第33話
目の前の女は小さく笑って机の上に縦に少し長い方形の黒い箱を置いた。
「あまり手が掛かるようなら《箱》を使いますよ」
「箱?」
「これは……なんでしょうね。便利なものなのです。私にとって」
「それは」とティムが言いかけたところで、女は可憐に笑い「何事も体験が一番ですよね。楽しんでください」と言い、箱の上部を軽く指で叩いた。
途端にティムは強い眩暈がして目を閉じる。そして眼を開けると又真っ暗闇の中だった。
もう既に椅子に座っていない、丸椅子などどこに行ってしまったのか、中腰の不安定な姿勢で暗がりにいた。
背を伸ばそうとすると直ぐに頭がつっかえて伸ばせない。かといって座り込もうとするとそのスペースもなかった。
両手で周囲を探ると石のような感触がある、しかしどちらかと言えば棺に近い印象があった。ひっかいてみたが傷がついたような気がしない。余り強くひっかこうとするとティムの爪の方が割れそうだった。
「なんだこれは」
震える声が漏れた。段々と暗がりが圧迫感を持って迫った来るような気がした。眠ってしまえばいいだろうか。しかし、この姿勢だと体を寛がせることが出来ない。背を伸ばすことも座ることもできず屈みこむ姿勢で絶えずどこかに持たれるのだが、直ぐに負担のかかる膝や腰が痛みだして、姿勢を変えなければならない。
「―――なんだこれは! 出せ、出してくれッ」
ティムは精いっぱいの大声を出したが、声は響きもしなかった。
もしかして、ずっとこのままなのか?
ティムは恐慌に襲われる。
「おい、誰かッ、誰かいないのか。誰でもいい、誰かッ。わかった話す、全部話すからここから出してくれ!」
思わず壁を掻きむしると、爪の先に鋭い痛みが走る。何かに引っ掛かり爪が剥がれかけた。思わず指を口に含むと鉄っぽい血の味がした。
―――なんだってこんな目にッ。
目尻に涙が滲み、歯で指先を強めに噛む。吹き上げるような怒りが こみ上げ来るがどうすることもできない。
ふいにくるぶしに何かが触る様な感触が走った。足を踏みかえると、何かクッキーのような何かを踏んだ音がした。耳朶に小さな何かがはい回る音が響き始めている。
恐怖に駆られるが身動きが取れない。足の小指の上を何がが通り過ぎて行った感触がする。
虫なのか。何かの……。
首筋にボドリと何かが落ちてきて背中を掻かれる。ティムは大声で叫びを上げながら、払い落したが、何か強く咬まれでもしたのか強い痛みが走った。
壁のどこかにもたれたかったが、虫が這いまわっていると想像しただけで背筋に怖気が走る。中途半端な姿勢で屈んでいるうえに、真っ暗闇なので平衡感覚がおかしくなってくる。気絶したいが気絶した途端に這いまわるに何かに襲われると考えただけで気がおかしくなりそうだった。
ティムは躰を不自然にこわばらせながらひたすら耐え続ける。涙を流しながら「もう言う、すべて言う。僕だ。僕がやった。そうだ売りわたしたんだ。このこの国を売りわたした。もういいだろう? 頼むここから出してくれッ」
ティムは早口で幾度も繰り返すが、返答する声はない。
―――そもそも、ここは何処なんだ。そして誰か外にいるのか?
自分が見捨てられた山深い石室に放り出されていることを想像した途端、ティムの口からは叫びにならない叫び声が漏れ、そして喉が張り裂けんばかりに吠え続けた。
正気の閾値を超えて徐々に狂気が押し寄せてくるようだった。
しかし、いっそ狂ってしまった方いいのだろう。そしてそうでなければ死ぬべきとティムは漸く思い至る。
―――どうしてもっと早く思いつかなかったんだ。
ティムは嬉々として舌を奥歯に乗せて、強く咬み切るべく生涯最後の努力を始めた。
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