その弓矢、取扱注意

麦野 夕陽

1話完結

 荒廃した世界、常に砂ぼこりがまっている。いつから1人だろう。最後に誰かに会ったのはいつだろう。考えても無意味なことを考えながら、背中に弓をたずさえ歩く。時折、砂に足をとられそうになるのを注意しながら一歩一歩進む。

 ずっと下を向いて歩いていたから気づかなかった。ふと顔を上げると、遠くの丘から狼煙があがっている。砂煙で視界が悪いなか目を凝らした。やはり煙が、赤い色の煙が空高くまで。人が、人がいる?

 ほとんど無意識に、反射的に、残り2本になってしまったマッチを使い矢に火をつける。矢は3本しかない。砂が目に入ることも厭わず、矢を勢いよく頭上に放った。気づいてくれ。声を上げようとしても、口から出たものは獣のような息だけ。そうだ。何日、何ヶ月、声を発していないだろう。しかしそれでも届くと信じて。そこにいる君は誰だ。どうか俺を、ここにいる俺を見つけてくれと願いを込めて。

 矢の火は風に消された。マッチは残り1本だけ。風が荒れ狂うなか、目を閉じて耳の感覚だけを研ぎ澄ませる。自分だけの暗闇の世界で音だけに集中した。叩きつけるような風の音が少しだけ小さくなる。その瞬間を確実に読みとり、眼光鋭く瞬発的に火の矢を射る。

 2度目でようやく伝わったらしい。丘の上に小さな黒い影が見え、こちらへ向かってくる。

「やった……」

 声が出た。久しぶりすぎて発音が怪しいけれど。「ここだ!」と手持ちの布切れを振りながら、何度も何度も叫んだ。すると黒い影は大きくなって、近づいてきたそれは人ではなく魔物だったことに気づいてしまった。

 やってしまったと思ったときには遅かった。その魔物は俺めがけて突進してきたのだ。咄嵯のことに反応しきれず、そのまま倒れこんでしまう。振り上げられた爪が見える。ああ死んだかなと妙に落ち着ていた。ここまで1人生き延びてきた。しぶとく生き残ってきた。もしかしたら、やっと楽になれるかもしれない、そう思った。しかし。今まさに俺に襲いかからんとする魔物は突然横から来た別の魔物に突き飛ばされてしまったのだ。死ぬにしても魔物2体に殺られるのかと絶望した。むごいなぁと淡々と思う。でも、そんなことはなく。ただ、そいつらはお互いを殺しあってくれただけ。おかげで助かった。否、助かってしまった。2体の魔物が目の前で生き絶える様を死んだ目で眺める。

「生きてるか?」

 襲われた状態のまま大の字で地に寝転んでいると、砂けむりの中から、ふいに人影があらわれた。茶色の長い髪をひとつに結んだ長身の男だった。その男に見覚えはないはずだったが、どこか懐かしさを感じる。どうしてだ……? その男は、どう見ても普通の人間じゃない、不思議な格好をしていた。この砂煙なのに真っ白で汚れのないローブを着て、手には分厚い本をもっている。茶色く繊細な模様が掘られた本。魔法使いとかそういう類だろうか。そんなファンタジーな。その人は俺が呆然としている間にテキパキ動き始めていて助け起こすと肩に抱えてすぐにその場を離れたのだった。


「魔物がいるから気をつけろと狼煙をあげたのに…… で? あんたは何処の者だ? 弓矢はジフ族の物だが」

 安全そうな岩陰に来たかと思うと乱雑に降ろされる。おかげで「ぐへっ」とマヌケな声がもれてしまった。もう少し丁重に扱ってはくれないものか。こちとらついさっき魔物に襲われたばかりなんだ。

「俺? 兵庫の人間だけど」

「ヒョーゴ? 聞いたことがないな」

「兵庫を知らないってお前……それ言うならジフ族ってのも聞いたことねーよ。この弓矢は拾ったんだ」

 1人で生きるうちにサバイバル術だけは身についてしまった。水場の確保から狩り、野草やキノコ、木の実などの採取の仕方まで、生きるために身につけざるを得なかったというべきか。弓の扱いもそのひとつだった。

「それより俺は死に損なったみたいだし? 」




 テレビが『隕石接近警報』を忙しなく流していたのを思い出す。アナウンサーもパニック、テレビスタッフもパニックだったようで見れたものじゃなかったが、視聴者も正気を保てている者はほぼいなかったから問題はない。むしろ、冷静すぎるくらいに見ていたのは俺だけだった。とてつもない地鳴り、そこから意識が途切れ、目が覚めたらこの荒廃した世界で一人ポツンと目が覚めた。

