第40話
耳元でガンガンと音が響き、鋭い叫び声が聞こえる。
うるさいな。
そう、ティム・ライムは思った。もう少しでいい考えがまとまりそうなのに。
濁音の多い聞き取り辛い言葉が響いた。
アニーの鋭い声が響いたような気がしたが、ティムは目を開きたくなかった。世界は争いばかりだった。殆どの争いは不審と恐怖が呼ぶ。つまりは無知が争いを招く。
「いつか協定や破られて、侵略を受けるのではないか? そのための防衛戦争は許されるはずだ」といった恐怖が戦争につながる。
―――だからスパイが必要になる。
相手を知りたいという単純な、しかし熱烈な動機の為に、それを知りに行くスパイが必要だと思った。長く歩き、それを見に行き、そして帰って来る者が必要だった。
「旦那。ライムの旦那」
今度はハッキリとした声が耳元で響き、ティムは漸く目を開いた。
ダグの青白い顔が目の前にあった。
「旦那。厄介ごとです。襲撃を受けてアニーの姉さんが攫われました」
ティムは目を見開きながら、何かの間違えだろうと答えた。誰が攫われることもあり得るが、アニー・コルトだけはありえない。
立ち上がり見てみれば、木々の間に武装したコボルトとゴブリンの死体が転がっている。戦士職のバルゲンが残党と見えるコボルトを捉えているのが見えた。魔術師のエリスが魔法を唱えているのが見える。彼女が杖を振るとバルゲンの背後に迫っていたゴブリンが膝を折り、倒れた。
確かに、アニーの姿がみえない。
「寝込みを襲われました。まさかこの規模のゴブリンどもに襲われるとは思っていませんでした。アニーの姉さんは何か魔法にかかったようです。攫われていきました……」
ダグはさすがに悔しそうな顔をして、告げた。
アニー・コルトが攫われたという事実がティムを困惑させる。攫われるような目に合うようだったら、すぐさま殴り飛ばしそうなものだ。
数瞬の後、剣戟の音は止んだ。
ゴブリンやコボルトといった亜人種の傷を負った呻き声が森の中に響いた。
「すいません。迂闊でした」
バルゲンは剣を腰に収めながら悔しそうに言った。
「何故襲われたのでしょう? 金目のものがありそうにも見えないだろうし、武装した男が数人いるんです」
ティムは少し首を傾げる。
聖職者のクロニールが熾火になっていた火に薪をくべて炎を大きくする。
辺りが見えるようになると、コボルトとゴブリンの死体が、三つ四つほど転がっている。うめき声が上がっているので、まだ生きている者もいるようだった。
「モンスターに理由など求める方がおかしいですかね」
「おかしなことを。全ての事には理由があるものです」
ティムのボヤキに似た言葉に答えたのは、魔術師のエリスだった。フードを払って紫がかった黒髪を露わにしていた。
「これを見てみてください」とエリスが薄汚れた籠手を手渡してくる。薄汚れて泥に塗れている。触りたくなかったが良く見ると、三つ首の竜が書かれた小さく書かれているの見えた。
三つ首竜はベゼリング帝国の紋章だった。
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