第四章 まだ若いからまだ和解にはいたらない仲違い

【今日もつまんねえポップスが吹き荒れる

 死にゆく世界に息吹き返す

 ワックの喉元に杭突き立てる

 横にばかり振る首吊り上げる

 一度聞きゃ何度でもぶり返す

 みな過ちでなく俺の曲を繰り返す

 SACが全てを塗り替える

 今ここに音楽が生き返る


 ──SAC /Dye the Hiphop】



 GMBのちょうど1週間前。


 いつも通り仁ヶ竹と天鬼の試合を見守り、アドバイスをする放課後。青空の下で青々しいバトルを眺めたどたどしくも真剣な言葉を紡ぐそんな日常。

 けれど事件は唐突に起きた。

 もう試合まで日がないことに俺も彼女たちも少し焦りを覚えていたのかもしれない。いや、俺だけがはやる気持ちを抑えられなかったのだろう。少し言い過ぎてしまったのだ。若い女の子の心の内など考えずに、自分だけが正しいと無意識下で。

「天鬼、何度も言ってるが、いい加減ディスるのやめろ」

「え?」

 彼女の顔が、こわばる。

「お前の良さはそこにないよ。そんな事しなくてもお前は強い。何度も言ってるだろ」

「……どういうこと」

 彼女の眉間に皺が寄る。

「自然体でラップしろ。無理に人をディスるな」

「あー……。いいよそれ。ききあきた」

 瞳が閉じられて口が開いた。

「聞き飽きたってお前」

「……なんかさ、正直もういいかも。もういいよ。それ言い続けるなら……無理だわ」

 言葉の途中で天鬼は俺に背を向けて――その肩が、気の所為なんかじゃない、震えていた。

「あ?」

「もういいわ。あたしもう勝手にやるから。じゃ」

 それだけ言って、スタスタと歩き出す。

 歩き出してしまった彼女の肩に、思わず手をのばした。

「はあ?おい待て!」

「……ごめんちょっともう、なんかきつい」

「きついってなんだよ」

「ごめん今はもう無理。なんだよとか言われても困る。ダメだわ、もう」

 振り返らずに、彼女はそう言って俺の手を払った。

「……」

「それじゃ」

 そう言って、天鬼は屋上を後にした。1度も振り返らず。


 バタン――閉まる屋上のドアの音だけが、無常に響き渡った。


 思考が止まる。

 そんなに俺は彼女の癇に障るようなことを言ってしまったのだろうか。

 ただのほんのアドバイスのつもりが、こんなにも拒絶されることになるなんて誰が予想出来ただろうか。

 部活の顧問が生徒のシュートフォームについて少し右手の角度を変えた方がいいとかそんなような助言をした、それくらいのこと、それくらいのつもりの軽い発言。

 けれど彼女にとってはそうではなかった。彼女はもっと本気で、俺が思ってるよりもはるかに本気で、ディスに向き合っていた。そういうことなのだろうか。

 わからない。

 ただ俺にとってはこの数十秒の出来事が青天の霹靂で、さっきまであった太陽がなんとなくした指パッチン1つでポンと消えてしまったみたいに訳が分からなかった。

「どういうことだ……」

「どういう事だ?じゃねえだろ!バカかおめぇは?」

 ぽかっと空いてしまった心に、もう1人の少女の騒々しい声が土足で上がり込んできた。

「ああ?」

「ZAKUROはあんなにお前の事が好きなのになんでわかってやんねーんだよ!はなっから嫌いだったけどな、もっと嫌いになったわ、お前のこと!」

「好き?そういう話じゃねーだろ」

「そういう話なんだよ!」

「なんでお前がキレてんだよ」

「キレてねえよ!ムカついてるだけだ!」

「同じじゃねえか」

「おうおうそうやってディスれって話なんだよ。なんでそれをZAKUROにもしてやんねぇんだクソが」

「そもそもディスってねぇし、なんで生徒をディスんなきゃいけないんだよ。するわけねぇだろ」

 俺がそう言うと、仁ヶ竹はさっきまでの怒髪天が嘘のように、すっと真顔になった。

「……なぁ、いつからそんな腑抜けになった?」

「何の話だ?」

「とぼけてんじゃねえぞ」

 彼女はそう言って、さっきの天鬼の様に俺に背を向け、しかし。滔々と語り始めた。

「5年前、日本一強いバトルMCを決める【MMB(MAJESTIC MC BATTLE)】を2連覇していた、まさに当時最強と以外言い様のないラッパー【Immorality】」

