第37話

 アニーはティムが乗る馬の鼻先を掴んで、ゆっくりと壁外に足を踏み出させた。



 「六人の冒険者か」とティム・ライムは思った。冒険者ギルドから借りた戦士と僧侶。アニー・コルト、魔術師エリス・ヘイドンにダグと名乗った盗賊。専門的なスキルの無さで言えば、自分が一番このパーティに不要だった。



 そもそもなんで自分まで行く事になっているんだろう。ゆっくり進む一団の中ほどで馬を進めながら自問自答する。



 冒険者が活躍するような市街の外まで行くのは初めてだった。

 市街を出てしばらく歩いただけで石畳が途切れ、草が薄く茂る丘陵を越えた。もうそこは都市のルールが通用しない荒野に入っていることがティムにも分かった。先頭をアニー・コルトが騎乗して進み、一番最後に戦士職の男と僧侶が占めていた。



 遠くに白い雪を被ったルター山脈が見える。ティムが子供の頃はあの山脈の先は世界の断崖だと教わったものだ。その蒙昧は冒険者という世界を開拓する目が明らかにし、その先は大きな海原が広がっていることがもう分かっている。


 

 聞いてみればルター山脈の中腹が目的地だという。魔術師でもなぜわざわざそんなところに住むのか。



 アニーが気安くエリス・ヘイドンを名乗る魔術師に聞いていたが答えはなかった。

 身震いがしてティムは厚手のローブの前を押さえる。手が切れるような厳しい寒風が山並みに颪吹雪となって、一団を無口に変えてしまった。



 綺麗に石畳が敷かれた街道は、やがては玉石を並べただけの道になった。そしてついには、草が生い茂る草原抜ける、まるでナイフで紙に傷をつけたような細い細い道となった。


地図に明記している街道とはこういうものなのかという事を街で育ったティムは初めて知った。



 森の奥深くを通り抜ける時には、日が高い時間であろうとまるで夕方のように薄暗がりとなった。森を抜ければ差し込む強い日差しに照らされて、ティムはその度にフードを引っ張り上げて顔を覆い、片手で目を覆った。



 街道は静かなものだったが、時折擦れ違う荷を負った行商人たちに聞いてみれば、彼らは「質の悪いゴブリンどもを見かけるようになった」と腰に差しているナイフの柄に手を当てながら答えた。



「へぇ、最近の事かい」とアニーが腕組みをして言うと、「最近だね。この辺りにはさすがに野盗紛いのモンスターの類は出なかったが、近頃は食い物やら娘やらが襲われる」と答えた。



「町には被害届をだしているんですよね」とティムがいうと、「そりゃもう」と、もう一人の初老の男が答えた。



「この辺りはまだマルメに近いですからね。すぐに届け出は出しているんですが、なんですか。テムゼンが厭らしいベゼリングの連中に襲われているっていうじゃないですか。そのせいか上手く取り合ってもらえんのですわ」



「そりや、大変だ」

 ティムは言い淀みながら、これくらいの事しか答えられない自分が少し恥ずかしかった。とはいえ自分に何ができる物でもないのだが、役人として過ごした日々が、自分の良心をそっと抓り上げる。



 行商人たちはこなれた様子で下ろした荷を背負い直して、腰をかがめて挨拶をしマルメに向かって歩み去って行った。



「……自分たちの仕事も少しはありそうって事ですかね」

 その背中を見送りながらスケイルメイルに身を包んだ戦士職のバルゲンがティムに話しかけた。



 Dはこの異常時にでも意外なほどの気遣いを見せ、わざわざ公費で冒険者組合から戦士職と聖職者の二人の冒険者を雇っていた。



 バルゲンは中年の男性だった。もう何年も冒険者としての生活を行っているというベテランだった。使い込んだスケイルメイルとロングソードを腰にしている。ごま塩の頭を短く刈り、顎髭を少し伸ばした、言ってみればどこにでも良そうな男だった。



「あまり……ぞっとしませんな」と聖職者の男が、バルゲンの言葉を引き取るように後を続け、そっと目を伏せ手で聖印を切って祈った。確か聖職者はクレニールと名乗っていた。聖杖だけではなく小ぶりのバトルハンマーを腰にしている。バルゲンとは長い付き合いというので、それなりに熟練した冒険者なのだろうと思った。



「どうでしょうね。大群でもなければ問題は無いですし、向こうもわざわざ襲ってくることもないと思いますけど」とティム。


「まぁ私らは一ヶ月の護衛という事で雇われたので、どこに向かうかもよく分かっていないのですが、そんな厳しい事にならんと良いですなぁ」とバルゲンは顎の髭を指先で摘まみながら、のんびりと答える。

世知辛い冒険者の、それも戦士職にしてはどうも街の商家の旦那のような話し方をする男だった。



「……実は僕もちゃんとは知らないのです」

「ふむ。ではあの魔術師の美女が行き先を把握しているって事ですか」



 バルゲンは少し小声になりながら、顎でエリスを差す。

 エリスは幾夜か共にして、打ち解けつつある一団の中でも超然とした態度を崩そうとしていない。とは言えそう言った態度は魔術師には珍しくないのだが、バルゲンが声を潜めたのは、一切の情報を開示しない魔女に対する嫌悪が滲んでいたからだとわかった。



「私たちは仕事なので、是も非もないのですが、パーティである以上は一蓮托生ですからね。行先も分からないというのはさすがに不安ですね」とクレニールがスタッフに体重を預けながら話を続ける。



「まぁ仕方ない。おいおいそれも分かって来るんじゃないか。この方向だと山脈の方だ。あとは森があって奥は岩稜になる。どこかの洞窟に潜り込むんだろうよ」



 バルゲンは努めて楽観的な声を出して、「あぁあの赤毛の方が睨んでますね。そろそろ行きましょう。しかしあの方もびっくりする美女ですな。眼福ですよ」とティムを促した。

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