「災難だよなぁ。みーんな隕石で死んだってのに俺もお前も生き残っちまった」

 男が怪訝な顔をする。

「隕石? なんのことだ」

「だからさ、地球滅亡! みたいな、アレだよ」

 男は首を傾げる。

「隕石なんてここ何百年落ちていない。しかも隕石で世が滅亡するわけがない」

「……は」

「しかもこの弓矢、ジフ族の物で間違いないが、その種族ははるか昔に滅んでいる」

 男は本をパラパラめくると、一枚の図を俺に見せた。確かに形状が同じだ。

「その弓矢、おかしい。なぜそんなはるか昔の物がこんなに綺麗な状態で残っている」

「知らねーよ、そんなの」

「どこで拾ったんだ」

「これ? これ……どこだったか」

 おぼろげな記憶をたぐりよせる。そうだ。

「隕石の後、目が覚めたらあった」

「さっきから言っているが、隕石は落ちていないし、そもそも落ちてこない、上空に防護魔法がかかっているのだから。初心者でもできる。“〜〜……”」

「ああー! そんなの教えなくていい!」

 もう頭がこんがらがってきた。理解できることなんて最初からひとつもないが。思わず頭を抱える。ずっと1人きりでサバイバルしてきた緊張の糸が緩む。

「うああああ!! もうわけわかんねぇ!! 今はなんなんだ!!」

「今か? 今は3056年9月4日だが」

 頭をかきむしる手が止まる。は? 今なんて言った?

「2023年だろ」

「何ボケたことを言っている。まあ最初からそうか……」

 疑問だらけの今、なぜかひとつだけが口からこぼれた。

「ナントカ族が滅んだのはいつだ」

「ジフ族だ。滅んだのは、2023年頃……」

 顔を見合わせる。男が静かに口を開く。

「私は歴史の研究をしているんだが、ジフ族は時を操る能力があったと言い伝えられている。そして“弓矢”を使うことでも有名だ」

 手元の弓矢を見る。この弓矢、どこかで見た。目が覚めてからずっと持っているのだから当たり前だが、そうじゃない、もっと前から。

「目が覚めて、弓矢はどこに落ちていた?」

「弓は──弓は手に持ってて──」

 あれ? 矢は……落ちていた? 落ちていた覚えは、ない。そうだ、あの時、矢は

「胸に──刺さってた。左胸に」

 自分の胸をさすると、一部がピリピリと痺れる感覚がする。


「射て」

「は?」

「弓矢はあと一本しかない。無駄にする前に早く射て!」

 何を焦っているのかと怪訝に思った瞬間、岩陰に魔物が顔をのぞかせた。戦慄がはしる。

「早くしろ!」

「でも!」

「私に構うな! 君のいる場所はここじゃない! 早く行け!」

 男は本を開く。俺は同時に自身にむけて弓矢をつきたてる。迷っている暇などなかった。

「──アラン──名のもと──」

 男の詠唱が遠のいていく。





「隕石ッ接近中! 隕石接近中! 最寄りの、地下へッ避難してください! ヒッ!」

 けたたましい音で我に帰る。ここは、今は、何年だ。考えるまでもない、もといた世界だ。俺は、戻ってきたのだ。

 テレビからも、家の中からも外からも叫ぶ声、スマートフォンの警報、サイレン、全ての音が入り混じる。

 自分の身体を見おろすと矢が突き刺さっていた。正しく言うと、左胸に、折れた矢が。血は一滴も流れていない。この弓矢は確か、代々家に伝わるものだ。丁重に厳重に扱われてきたのを俺は知っている。なぜ忘れていた? いや、今はそれどころではない。

 カーテンを開け、見上げると空は真っ赤だった。黒の混じった赤。

 外に飛び出す。どうすればいい。戻ってこれたのに、どうすればいい。


──隕石は落ちてこない

──上空に防護魔法がかかっているのだから

──“〜〜……”


 初心者でもできる? 本当に? 躊躇っている暇は、疑っている暇はない。


「〜〜……………!!」

 簡単な呪文、短い詠唱。一度しか聞いていないはずのそれを何度もくりかえした。何度も、何度も。喉を使いすぎて、獣のような声になっても。




 何時間、何日経ったのか。気づいた頃にはサイレンの音が止んでいた。空の色も徐々に戻り始めていた。部屋にもどりテレビを見れば疲弊しているものの落ち着きを取り戻したアナウンサーがいた。




「使ったのか、矢を」

 振り返ると祖父が立っていた。視線をたどると自分の胸に矢が突き刺さったままな事に気づく。触れると砂けむりのように消えてしまった。どういうことか聞こうとしたら、祖父は立ち去った。


 翌朝、祖父が亡くなる。滅亡を免れた世界で。布団のなか、静かに眠るように。




 読書家だった祖父は書庫をもっていた。いろんな事が起こりすぎて、静かな場所にいたくて、書庫に足を踏み入れた。

 一番奥の本棚。普段なら本なんて読まないが、その時だけ、何故だか一冊の本を手にとった。

 分厚い本、茶色く繊細な模様が掘られた本。開けば、ひとつの肖像画が目に飛び込んできた。その下に名前が記されている。


「ア──ラン──」

 茶色の長い髪を、ひとつに結んだ男だった。





 

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