第29話

「では、『魔術師の塔』を検討するのは妥当と言えば妥当。とはいえ、僕が受け取ったダンジー・ポロック氏が行方不明であるという状態は一昨日から変更なし。塔に確認を求めるとすれば、ここだとおもうけどね。直接『魔術師の塔』に言っても、門前払いは、そっちだってわかっている筈じゃない」


「眠たいこと言っているんじゃないよ。そのダンジー何某というおっさんについて聞こうとしても、相も変わらずあの組織は何も教えちゃくれないじゃないか。だったら直接責任者とやらを締め上げるんだよ」



 アニーは目線をティムに送り「そんな悠長なことを言っているようじゃ。まさか本当に縛り首になりたいんじゃないだろうね。そう言う趣味があるって事なのかい?」


「なんだよ、趣味って」

「首を絞められないと勃起できない男がいるって聞い……」

「はい、違います。悪かった。オレが悪かった」



 ティムは聞きたくない単語を遮って答える。

 そして最後には『魔術師の塔』への直接の調査に同意をした。正直手立てが見当たらないという事もあった。ダンジー・ポロックの姿がすっかりと掻き消えている事が心配だった。


 気の良い釣り好きの中年に過ぎないダンジー・ポロックが他国に機密を売る様な事をしていたとは思えない。ただし、事件に巻き込まれたという事はありえそうだとティムは考えていた。


 アニー・コルトは立ち上がり「明日、朝一『塔』に向かおう。アンタも少しは寝ておくんだね」と言った。


「どこへ?」

「どこへも行くんじゃないよ。ちょっと野暮用さ。呼び出されている」とアニー・コルトは連絡用のアーティファクトを取り出しながら、足音も高く扉から出て行った。



 ティム・ライムが気晴らしに外に出てみると、すっかり夜も更けていた。

 数日は暖かかったが、今夜はパストン公国らしい厳しい寒さだった。フードを被りなおしてティム・ライムは緩く街灯が灯っている街の繁華街を、まるで影のように歩いた。


 いったい自分は何に巻き込まれているんだろうという素朴な疑念が胸に浮かんでは消えた。ベゼリング帝国とパストン公国の、所謂伝統的な不仲はティムが生まれた時からそうだったことで、今更と言えば今更という感覚だった。


 とは言え、国境を破って砲撃を加えるという暴挙を、隣国が行うとは夢にも思っていなかった。パストン公国のいわゆる行政の臣民でこの事態を想定した人間はどれくらいいたのだろうか。


 多くの冒険者が街にあふれ始めて、ガチャガチャと金属鎧の音を立てている。ハーフリングが踊るような足取りで、ゆっくりと歩くティムの横を駆け抜けていった。

自分がこの情報を漏洩しているのではないのは間違いない。しかし、このタイミングで何故前世の記憶など蘇ってきたのか。


 宿屋の丸い看板を見て、自分を撃ち殺した銃口の丸い穴を連想してティム・ライムは顔を顰めた。いつまでたったらこの記憶から逃げられるだろうか。


 英国とソビエト連邦は第二次世界大戦を一緒に戦った連合国だ。然し戦後、瞬く間の間に仮想的になった。ティム・ライムにとって敵と言えばソ連邦のスパイだった。忌み嫌っていたと言っても良い。

 ソ連邦のスパイ組織と言えばKGBだった。その冷酷な所業の為か、ティムはその名前を聞くたびに背筋に怖気が振るう。


 レーニンが謳った共産主義の理想が英国の自由主義に勝るかどうかは考えた事はなかった。つまりはティム・ライムにとってスパイは、冷戦を戦争ではなく単に仕事だったに過ぎず、その意味で前世のティム・ライムは職業的なスパイであったと言っても良かった。

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