第5話 そのメイド、貸しを作る。

 

「え? メイドのお嬢ちゃんが、コイツの代わりに支払いを……?」


 店主のオジサンは、私の申し出を聞いて目を真ん丸にさせた。


 銀髪の騎士様もそれでようやく冷静さを取り戻したのか、申し訳なさそうに口を開いた。



「その申し出は有難いが、見ず知らずのキミにお金の無心をするのはさすがに……」

「普通はそうでしょうね。でも今は大事な人が待っているのでしょう? それに誰がお金をあげるって言いました? 貸しですよ、貸し。キッチリと返してくださいね」

「貸し? あぁ、僕が君にお金を借りるのか。いやでも……うーん」


 どうやら彼の胸中で葛藤が起きているらしい。


 知らない女にお金を借りるなんて、騎士のプライドが許さないのかしら?



「……本当に借りても良いのか?」

「もちろんよ。ほら、店主さん。たしかに金貨一枚を渡したわよ。だからその、ギンカチョウをこの騎士様に渡してあげて?」

「お? おぉ……金さえくれるんなら、俺っちはなんでも良いけどよぉ……」


 私からポンと手の平に金貨を置かれた店主さんは、戸惑いながら私と騎士様の間に視線を彷徨わせる。


 だけど私が「さぁ、はやく」と言うと、渋々といった感じで棚にあるギンカチョウのブーケを騎士様に手渡した。



「すまない。本当に困っていたんだ。用事を済ませ次第、お金はすぐに返すよ」


 会計を済ませ、店の外に出た騎士様は私にお礼を言った。


 無事に花を手に入れることができた彼はホクホク顔だ。



「別に良いのよ。こういう時はお互いさまだから。あぁ、そういえばさっき、花が日持ちしないことを気にしていたわよね。それなら、押し花にしてあげると長持ちするわよ?」

「押し花?……すまない、それはどういったものなんだ?」

「知らなかった? 本の間とかに花を挟んで、しばらく置いておくの。ペチャンコにはなっちゃうけれど、生花と比べたら長く持つわ。本の栞なんかにもできるからオススメよ」


 これは私がまだ小さかった頃、サクラお母さんが教えてくれたやり方だ。


 私が孤児院の庭に咲いていた野草の花をプレゼントしたら、お母さんは栞にして返してくれたっけ。


 ……まぁ、孤児院には本なんて無かったから、栞として使うことは一度もなかったけれど。



「そんな手が……。ありがとう、重ねて感謝するよ」


 そう言うと銀髪騎士様は私に頭を下げた。


 その拍子に銀糸のような美しい髪がサラサラと流れ落ちる。


 自分のくすんだブラウンの髪とは違い、手入れのされた艶のある髪だ。


 それがまるで流星のように、陽の光を反射してキラキラときらめいていく。


 そんな光景に、私は思わず目を奪われてしまっていた。



「綺麗……」

「……ん? どうかした?」

「えっ? いや、なんでも……その……ないです」


 気付けば彼に見つめられていた。


 その顔は眩し過ぎるほどの笑顔で、ギンカチョウの美しさが霞んでしまうほどだった。



「さっきからどうしたの? 僕の顔に何かついているのかい?」

「なんていうか……自覚のない男前って、もはや罪ですよね」

「えぇ……?」


 この人、自分のカッコよさをまるで理解していなさそうね。


 私は彼と見つめ合っているのが急に恥ずかしくなって、視線を彼の手にあるギンカチョウへと移してしまった。


(それにしても彼がこの花を渡そうとしている大事な人って、きっと恋人かお嫁さんよね。いいなぁ、こんな色男にここまで想われているだなんて。私は誰にも花なんて貰ったことがないのに……羨ましいわ)



「そういえばキミはどうしてここへ? 主人の使いか??」

「主人? あぁ、違うの。私は王都のメイド学校に入学するためにこの街にやって来たのよ。道に迷っていたところで、偶然あなたたちの騒ぎが聞こえたから……」

「見習いのメイドだったのか……ん? その手にあるのは、王都の地図かい?」


 私が持っていた手帳の地図を見た騎士様は、少し怪訝そうな顔をした。


 そういえば私、この人に道を聞こうとしてケンカに首を突っ込んだのよね。


 貴族の端くれである騎士様なら、きっと学校の場所を知っていると思ったから。



「随分と古い地図だな……先代の聖女様がいた時代の王都だ」

「へぇ……それがいつの話なのかは分からないけれど、古い地図なのはたしかね」

「あの有名な聖女様を知らないのかい?……んー、でも大体の地理は変わってはいないかな? このキーパー侯爵家の屋敷が、今ではメイド学校に変わっているんだ。ここの夫人が学校を開設し、今は理事長をやっているから」


 彼は地図の一角である敷地を指差して、メイド学校の場所を教えてくれた。



 聖女を知らないのって言われても、だって私は田舎の孤児院育ちよ?