「……おい、どうしたなんでそんな急に昔の話、」

 全くのこの場において関係ない、けれど誰よりも自分に関係のある話が不意に始まったことに動揺する。

 仁ヶ竹はそれを気にもとめず、最後まで、どこか普段よりも弾む声で続ける。

「しかし、そんなImmoralityのMMB三連覇を阻み、誰もが予想しなかった優勝をしてのけた最凶のダークホースが、その年にはいた!そいつこそが、」

「……」

「あんただろ、Air―Z」

 くるりと振り返って告げられた最後のセリフだけが、冷え切っていた。

「……斑鳩先生に聞いたのか?」

「別に。……聞かなくてもわかるだろ、フツー。ディスらなかったとして、毎日レベルでその声聞いてりゃわかるわ。こんだけ近くにいて気付かねぇとか、あいつくらいなんもんだっての。なあおい、うちら世代のラッパーが、どんだけあんたに憧れたと思ってんだよ!わかるだろ……」

「しらねぇよそんなの」

 嘘だった。そんなような話は何度も斑鳩さんからされたし、昔の知り合いから嫌という程聞かされた。

 ただ、だからなんだ?

 憧れたんなら、憧れたヤツらがとっととそれになり変わればいいだけの話。どうして偶像や伝説がそのままの姿で生きながらえなければならないんだ? 救世主なんてとっくに死んでるし、ドラゴンだってとうに絶滅してるだろうに。

「そういう無責任なとこが!大嫌いなんだよ!」

 少女はそう言って俺の胸ぐらを掴んだ。久しぶりに掴まれたが、やはりいい気持ちはしない。

「なんだ無責任って?むしろ俺は責任取って引退までしたんだぞ?これ以上何をしろっていうんだ?ああ?」

「かっこわりぃ……かっこわりぃなあ、おい。がっかりだよ、ほんとに。うちが、うちらが、ZAKUROが憧れたAir―Zは、どんなに最低な言葉吐いたってかっこよかった。どんなに下品なこと言ったって、子供に逆ギレするようなダセェ男じゃなかった!いつだって自分より強い奴に噛み付いて、喰らい尽くして、どんなに情けなかろうと、最後には勝っている。そんな、うちらヘッズのヒーローだった!なのにいまのあんたはなんなんだよ!いつも逃げて逃げて逃げて、逃げてばっかの平和主義者か?偽善者なんて大っ嫌いなんだよ!本当にがっかりだ」

 彼女は畳み掛ける様に俺をディスり続けた。いい大人が子供に、それも生徒に説教されるなんて、酷い話だ。彼女の言う通り、子供に逆ギレするだせぇ大人には相応しい、ありがたいお言葉のプレゼントかもな。

 けれど、その中に感じてしまった。そこには愛があった。

 こいつもAir―Zというラッパーが好きだったんだな、そんなことを感じてしまった。

 だったら尚更、嫌われておいた方がいいかもしれない。

 そんなことを思ったのか、ただの売り言葉に買い言葉なのか、昔の血が騒いでしまったのか……、何なのだろう、分からないが気づけば口をついて呪詛が溢れた。

「……ならお前は、自分のディスのせいで誰かがラッパー辞めることになっても、素知らぬ顔でラッパーを続けられるのか?」

「え……」

 固まる。

 けれども、その硬直など意にも介さず、より強烈な言葉が口から漏れ出て行く。

「お前は、自分の妹が他人からの誹謗中傷で不登校になった後でも、他人に罵詈雑言を浴びせかける大会にのうのうと参加出来るのか?ああ?!」

 止まらない。止められない。そんなことを言っても仕方ないのに、生徒にするべき話ではないのに、してしまった。いや、彼女にだからこそ言おうと思ったのか。分からない。自分でもなんで今更このことを斑鳩さん以外に言ったのか分からない。取り返しのつかなくなる前に、その思いが、結果的に取り返しのつかないことを言う引き金となったのかもしれない。

