを決めるバトルの大会、【GIRLS MC BATTLE】が再来月に開催されるから、みんなも参加しよって感じ? なんか二人はSNS垢ないから友達っぽいし韻韻出演交渉しといて~ってこないだ主催者に言われたんだよね。あとほかにもなんかよさげな子いたら声かけて~って」

「いや、最初からそう言えよ」

 至極まともな仁ヶ竹のツッコミ。やはりこの場にいるまともな女はこの子だけらしい。

 ちなみに天鬼は「最強、バトル、大会……。最高、倒す、毎回……」とぼそぼそつぶやいていて、キモい。

「韻韻は前戯を大事にするタイプなのです。あん。にがちゃんとはちがってね~」

「人前で喘ぐな」

「じゃ校舎裏にイってきます! うおおお!」

「で、どうしたらでれるの。それ」

 突如咆哮して気持ちの悪い動きで前後に振動する、という韻韻の奇行にも一切動じずに天鬼が問いかける。

 するとピンクツインテールの揺れが止まり、間の抜けたアニメ声が。

「へ? 出てくれるの?」

「当たり前じゃん」「当然だろうが!」

 外見も性格も何もかも対照的な二人が、間髪入れず口を揃えて叫んだ。

 そして各々に意気揚々と、復讐の炎を燃やす。

「コスプレおばさんにリベンジ出来そうだし。どうせ出るでしょ、あの目立ちたがり」

「ふん! うちはてめえを公衆の面前でぶっ殺してやるよ! クソッタレが!」

「あは。今日も負けたくせに。ウケるw」

「ああ???! うるせーな! 大会では……っつーか次やったら絶対うちが勝つかんな!」

「それはない。あたし強いし」

 天鬼は以前俺が初めて彼女に会った際にしていたバトルの相手である雪音娜に。

 仁ヶ竹は練習の度に負け越している天鬼に。

 それぞれの想いを胸に、二人の目は未来と――そしてお互いを見据えていた。

 韻韻はそんな好敵手同士めいたやり取りを見て、にへへと笑みをこぼした。

「そっか~。じゃあ、出ちゃう? 出しちゃう? 韻韻といっしょに、イっちゃう?」

「とーぜん」「たりめーだ!」

 またしても即答。バトルへの熱意以外、全てが真逆。けれどそこに関してだけは、お互いにきっと同じだけの熱量が渦巻いていた。青と赤、二つの炎はお互いに激しく火花を散らし、より大きな火炎へと膨らんでいく。

 そして口元のにやつきが止まらないもう一人の少女もまた、内に秘めた暴発寸前の欲望を隠し切れず、楽し気な声を上げる。


「おっけー! ではではお二人様、【GMB】へ~、ごあんな~い! えへへー!」



 夕暮れと青空が溶け始めた頃。同じくして若者の迸る闘志が交じり合っていた。

 俺はそれをとおいとおい彼方に浮かぶあの欠けた月のように俯瞰している。

 彼女たちに照らされて、影響を受けているのか。あるいは……。

 わからない。

 ただ、もうすぐで完全な夕暮れ、逢魔時がやってくる。そんな時分に決起した彼女らは、近々行われるという大会でどんな成績を残すのだろう。どんな言葉を、音楽を、ヒップホップを――紡ぐのだろう。


