第52話

 白竜はゆっくりと躰を起こした。


 背中に負う翼がゆっくりと開き、そして閉じた。しかし、何と優美な生き物だろうとティム・ライムは思った。見上げるような大きな体躯なのに、動いたところで一切の音を立てない。差し込む光が白鱗に当たり光を放つようだった。



 白竜は三人を見下ろし、そして一人一人を見ながら「エリス・ヘイドン。あなたが持っているのは《檻》。多くを封じ込める。アニー・コルトは《鎚》。叩き砕いて弾き飛ばす」



「あなた方代行者はそれぞれ神の祝福を握りしめてこの世界に誕生しました。中でもティム・ライム。あなたは格別の賜物を持っていますね」

 ティム・ライムは首を傾げた。自分のろくでもない人生で賜物などあっただろうか。唯々空虚で目的もなく意味もなく生存しているだけの人生だった。息を吸い、そして吐き出した後で消え去ったとしてこの世界は何の痛痒も覚えないだろう。



 首を傾げるティムを見て白竜は微かに微笑んだように見えた。

「あなたの気持ちが伝わってきますが、実は神の代行の内でも最も寵愛を受けているのがあなたなのです。人とは誰もがその人なりの恩寵を握りしめて生まれますが、それに気付かずに寿命を終える事も又多い。このような事態になって初めてそれが輝く時が来る」



「―――僕はこの二人のようなものは持っていないですが」

「あなたの賜物はその《舌》。この世界で話される『言葉』をあなたは無条件に使用することが出来る。これが破格の賜物でなくて何でしょう。あなただけには言葉の分断が無い。言葉でコミュニケーションできる生き物であれば、どの生き物とでも意思を伝え合えるのです。ティム・ライム。言葉を使うものは言葉に使われるのです。あなたはに分かるはず。神の賜物を活かしこの世界に救済を与えますように」



 白竜は言いたいことは語り終えたのか、目を閉じそして大きな翼でその体を覆った。

 ―――賜物。

 ティムはその瞬間新たに蘇った記憶にうろたえる。

神を名乗る不景気な事務の女の顔。女に掴まれる襟元。引き寄せられて無理やりに唇を奪われる。厭らしい煙草の匂い。突き飛ばそうとしたが驚くべき力で肩を掴まれる。舌をぬるりと差し込まれる。背筋に怖気が走りながら思わず自らの舌でそれを押し返そうとした。相手の舌を押し出したと思った時に走った鮮烈な痛み。出血したのではないかというほどの痛み。


 強い痛みでそのまま気を失うティムの目の端に垣間見えたのは、確かに光背を背負う黒髪の女神の姿だった。



「具体的にはどうするのさ?」

アニー・コルトがカットグラスの中に入った琥珀の液体を舐め乍ら言った。革張りのソファーにむき出しの両足を折り畳み、器用に抱え込みながらグラスを傾けている。

白竜の巣を出て十四日。一行はパストンまで戻ることが出来た。そもそもは下り道で足が速かった事に加え、今回は道中に賊の類もなく順調な旅となった。


 戦士のバルゲンと司祭のクレニールは、別れ際には微笑みを浮かべ「又なにかあれば声を掛けて欲しい」と言ってくれた。二人とも面白い旅だったと思った様だった。



 そのままエリスを加えた一行はアニー・コルトの隠れ家に腰を落ち着けた。盗賊のダグがすっと姿を消したと前後し、Dがふらりと酒の入ったボトルを手にして現れたのだった。

 吹き降ろす風が窓を叩いた。安普請の窓がガタガタと音を鳴らして揺れた。暖炉で燃えている薪が小さく爆ぜる音がした。

 ティム・ライムは窓から街を見た。



 街には赤や黄の小さな灯りが光って街路を照らしている。そう言えばもう年の瀬だったのだなとティムは思った。思ったよりも人通りは少ない。ここが裏通りだからかもしれないが、この国が侵攻を受けているという事も影響しているように思った。

 うっすらと暗い話題は人々の間を染みわたるように広がりそして影響を及ぼす。その影響とは常に疑心や不和、そして混乱なのだ。

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