未来1
人間って、なんで進化しないんだろう?
だって、そう思わないか? 機械はより人間の体にフィットするようにどんどん進化していって、ソフトウェアの部分については今やAIのサポートがなければ人間は日常生活を満足に送ることなんて出来なくなっている。そんなこと、俺が今更言わなくたって皆認識してるだろ?
だから、このニュースが出た時、俺は正直興奮した。ついに、人間の感じているモノを他の人間に伝える方法が実装され始めたんだ!
つまり、見たもの、聞いたもの、触れたもの、嗅いだもの、食べたもの、五感全ての情報すらシェア出来るようになっていくのだ。
使っている技術は、そこまで目新しいものはない。機械に触れるだけで、人間の脳の電子信号を送信できるのだ。その送信する情報に、視覚情報や聴覚情報、嗅覚に味覚、触覚情報を乗せる。そうすれば、それを受け取った人は、自分がその場にいるだけでは感じることの出来ない、素晴らしい体験をすることが出来るってわけだ。
例えば、スキューバーダイビングなんてどうだろう? 海が近くにない地域に住んでいる人も、その情報を受け取れば、五感全てで海の中を泳いでいるという情報を感じることが出来る。その人が見ているのは、淡い青色の大海原で、色鮮やかなサンゴ礁と、そこに住む小魚たちの姿が見えるだろう。鼓膜を震わせるのは自分の呼吸音に、それが排出されて泡となり、水面に上っていくボコボコとした音。匂いはほんのりと塩の香りがするけれど、ゴーグルのゴム臭さを感じるかもしれない。いや、ピッタリとゴーグルに覆われているから、鼻呼吸が出来ずにあまり何も感じないかもしれない。口の中はスノーケルを噛んでいる無味無臭のゴム感に、ほんの少しのしょっぱさが広がった。でもその味も、目の前に広がる大海原の前では霞となって忘れてしまっている。肌が感じるのはダイビングスーツの圧迫感に、海の冷たさだ。腕や足、体はスーツで覆われているが、髪の毛や顔の一部は海の水と直接触れている。水中の中に、自分の動きに引きずられるように動く髪が広がって、文字通り髪の毛一本一本まで海そのものを感じることが出来る。他にもスカイダイビングをした体験や、夕日の中ゆったりと草原に寝転んでいるあの体験を、他の誰かがした素晴らしい体験を、自分のものとして体験することが出来るようになるのだ。
ニュースの続報を聞くと、俺たちが生まれた時から埋め込んである脳のチップを、新しいチップへと置き換える手術が必要のようだ。これは俺たち人間の体が、他人の五感情報を処理できる受信機的な器官が存在していないためで、そうした情報を授受出来るよう処置を施すのだという。
手術の案内は、順次地方自治体から届くようだ。そこから病院に予約をして手術を受けることになるのだが、俺はもう今すぐにでもその手術を受けたい気持ちでいっぱいだった。俺は生まれつき、体が弱い。機械が自分の手足となってくれている現代だからどうにか生活に困らないが、激しい運動、スポーツなんかは命に関わるのでご法度とされていた。人間の体の外はどんどん進化していくのに、そうした人間の中でも俺は劣っているとたまに考えてしまい、深く落ち込んでしまう時もあった。
でも、これからは違う。他人の五感情報を得ることが出来るのであれば、俺は他の人と何ら変わらない経験をすることが出来るからだ。
ああ、早く手術を受けたくて仕方がない!
そう思った一年後、ようやく俺は手術を受けることが出来た。
退院する前に手術が上手くっているか、ちゃんと他人の五感情報を俺が受信出来るのか、テストを行う。俺の目の前には何の変哲もないタブレット端末が置かれていた。タブレットに触れると画面が標示され、どの他人の体験を受信するのか選択できるようになっている。標示されたのは、三つ。陸上のトップランナーが百メートル走で世界新記録を樹立した体験、宇宙飛行士がスペースシャトルで宇宙に打ち上げられる時の体験、そして世界一高いバンジージャンプの体験だった。
俺は最初に、百メートル走の体験をしたいと考える。するとタブレット端末はその五感情報を受信し、俺の体にフィードバックしてくれる。グラウンドを照り返す眩しい太陽の光。滴り落ちる汗に、むせ返るような緊張感。やがてスタートの合図が鳴り、俺は自分の体から吹き出す汗を置き去りにするように、全力で疾走を開始する。世界が後ろに流れていくのに、自分の足は確かに大地とつながっていて、そしてそれを蹴り上げるごとに前に、そして前に加速していく。永遠に加速していく。と思われた瞬間には、もうゴールテープを切っており、俺は現実の俺へと戻ってきた。体感時間は十秒にも満たないのに、俺は全身汗だくとなっている。
そうか、これが全力で走るっていうことなのか。
自分の生身の体では決して出来ない体験に全身の鳥肌が立ち、そして体の震えが止まらない。他の二つの体験、重力を振り切って宇宙に飛び出すときの振動、緊張、開放感も、逆にバンジージャンプで飛び降りて重力に引かれて下に、下に、そしてさらに下に落ちていく耳鳴りがしそうなほどの没入感も、生身の俺の体では、死んでも得ることの出来ない体験だった。
その成功体験を得て、俺はこの技術が早く世界中に広まるべきだと確信した。
便利になるどころの話ではない。
これは、世界が変わる。
進化しなかった人間が、より人間全てが平等になるように進化したんだ。
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