第38話

「実はね」とアニーが小さな焚火に手を当てながら言った。

「この男はアタシのストーカーなのさ」


「なんだって?」とティムは少しうんざりしながら答えた。

 そう答えて、少し止めれば良かったと思った。別に聞かないでもいい話に違いないのに、こう答えたことで、アニーはそれを説明するだろう。



 アニーの左後ろにいる男はしっとりとしゃがみこんで、黒いブーツのくるぶしの辺りを撫でながら話を聞いている。


 ―――確か。

「ダグさんでしたっけ。なんか言われていますよ。言い返さないとこの人は延々と言い続けるでしょ。言い返した方がいいですよ」



 ティムは焚火の燃え端で温めていたワインを手に取ってゆっくりと啜った。

 豊かな味が口腔に広がる。あぁDは良いワインを持たしてくれたんだなと分かる。段々とルター山脈に近くなるにつれて、寒さは厳しくなる一方だった。



 パーティは峠を抜けて森の中を進んでいた。

森の中は光が差さず、昼を過ぎて少し夕暮れ時に差し掛かりでもすれば、まるで夜のように暗くなる。ぽっかりと開いた空き地を見つけては小さな焚火をつくり、そしてそれを囲んで野営を続けている。



 今日は場所も広く二つ作ってそれを囲むように暖を取る。ティムは古い灌木の根っこに体を持たれかけさせながら、もう何日目だろうと思いながら軽口を叩いた。

 エリスは未だにどこまでとは言わない。ただ道を差し締めるだけだった。



「いやだね。アタシはそんな嫌な奴じゃないよ。本当の事しか言ったことが無いじゃないか」

 アニーは厚手のマントで手足の長い体を包みながら、ティムと同じように暖かいワインを口に運んでいる。



 ダグはもう少しちゃんと火に当たれば良い物を、まるで影のように長身のアニーの背中に隠れるようにしている。

「本当の事を言う事と嫌な奴はあまり関連しないけどね」


 嫌な奴というのは本当の事であったとしても、場をわきまえずにそれを言い放つ奴の事で、それについては街では良く見る物だった。

 大抵言った本人は「本当の事を言って何が悪い」というが、それを言うべき時と場所が分からない自分自身の精神性の稚拙さを振り返りもしない。



「ダグは元々は盗賊でアタシが捉えたんだけどね。盗賊の腕はとても良かった。特に隠密行動が優れていたからスカウトしたのさ」

 アニーは事も無げに言いながら、小さな口の端で炙った肉を齧りながら言う。形の良い唇に脂が残るがそれを親指で拭い去った。


 そして薄気味悪い事にダグという盗賊は、その一挙動を見逃さぬかのように注視している。

「……なんで?」と思わずティムも聞いてしまうと、アニーも少し複雑と言った顔を浮かべて、「まぁアタシも最初は気味が悪かったんだけどね」と続ける。「捕らえて訊問してみりゃバックのない一本の盗賊だとわかった。その上で使ってみればまぁ何でも器用にこなすのさ。仕事をしていないほとんどの時間をアタシを見ることに費やしている以外は、そのなんだ。……優秀でね」


 珍しくアニーが頤を落として火を見詰めて言った。

 こうしてみればいい美人なのになぁとティムは思いながら、アニーを見、そしてその背景に落ち着いているダグという盗賊を改めて見る。



 小男だと思っていたが、実は姿勢が悪いのだと思った。

 フードを被っているのはパストンでは普通の事だが、この場合は職業的な事だろうか、フードを通し丸い目がぼんやりとアニーとアニーの周辺を見ているようだった。


顔を見ようとしてみたが、あまり特徴が無い。特徴がない事が才能なのだろう。大きくも小さくもない鼻と口。そして髭の類はない。少し眉が下がっていて困っているようにも見える。座り込むこともなくしゃがんだ姿勢でかかとを掴んでいる。肩のラインが呼吸をしているリズムでゆっくりと上下している。



「付きまとうのを止めろって言えば、良いんじゃない?」とティムが言うと、アニーが口を開く前に「違うんでさ、旦那。これは約束なんですよ」と意外な程太いバリトンの声がした。



 一切の濁りもないまるで歌劇で聞くようなテノールの美声。

 まるでどこから響いていたかと思った時に、茫々とアニーを見ていた洞のような目がこちらを見えていることにティムは漸く気が付いた。


「―――私がね。アニーの姉さんを眺めて居るのは約束なんですよ。これについては姉さんは何も俺を妨げない。これが私が準軍事組織に席を置く報酬の一つなんです。その代わりに私は姉さんに指一本触れません。アタシは見ているだけ。姉さんは見られているだけ。そう言う約束なんでさ」

 ダグは感情の混じらない声で言う。



「なんでそこまで」

 然しダグは「私はね、きれいなモノを見るのが好きなんです。だから貴族の子弟から商人から。溜め込んでいる物が何だろうが盗みとって眺めて居たんですがね。そんな私が一番美しいと思ったものが、この姉さんなんですよ」


「だからね。もし旦那が姉さんとしっぽりやることがあっても気にせんでください。邪魔したりなんかしやしません。私はじっと見ているだけですから」

「―――おい。なんでアタシがこいつとって話になってんだい」


「案外―――、姉さんの好みなんじゃないんですか」

 声が漏れ聞こえたのか、隣の焚火で温まっていた面々までこちらを見ている。


 ティムは両手を上げて「―――わかりました」と言った。

「わかりました。今日はもう寝ましょう。ねッ」

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