第28話

 風が肉の焦げる香りを部屋に運び、クルツは悪夢を振り払うようにして首を振る。結局のところ、生きることは争いであり、弱い自分は何かを差し出して力を得るほかない。


 

クルツはそう思いつつ、結局のところ差し出したものがこのテムゼン市に生きる市民の血であり自分の血ではないという重要な事実に自覚はあったが、パストン貴族に虐げられた市民の旧剤というお題目を盾に巧妙に自らの目を背けた。。



 ただし、最早逃げも隠れもできないとクルツは暖かい肌に顔を埋めながら思う。黒焦げになって、まるで助けを求めているような手が、子供の手の大きさだった事に気が付いた今となっては尚更の事だった。



 エルシャンドラは胸元に抱え込んだ男に強く腰を抱きしめられながらも、男の顔色を窺う事を止めなかった。本国であるベゼリング帝国からの指示は内乱の演出で、この工作がベゼリング帝国は隣国に対する侵攻を行ったのではないと、外交的に言い切るために、重要な一手になることは明らかだった。



 クルツにはテムゼン市がベゼリング帝国に併合になった際には、ベゼリング帝国内の貴族となることを、ベゼリング帝国国王が内々に承認していると請け負っている。

 そしてそんな事実が無いことをエルシャンドラはまだクルツに言う気はない。いや果たして言う機会はあるのだろうか。エルシャンドラは胸元を強く吸あげられながら、そんな機会は訪れることはないのだろう。いつもの事だと、そんな風に思った。





「無謀すぎる」とティム・ライムは腕組みをしながら言った。

 アニー・コルトは呆れかえったとでも言いたげな顔を浮かべて、天井を仰ぐ。「だからってどんな手があるのさ。ティム容疑者。えぇ? 勘違いしていないだろうね。アンタ、容疑者なんだよ」



 ティム・ライムはアニーとは対照気味に、床の禿げ掛けたカーペットを落ち込んだ。カーペットは昔は年代物だったようだったが、既に大半は色を失い剥げかかっている。我が身を重ねて先の無さに思い至ると途端に憐れみを感じる。



「……だからって塔に正面から言っても、追い返されるに決まっている。当たり前じゃないか」

 ティム・ライムはボヤくように言葉を続けたが、アニー・コルトは耳を貸さなかった。



「あんた、自殺願望もあるのかね。兵器省でないという事は『魔術師の塔』を疑わざるを得ない。そうでなければあんたがつるし上げられて、一件落着となる」

 アニー・コルトはそう言った後で「まぁそれも楽っちゃ、楽だからね。アタシ的には良いんだけど」と続けた。



「―――なんて言い草だ。まぁいいさ。状況を整理しよう」

 ティムは足を組んで腹の上で手を合わせて中空を睨んだ。



「まず、兵器省は容疑から外す。レナード技官に対する非合法的な取り調べを鑑みてなかったとする決断をDがしたと。兵器省は開発と施工については、技官ベースで担当を添えるんだそうだよ。その技官が必要な魔術式や触媒、それを備える危機の構造を割り振って、それぞれは要は部分部分でしか、自分の仕事に携われないんだそうだ。全体の絵を知っているのがレナード技官一人、レナード技官は絵をバラバラにして、部分部分に担当者に割り振るみたいな形になっている。量産体制に入る前の話だし、レナード技官に知られずに情報の漏洩が起こりえるとは思えない」



 アニー・コルトはいつものように机の上に両足を組んで投げ出して、天井を見ているようだった。

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