第34話

「《箱》の居心地はいかがだったでしょうか」


 ティムが気が付くと薄暗がりの、ぼぅとした灯りの着いた部屋に中腰になって体を抱えていた。女魔術師は意識を失う前と変わらない姿勢で涼し気にティムを眺めている。



 ティムは顎から力を抜いて血のにじみ出した舌を解放する。ゆっくりと倒れた丸椅子を取って腰を掛けた。


 両手をテーブルの上に置くと血が滲んだ左手の人差し指の爪が見えた。剥がれかけていて爪の半ばまでは赤黒くなってしまっていた。椅子に腰かけて背中を伸ばすと、最後には耐え難い痛みとなっていた背中の筋肉がゆっくりほぐれるようだった。



「少しは『良い子』になって―――」

「今すぐその箱をオレの前から退けろ」


 ティムは女魔術師の声を遮って言った。爪が痛い。そして背中は何かに刺された物の為か腫れ上がっている。つまりは幻覚の類ではない。


 女魔術師はおとなしく黒い箱を手に取ってローブの中にしまい込んだ。

「―――拷問による自白には効果が無いという事はわかるか?」とティム。

「勿論承知しています」


「だったら」

「どちらでも良いのです。この《箱》の中での発言は私と私が許可したもの以外に把握できるものは居ません。したがって今あなたが、容疑を否認されることも別にかまいません。あなたが自発的に認めるまで《箱》に閉じ込めてもいいのですよ」


「やってみろ、今度は即座に死んでやる」

 そう言ってティムは美しい女の白い面を睨みつけた。

 女魔術師は小さく溜息を着き「まずはっきりさせますが、自分ではないと仰るのですね?」と言った。


「勿論違う。そして、そのお前らもダンジーさん、ダンジー・ポロックには聴取したんだろうな? 今あの人は何処にいるんだ」



 そこまで言った時、女魔術師の背後の扉がノックされる。

 女魔術師がふと小首を傾げて振り返ったと同時に、真っ白い白髪が見えて、ティムは自分の命が繋がった事を悟った。



「―――あぁいたいた。容疑者確保、容疑者確保。塔の自衛部隊の皆様ご協力ありがとうございます。凶悪な容疑者なので、注意してください。容疑者確保」


 顔を上げるとDの白い顔が、薄く開いた鉄の扉の間から覗いた。

 Dの背後から押しかけて来た青いローブの一団が寄ってたかってティムを机に押さえつけて、後ろ手に拘束を受けた。


 そしてティムは喜んでそれを受け入れた。

 とにかく目の前の魔女から遠ざかれるのだったら、拘束されてようがどうでも良い事に思えた




 空はパストンらしい曇天だった。

 北国であるパストンは一年の大半は曇天に覆われる事になる。他国の人間が毎日この天気を見れば、しまいには陰々として気が塞ぐと言い出すものだが、生粋のマルメっ子に言わせれば、逆に落ち着く空という事になる。



 判事役であるデビアン司祭の濁った眼を見ながら、ティム・ライムは裁判の行方をうなだれたまま聞いた。


「……被告であるティム・ライムは昨晩未明に逃亡を図り我々情報部局のメンバーにて捜索したした結果、パストン公国所属『魔術師の塔』にて拉致されていたことが判り―――」


「異議を申し上げます、判事。原告の主張は疑義のある表現です。拉致ではなく、協力を求め聴取をしていたにすぎません」


 青いローブを来た魔術師と思しき初老の男がやる気もなさそうに言った。

「……原告は正確な表現をするように」


 デビアン司祭はやる気もなさそうに、まるで投げ出すように言い放った。

 ティムは被告だった。

 そして呆れた事に原告はDだった。

 ティムは、逃亡の罪でDに訴えられることになった。

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