 国の歴史なんて勉強したって、お腹は膨れないもの。


 そもそも私、聖女って単語が大っ嫌いだし。



 それよりも、有力な情報を得ることができたわ!!


 この地図の場所を目指せば、日が暮れるまでには辿り着けそうね!



 ようやく手掛かりを得たと喜ぶ私とは対照的に、なぜか騎士様は少し困った様子をしている。


 いったいどうしたのかしら?



「もしやさっきの金貨って、キミの大事な入学資金だったのでは……」

「あら、随分と勘が鋭いわね! その通りだけど気にしないで。私には『幸運の金貨』があるし、きっと何とかなるわ」

「本当に大丈夫なのか? なら良いのだが……」


 騎士様はあからさまにホッとした表情になった。


 あの金貨は私の御守りだし、とある理由で絶対に使えないんだけどね。


 だから実際の私の財布の中身はスッカラカンだ。



 まっ、それはともかく。場所を特定するって目的は達成したわ。


 そろそろ私も急いでメイド学校に向かわなくっちゃ。



「それじゃあ、私はこの辺で……えっと」

「あぁ、そういえばまだ名乗っていなかったよね。僕はジークだ。今日は本当に助かったよ、ありがとう」

「私の名前はアカーシャよ。道を教えてもらったから、お礼は十分だわ。ジーク様は急いでいるのでしょう? さぁ、早く行ってあげて」

「おっと、そうだった……あぁ、これをキミに渡しておくよ。僕が世話になった証だ」


 ジークと名乗った彼は騎士服のポケットから何かを取り出すと、私に差し出してきた。

 なにかしら、と受け取って見てみると、それは非常に滑らかな生地でできた白色のハンカチだった。

 しかも銀糸で縫われた、立派な龍の刺繍までされている。



「これは……」

「僕の家紋である銀の竜さ。これを見せれば、僕の関係者だとすぐに分かる」

「ええっ!? でもそれって、大事なモノなんじゃ……?」


 お世話になっていたアトモス男爵家にも家紋付きの家具とかはあったけれど、いわばそれは看板みたいなものだ。


 傷付けたり、勝手に使ったりなんてしたら、重罪として罰せられるってメイド長に習ったんだけど……。



「ふふふ、安心して。それはアカーシャになんだから。必ず僕が取りに行くから、それまで大事に持っていてくれ」

「ちょっと!? そのセリフって……」

「いいから、ほら」


 この人、私が金貨を貸すと言った時の言葉を真似したわね!?


 意図が伝わったと、ジーク様は少し意地の悪い笑みを浮かべた。


 そして彼は引っ込めようとしていた私の右手を取り、その中に畳まれたハンカチを入れてギュッと両手で握り込んだ。



「かならず、僕たちは再会する。そう、願いを込めて」


 私の手を包む彼の手は、氷のようにひんやりと冷たかった。


 だけどなぜか、私の心は瞬間的に熱くなっていく。



「それじゃあ、また逢おうアカーシャ。メイド学校はだろうけど、キミならきっと大丈夫だから」

「えっ?……ああっ」


 私の返事も聞くこともなく。彼は花束を手に、人混みの中へ消えていってしまった。



「な、なんなのよ……あの女たらしはっ……!!」


 彼の手が離れた今でも、私の身体は熱いままだ。心臓はドキドキと脈打っている。


 くそぅ……あれだけ触れられておいて、不快感を覚えられなかったことが逆に腹が立つわね。


 これから私とは別の女と会うというのに、チャラチャラするんじゃないわよまったく。



 真っ赤になった自分の顔を誰にも見られないように。


 私は自分の手で顔を必死に覆いながら、足早にこの場を立ち去った。



 そんな私の姿を、花屋の屋根から一羽の奇妙なカラスが真っ黒な瞳でジイッと見つめていた。

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