 気づかぬ内に、俺はどうやらそんなことを空想していたらしい。

 口元に妙な違和感があると思い、ふと前をむく。珍しく教え子がいたずらっぽい笑みでこっちを見ていた。その綺麗な唇が開く。

「どうしたの。にやにやして」

 そんな声に、返す言葉もない。今が夕焼けに染まっていてよかった。

 ただ空の色が変わっていくのを、まるでさっきまでの彼女のようにぼうっと眺めていた。





「夕飯。おごってよ」

 ある日の練習終わり、天鬼は突然にそんなことを言い出した。

 夏だからまだ明るいが、たしかに年頃の生徒たちにとってはお腹がすいてくるお時間かもしれない。

 かあかあと鳴くカラスの声も、心なしか空腹を訴えかけているような気がしてしまう。

 そこにいる仁ヶ竹などは、さっき「くぎゅるうう」とかわいらしくお腹を鳴らしていたくらいだ。ただでさえ赤髪によって赤っぽく見える頭部が、それによってさらに真っ赤に染まったのは言うまでもない。ついでにいうと、「何聞いてんだよてめえ!」と何もしていないのになぜか俺が怒られたのも言うまでもない。「何見てんだよ」ならぬ「何聞いてんだよ」。新たな脅し文句の誕生に、恐怖を覚えた。

 そんなクソどうでもいいことを思い出しながら、冷えた心で言う。

「やだよ」

 生徒の誘いを普通に断った。いやだってなんで本来ならしなくていい労働をした上に、それをさせている当のご本人様にお夕飯様を献上しなくてはいけないのか。むしろ労働の対価として彼女達が俺におごるのが筋だろう。まあ生徒に飯をたかる教師など、筋が通ってるもなにもあったものではないが。

「じゃあバトルして」

「ダメだ」

 そういうプログラムが組まれてるのかな?ってくらい天鬼がすぐに言うセリフ「バトルして」。

 そのせいで俺も拒絶の言葉が反射の域で出るようになってしまった。人としてどうなのだろう。教師としてどうなのだろう。ポジティブな全肯定人間が優れた人間だとしたら、自分はその真逆の全否定ゴミカス人間だ。

 不登校の生徒を更生させた分、俺の人間力はさがっているらしい。妙なところでも相対性理論というか質量保存の法則的なものは働いてくれてしまうみたいだ。

 なんてことを考えてるうちに、天鬼は自由気ままに話をすすめてしまう。

「おごりね、じゃあ。……あー、仁王もいく?」

 どっちでもいいけど……みたいな失礼ニュアンスが果てしなく漂ってくるお誘いに、赤髪少女はまたしても赤くなった。親の仇のように俺を指差して。

「てめえ喧嘩売ってんのか?! この野郎とうちが仲良くごはんなんか食べるわけねえだろうが!」

「……おごりなのに?」

「敵から施しなんか受けてたまるかってんだ!」

「え、てきぃ? つまりはエネミー?」

「おうおうそうだよこの教師はうちの敵だかんな! つーかてめえもうちのライバルだし! 要するにこの場にいるやつ全員敵なんだよ! 覚えとけ!!」

「それはすごい。常在戦場ってやつだ」

「うーん? なんか違う気がするがまあそういうことだ! よーするにてめえとは意識がちげえんだ、意識が! わかったら尊敬しろ電波!」

「あー。5Gってすごいらしいね」 

 うーん、なんかもういろいろ噛み合ってないな……。

「チッ……。」

 仁ヶ竹もこの不思議ちゃんの相手が疲れたのか、舌打ちをして大きくため息をついた。常にいかりきってやまない彼女の肩も、マイペース天鬼に毒されて、いよいよ下がる……。

 ややあって、ドンキで売ってそうな愛用のカバンを乱雑に手に取りながら言い放った。

「とにかくうちは帰るぞ! じゃあなZAKURO! 明日こそはうちが勝ち越す!」

「おー。またあした」

 その気のない言葉に片手をあげて応じると、つかつかと、意外にもかわいらしいキャラものサンダルをつっかけながら、仁ヶ竹は去っていった。


 その背中を見ながら、ふとここ一か月程度の奇妙な時間を振り返る。

 何事にも動じない天然な天鬼に反し、仁ヶ竹がやたらとやかましく突っかかる。そのやり取りにもいい加減慣れてきた。

 けれど、仁ヶ竹は飽きることなくどこまでも真摯に天鬼へ向き合ってくれる。負けまくっても、すかされても。

 普通なら「なんだこいつ」とか「やってられるか」と関わるのをやめたり、逆にいびったりしそうなものなのに。というか、事実天鬼はこれまでそれをされてきたのだろう。彼女を見ていると、なんとなくそんな気がする。ただ、それでも周りに合わせるより、自分であることを選んだ。それがあっての今の彼女なんだろう。そんな彼女に、ヒップホップを感じる。

