港都3
ソシアが退室してから一刻が経った頃、フランメルが応接間に戻った。
「だいじょうぶ、あの子は落ち着いている。ソシアの言うことには犬のように従順さ。」
フランメルは少女の様子を簡単に説明した。
「そ、そう、犬のようにって、フランメルまさかゲンコツで──いたぁ!」
セテが言い終わるより早く、フランメルの手刀がセテの頭部をとらえた。
「するわけないだろ、私を何だと思ってる?」
座っているセテを見下ろすフランメル、彫刻のような顔の彫りが美麗な佇まい。
「…何でもありません、うるわしいフランメル様」
「よろしい。」
フランメルはその顔でもってニッコリと微笑んだ。
「……なんか、なんかさ、気を使わせちゃったのかな、ごめんフランメル。」
セテは何の、とは言わなかったが、そういって肩を落としため息をつく。
「……ふっ、何の話だ?まあ私もソシアも、それはもういろんな壁を乗り越えてきた狩り
ふと、フランメルの手がセテの頭頂部の髪をくしゃくしゃに絡めとって、雑に撫でる。
「それ、撫でてるつもりか?」
セテはくすぐったそうだが、嫌がる事はなく受け入れた。
「ああ、手のかかる
「世話焼き姉さんは一人で十分……ははっ。」
「ふっ、まったく。セーラは年上の私に対してもお姉さん風吹かすからな……。」
二人は少しの笑いをこらえて、やがて静寂となった。かすかに聞こえる夜の潮の満ち引き、風も落ち着いていて過ごしやすい夜だろう、そんな晩に、いるはずの人がいない。
「時に、あのレナスという男、強かったか?」
フランメルはそれとなく別の話題を振った。
「うーん、俺は戦うところは見れなかったんだけど……きっと相当強い、かな。」
意識のなかったセテはすべてが終わった後しか記憶にない。
「そう、どうやって倒したのかも、何もかも、知らない。でもあんな……とんでもない魔物を、神官様とたった二人で、3体も。」
「あの男は討伐が済んだらソシアと手合わせしてもらえると意気込んでた。だが、私がな……挑んでみたいと思っている。」
真剣な眼差しでフランメルは思いを語った。
「フランメルが、神槍様に?」
「そうだ、おかしいか?幸か不幸か、私は今まで怪我を負った事が一度もない。訓練で体を痛めたこともない。それは私の天稟かも知れないが慢心かも知れない。確かめたいのだ、私のうがつ矢がどこまで届くのか。」
港都スールではソシアとフランメルに敵う者は最早いなかった。それは近衛騎士であっても、国王お抱えの魔術師であっても。それはセテもよく知っていた。
「応援するよ、フランメル。」
弟弟子に鼓舞されて、まんざらでもない表情のフランメルだった。
「セテ、待たせたね。」
ソシアは後ろに少女を連れて応接間に戻った。
少女の衣服は防具などではなく平服だった。フリルの多いブラウス、コルセットの部分が編み上げになっているロングスカート。髪の毛はハーフアップで整えられていた。ソシアの後ろで、ソシアの袖をちょこんとつかみ俯いている。
「誰かさんが盛大に濡らしてくれたお陰でね、着替えさせたよ。あいにく着れそうな服がこれしかなくてねえ。」
ソシアとフランメルは、愛娘におめかしを施す母さながらニコニコしていた。
「さあ、セテに言いたい事があるんだろ?」
ソシアは少女の背中に優しく手を当てて一歩前に進ませた。
「……ごめんなさい。傷つけたい訳じゃなかった。」
少女は口調は相変わらず淡々としたものだが、赤面しつつ謝罪した。
「え、いや、ちょっと、でも本気で切りかかってきたよね?」
セテは両手に残ったしびれを確認するように、手のひらを開閉しながら少女の謝罪を否定した。
「コホンッ、セテ、何を言ってるんだい?」
少女ではなく、ソシアが異様な圧で迫る。
「わたしは剣が得意、なので、直撃するなら、こう、剣の
少女は空の両手を差し出し、手首を返す動作をして見せた。
「そんな、簡単でしょ、みたいに言われても……そ、それに、闇魔術の見えない剣は正直死ぬかと思ったんだけど……。」