 熱くなった心が、急速に冷えていく。

「なんの、話だよ……」

 彼女が呆然としながらも何とか返答を絞り出した頃、俺も我に返った。

「…………」

「おい、なんなんだよ!!」

 激しく肩を揺さぶられる。彼女の熱い瞳が、震えながら俺の事を見つめていた。

「…………いや、悪い。なんでもない。忘れろ」

「なんなんだよ急に。何の話だよ!」

「いや、少なくとも教師がするべき発言じゃなかった。すまない。忘れてくれ」

「教師がとか関係ねぇ。お前のことをセンコーだなんて思ったことなんか一度もねえよ。自分の発言には責任持てよ、ラッパーだろうが!!!!」

 熱い。真っ直ぐで熱い。俺とは何もかもが正反対のラッパーだ。そんな彼女が眩しく見える。

「だからラップはもうやめたって言ってんだろ。何度も言わせるな」

「知らねぇ。やめんなっつってんだろ!!!!」

「もうやめたんだよ」

「じゃあなんでZAKUROとバトルした?」

「不登校の生徒を学校に連れてくる為だ、仕方ないだろ」

 子供の頃には屁理屈と言われていた言葉も、大人になればしっかりとした理由になる。それに屈しない子供が、目の前でまだ俺に闘志を向けている。

「中途半端なんだよやることが。……やることなすこと中途半端。そんなカスには銃を乱射」

「おい、」

 どこか耳に覚えのある文字の羅列。それを暗唱し出す仁ヶ竹に強烈な不快感を覚える。

「最高にハイ、週5ガンジャ。マジでサイテー、中毒患者」

「おいやめろ」

 それはきっと俺が昔バトル中に使ったライム。そんなものを、本人に向けて冒涜的に告げる仁ヶ竹。最後に彼女は当時の俺の様に中指を立てて言った。

「目障りだ消えろクソラッパー」

「……消えただろ。お望み通り、俺は」

 バトルのアンサーなら敗北必死の答え。けど俺にはそれしか持ち合わせがない。

 そんな不出来なセリフに、彼女は全力のリスペクトを込めてディスで返してきた。

「ちげぇよ、消えるなよ!帰ってこいよ!これくらい、あんたの過去のライン全部追えるくらい、うちらは、あんたが好きだったんだよ!その中でもきっとZAKUROは群を抜いてあんたに惹かれてた!そんなZAKUROにディスるのを止めろとか、なあ、あんたひでぇよ……」

「そうかもしれねぇ。でも俺はあいつの笑顔が曇るところを見たくないんだよ」

 薄々感づいてはいた。もしかしたら彼女の好きなラッパーというのは俺なのかもしれないと。しかしそんな偶然あるわけない、思い上がりだと否定してきた。

 どうしようもない。散々律してきたつもりが、未だに否定することが得意らしい。

「現に!もう!あいつは泣いてだろ!」

「今後もっと辛い思いをするかもしれないって話だ……。俺がRequiemに負けた後、どんなことになったか、知らねえわけじゃねえだろ」

 他人のことをボロクソにディスって勝ち続けていたやつが、当時まったく無名だった女性ラッパーだったRequiemにたいして大きくもない大会の1回戦であっさりと負けた。そのあとで何が起こるかなんて、誰にでも簡単に予想がつくだろう。

 陰口、誹謗中傷、罵詈雑言。会場にどころか町中に出ることさえ苦痛だった。さらには、面と向かっていなくても、つぶやき、コメント、リプ、DM。ありとあらゆる人間と言葉が自分を否定してきた。けれどそれは自分のせいだ。自分のやってきたことがそのままかえってきただけ。俺に負けたラッパーの気持ちを今更になって思い知らされた。そんな折に、天が不登校になって……。

 だからもう、こんなことはやめようと思った。

「そんな未来の話も、過去の話も! どうでもいい! 知りたくもねえし、知らねんだよ! 今あいつが泣いてる、それだけでうちは! うちはあんたを許せねんだよ!!!」

 熱い想い、それをひしひしと感じる。これだけの友達が出来たのなら、それでも自分があの時ラップをして天鬼を学校に連れ出したことは間違いじゃなかったと素直に思わせてくれるくらいの。

「ならあいつのことを見に行ってやってくれないか。俺がまた言っても、力になれないだろうから。お前はあんまり気づいてないもしれないけどな、天鬼、お前のことかなり好きだぞ」

「…………あぁ?! なに言ってんだてめぇ? てめぇでいけよ」

「ぶっちゃけな、俺が教えられることは天鬼に全部教えた。あとはディスをどう捉えるかだけだ。そこについては譲れねえ」

「また言い訳か?」

「そうじゃねえよ。そもそもあいつが俺に教えろと言ったから、教えてた。それを自分で拒むんならあとは自分でどうにかするだろ。あとはあいつが約束を果たすかどうか。それだけだ」

 俺がそう言うと、彼女はいつもの様に睨みつけることはせず、目を伏せ、

「約束か……。そういやそんなこと言ってたなあの野郎……」

 意を決したように、こちらへはじめて敬意のこもった目をむけた。

「ならよぉ、うちも弟子にしてくれ、Air―Z」

「は?」

「……2度は言わねえ。無理なら自分で天鬼んとこいけ」

 彼女はそう言うと、俺に背を向けて歩き出した。

 その真っ赤な背中に向けて聞こえないようにつぶやく。

「…………ありがとな、仁ヶ竹」



 こうして、その日以来天鬼は再び学校に来なくなり──。

 仁王こと仁ヶ竹水恋が、俺の弟子になった。

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