 そしてそんな天鬼へ同じように、一切態度を変えずに彼女へとぶつかり続ける仁ヶ竹にも――。


 小さくなっていく赤色を眺めながらどこか憧憬にも似た何かと担任としての感謝を抱いていると、人の心などつゆ知らず、無垢な少女がくるりとこちらを振り返った。

「で、なに食べよっか? あたしのおすすめは、お好み焼き」

「俺、お前とちがってこのあと仕事あんだけど」

 書類仕事がまだ残っているのだ。

 正直こいつと飯を食べること自体はそんなに嫌ではなかったが、そのせいで彼女を待たせてしまうのは嫌だった。俺にとってはただの労働時間でも、彼女にとっては貴重な青春のひと時なのだから。

「まってあげるから、いこ?」

 けれどそんな青春真っ只中の彼女がこうまでして誘う。なら、その想いに応えないのも失礼なのかもしれない。

 それに今はこう言っているが、案外途中で飽きて帰ったりしてそうだし。猫みたいに。

 なら、とりあえず今はうなずいておいて、後のことはその時考えればいい。仁ヶ竹が常在戦場なら、俺は臨機応変でいこう。

「……わかったよ。そこまでしてこんなおじさんとごはんが食べたいかね」

「今日親いないからさ。夕飯代くれたけど、浮かせたら、おこづかいだなって」

「お前……正直者だな。バトルでもそうすればいいのに」

 こずるさと明け透けさが共存する彼女の面白さに子供らしさを感じて、少し微笑んでしまう。

 けれどそれで気まで緩んだのか、後ろに余計な言葉をつけ足してしまった。アドバイス……の体を取った、ただのぼやきを。

 なんとも、まったくなんともはや。

 俺もまだまだ子供だなと、言い終えた後で、少し、自戒――。

 なのに。

「あたしはいつも正直だけど。嘘とか、きらいだからさ」

 そう語る少女の目は、いつもより少しだけ大人っぽく見えた。




 一仕事終えて待ち合わせ場所の学校近くの公園に向かうと、天鬼は一人でブランコを漕いでいた。

 夜空の下、外灯に照らされて宙を舞う少女の姿は、どこか幻想的で、なんだか映画のワンシーンのよう。

 彼女は俺を見つけると、しゅたっとブランコを飛び降りて、だだだと駆け寄ってきた。

 俺が来るまでなにか聞いていたのか、ピアスの目立つ白い耳からイヤホンを外しながら。

「……やっときたか。おこだわ、あたし」

 外したばかりのワイヤレスイヤホンを俺に突き付けて、いつも通りの無表情。

「悪いな。これでもだいぶ早く帰れてる方なんだが」

「労働はやだねぇ。せんせーはなんでラッパーにならなかったの? うまいのに」

「なんでって……そう簡単になれるもんでもないだろ」

 そう言いながら、「ならなかった」という言い方には語弊があるな、などと胸の内でだけ思う。

「そうかな。あたしの好きなラッパーは言ってたけど。名乗ったその日からラッパー。みたいな」

「ははっ。じゃあ天鬼もラッパーだな」

 俺も昔そんなこと言ってたなあと思い出し、苦笑しながら彼女の透明な瞳から目を逸らす。

「うん。ラッパー。せんせーに勝ったら、音源もつくろうかな」

「今からでも作ればいいじゃないか」

「負けっぱなしで作った曲より、勝って作った曲の方がよさそうじゃない? なんか」

「どうかな? それは好みの問題な気もするが」

「お好み焼き、たのしみ」

 急な話題転換に笑ってしまう。

「ふっ、そんなに食べたいならお好み焼き屋行くか」

「うひょー。あがる」

 声音だけみたらローテンションなのに、彼女が本気でそれを言っているというのがわかる。それがまるで新雪にすぽっと元気よく踏み込んだ時のように不思議と心地よかった。



 ソースの香ばしい匂いが鼻孔を支配する。庶民的な雰囲気の店の中はがやがやと騒がしい。

 まるでお好み焼きの具材のように、店内には様々なお客がごった返している。ただ、その中でも、アラサー目前の成人男性と奇抜な見た目の美少女という組み合わせは悪目立ちしていた。援交か?とかワンチャン思われてそうな気もしないでもない。