セテは少女の説明があまりにもふわっとした物だったので、ソシアの圧に耐えながらもうひとつ反論する。
「え……わたしだって、びしょ濡れにされた、あなたの魔術で。」
少女は困ったように首をかしげてソシアをちらと見る。
「そうだよセテ、女の子をびしょ濡れにしておいてそれはないだろう。」
あきれ口調でソシアは少女を援護した。
「そうだそうだ。」
さらにフランメルが同調し、場は3対1となる。女の子を水魔術でびしょ濡れにする事と、闇魔術の見えない剣で襲いかかる事は、前者の方が悪である。という事になった。セテは返す言葉もなく肩を落とす。
「……はい、濡らしてごめん、えっと……」
「エスレンティア。」
「濡らしてごめん、エスレンティア、さん。」
「エスレンティア。」
少女はもう一度名前を言った。
「ごめん、エスレンティア。これでいいか?」
少女はコクリと小さくうなずく。
「わたしこそ、ごめんなさい、セテ。」
エスレンティアと名乗った少女は、スカートの膝あたりをつまみ屈んでみせた。
「はいこれで仲直り、良かったわ、エスレンティアちゃん、頑張ったわね。服もよく似合ってるし、私が見込んだ通りだわ。」
ソシアはエスレンティアの肩を抱いて頑張りをたたえた。
「それでね、セテ、ここからが本題なんだけどね。」
「……その言い回しをする師匠、厄介事に決まってる。」
セテは大きな独り言を呟いた。
「わかってるじゃない。エスレンティアちゃんにセテの剣を見せて欲しいの。」
数刻前には力ずくで奪われようとした形見の剣を手渡せとの指示だった。
「……これは父さんが残してくれた形見の剣なんだ。というか……ほら。」
観念したセテはエスレンティアに剣を渡した。この空間には猛者が二人いて万一もないと分かってはいた。
エスレンティアはセテから形見の剣を受け取ると鞘の装飾を食い入るように見つめ、そして剣身を抜く。鋼より白みがかった聖銀の輝き、樋に掘られた紋様を見て、ため息をもらす。
素振りしたいと子犬の目でセテに訴えてから、縦、横に薙ぎ払うように振るう、軽い風切り音が部屋に響いた。そして誓いをたてるが如く剣を胸元から垂直に立て、目を閉じた。剣と意思疎通をするかのように。
「間違っていなかった。これは聖剣です。この剣身の紋様は伝承の記録と一致する。そして鞘にはイルクルード子爵家の紋章、それも古い年代のもの。間違いない……これは、これがあれば……うっうぅぅ。」
エスレンティアは語りながらも涙を目に浮かべ、言い終わる頃にはあふれ出していた。ソシアが慰めようと肩を撫で、レースのハンカチーフで涙を押さえる。しかしエスレンティアはそのまま続きを語り始めた。
「ぐすっ……その聖剣を、あなたが、持っている、というなら、そこには、聖剣の、意思があるはず。私の国では、聖剣こそ至上、唯物の頂点だから……そう、200年前の戦でイルクード子爵令嬢のダンタニア様が携えていたものを聖剣と呼ぶようになった、戦で壊れたと思われていたけど、いまここにこうして存在するのは奇跡。でも聖剣の出自はさらに古く700年前にさかのぼる。ドワーフでその時代には随一と言われた鍛冶師が聖銀鉱で巨大な結晶と出会うことから────」
エスレンティアの話は加速していき、他の3人は置き去りとなった。
「────そしてダンタニア様は仲間と共に魔王と死闘に臨みました。とどめはダンタニア様の聖剣の突き。突きは死に太刀、覚悟の一撃。見事ダンタニア様は聖剣で魔王を貫いたのです。そして
3人は苦笑いでエスレンティアを囲んでいた。エスレンティアは恥ずかしそうに剣を抱いて縮こまる。
「……さあ、今日は遅いし、みんなで食事をとりましょう。エスレンティアちゃんも、ね。」
ソシアはエスレンティアの手をとって、夕食へと誘った。この屋敷中、炒めた香草の甘くて爽やかな香り、そして魚介を煮込んだ潮の匂いが漂っていた。
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