 しかし、そんな些細な違和感は吹き飛ばされるほど、この店のお好み焼きは美味しいらしい。入店時に感じた俺たちへのいぶかし気な視線はとうに消えていた。変な兄妹だな程度に思われたのだろうか。

 ま、少なくとも援交でこんな店にJKを連れてくるおっさんはいないだろうから、特に気にする必要もないか。

 目の前の綺麗なブルーのインナーカラーが湯気で白く加工されていくのを眺めながら、キンキンに冷えたビールを飲み干す。

 あれこれ考えてしまうのは悪い癖だ。そう自分に言い聞かせて。

 

 そして当の彼女はお好み焼きを焼く傍ら、真剣な表情でなにやらぼそぼそとつぶやいている。

「おこのみやきいま食べてる女、おとこぎらいでも冴えてる方だ……」

 じゅーじゅーという焼き音と、鉄板とヘラがぶつかり合う金属音。あたかもそれをビートと見立ているかのように、彼女はよく意味のわからない『おおおいあい』と『あええうおんあ』の長韻を踏んでいる。端的に言って気持ちが悪い。

「男嫌いだから子供いない……とかの方が意味が通ってていいんじゃないか?」

「え、意味わかんないけど。」

「あ、そう」

「うん」

 理不尽にうなずきながら、鉄板の上に置かれたお好み焼きをつんつんとつつく。

 調理しているというより、その行為そのものが楽しいらしい。

「そ、そうか……。ところで天鬼はお好み焼きが好きだったんだな」

「いえす」

 そう言いながら、またつんつんとつつく。

 こいつ焼肉とかも無駄に何回もひっくり返すタイプか……?

「意外だったよ。もっとなんかこう、冷麺とか好きそうな雰囲気あるから」

「お好み焼きはさ、ぐちゃぐちゃなのがいいんだよね」

「……急に語り出したなぁ、おい」

「ぐちゃぐちゃでさ、なんか見た目もそんなよくないじゃん」

「まあたしかにそうかもしれないな」

「綺麗じゃないし、なに入ってるのかよくわかんないし。なんでもかけちゃうし」

 そう言いながら、ちょうどいい焼き加減になってきたお好み焼きに、マヨネーズ、あおのり、ソース、かつおぶし、一味をドバドバ振りかけていく。

 そして自分の皿に「ほいっ」とか言いながら完成品をのせると、

「でもおいしい。でりしゃす。」

 にこっと笑い、

「それがさー、たまらないよね」

 箸できりわけてアツアツをぱくりと口に入れた。

「あっふっ!!!」

 口から出した……。




「はぁー。くったくったー」

「お前意外とよく食べるな……」

 開幕から盛大に汚い食い方を晒した後、天鬼は平然と、一切の迷いなくバクバク食いまくった。ひたすらに。恩師に焼かせ、食う。恩師に焼かせ、食う。それを繰り返し続けた。なんかもう俺ほとんど食べてないけど、なんでだろう、おなかいっぱいになっちゃった……、そういう感じの食いっぷりでした(半ギレ)。

「ごちになります」

「おう。気にすんな……」

 食べ放題だと勘違いしてるんかこいつ?みたいな勢いで胃に粉物を流し込み続けた彼女に内心軽く引きながら支払いを済ませ退店(しかも謎のお好み焼き自論を語ってくるし……)。


 さて、明るい店内を出ると待っていたのは暗い夜道。じゅーじゅーという子気味のいい音との別れ際、カランカランと入退店を知らせる優しい鐘の音が響く。

 カツンカツンと前を歩く足音、数回。止まったら、無音。

 静寂にバサりと青い髪が揺れる。目を細め、ニコリと微笑んで唇が開いた。

「成長期ですから。まだまだね」

「それはそれはうらやましいことで」

 身長は普通で痩せ型だから全然成長期関係ない気がするけどな……という目で天鬼をみやる(というかたぶん胃下垂だろコイツ……)。

 けれど目はそらされてしまった。

 彼女は前を向き、また数歩トントントンと歩いてく。歩く、歩く。しばし無言……。なんとなく、声がかけづらい。――今更、どうしてこんな今更、なぜなんだろう。

 奇妙な間。音楽を少しでもかじっていたのだから、間の大切さを知っている。それでも少し不安になるような、無の幕間。ならばそんなもの、開けばいいのに。口なんていくらでも開けられるのに。何千という人たちの前で口やかましく吠えたことだってあるのに。なぜか今、たった一人の少女の、後ろ姿に向かって、声が、出ない――。

 だから待った、前を行く少女の青い髪の毛を見つめながら、その内側からなにかが生まれ出るのを待った。だって本当に彼女の中から、なにかが生まれそうな、そんな神秘的な雰囲気があったから。

 きっと、そんなようなことを思ったのは一瞬だった。けれど、果てしなく長い体感時間の後で。

 後ろ髪越しに、少しだけ、本当に少しだけ不安そうな声が、こちらへとやってきた。

「せんせー」

「どした?」

「Requiem、出るんだって。GMB」

「え」

 Requiem。その名が彼女からも出るなんて。予想外の名前に、頭の中が空白になる。

「韻韻からさ、さっきdmきた」

「そうか」

「えっと、その……、あたし、大嫌いなんだよね……Requiem」

「……は? なんで……」

 あいつのことが嫌い? そんなラッパーが、この世にいるのか。俺以外で。

「だから、あいつ倒したい。こないだは雪音娜にジャマされたけど、今度はどっちにも勝つ」

 どうして。その疑問へ彼女は答えずに続けた。

「あたしさ、GMB優勝するよ。今日はその前祝い」

「お、おお、そうか」

「うん。それで、そしたら絶対に――」

 バサリと、また。月明かりに照らされて白銀にも見間違うブルーが揺れる。彼女の視線が180度こちらへと向き直る。

 その狭間から、ギラリと、月光なんかとは比べ物にならない強い光――眼光、瞬いて。


「あたしと、またバトルして」


 言った。何度も聞いた言葉を。けれどもう二度と口にしない、そんな決意を感じさせる言葉を。強く。

「それまではもう、言わないから。その代わり、絶対に。約束――」

 強い意志。けれど揺れる瞳。若さだけが、その場にはあった。

「……だめ、かな?」

 下を向く。うつむく。声が小さくなる。その刹那、俺はもう口を開いていた。もはや叫んだ。そう表現してもいいくらいの、気持ちで――。

「だめ――なわけない。そんなわけないだろ。わかった。誓うよ。お前がGMB優勝したら、絶対にバトルしてやる。だから……」

「だから?」

 期待と不安と……なぜだろう幾許かの悪戯心、そんなような目がこちらをねめつけている。

 それは、きっと、そうしないと、照れ臭かったのだろう。そういうことに、しておいた。女心なんて、女子高生の考えることなんて、俺みたいなおじさんにはわからないから。故にこそ俺は、どこまでも真摯にこたえるしかない。シンプルに、間違いなく。

「絶対に負けんなよ」

「ふふ、とーぜんじゃん」

 彼女はそう言って、不敵に微笑んだ。

 その微笑みは何よりも尊く、絶大にして脆い一過性の輝きを感じさせる。きっと誰もが見惚れてしまうだろうきらめきを。

 ――ただ、1点だけ。最後に空気の読めない発言を許してくれ。


「歯にめっちゃ青のりついてんぞ」


「え」

 

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