第23話
「ご本名をね。ヒデガル・ド・アラ・パストニア男爵とおっしゃるんだそうだ」とDは手元の書類から目を離さずに言った。
「アラ・パストニアって事は」とティムは眉間に深い皺を寄せた。
「そうだね。さすが元連絡将校。良く知っている。立派な。その……立派どころじゃないけど、なんと公皇継承権をお持ちの貴族中の貴族だね」
Dは深いため息を付いて、書類をテーブルの上に投げ出して言葉を続けた。
「あの助平が意外だねぇ」とアニーは椅子から立ち上がりもせずに、ふんぞり返って大声で言った。
郊外の倉庫の一件から丸一日経過していた。
アニー・コルトが芸術的なラッシュでシェイプシフターを殴打した後、グリーンとオレンジの双子はどうやったのか応援を呼んだ。
ところがそれとは別に騎士団所属の男たちも一個小隊やって来て、現場の保全の権利を巡りアニー・コルトとその小隊長は言い争いを始めた。ティムはヒデさんと名乗った男、つまりヒデガル男爵が耳元に何かを当てていたところを見ている。今から思えばアーティファクトの類だったのだろう。
騎士団小隊長はまず目の前の娼婦のような恰好の女が、準軍事組織のリーダーとは認めず(当たり前と言える)、相当のひと悶着はあったのだが、最後はわざわざDを呼び出す有様となり、場を漸く収めることができた。
ヒデガル男爵は騎士団で保護され、レナード技師はアニー達が連行するという事で痛み分けとすることになった。
そこまで整理されるうちに日は登り、ティムは徹夜となったことを知ったが、Dに呼び出され情報局の局長席で頭を突き合わせる事となったのだった。
「―――ヒデガル男爵がベゼリング帝国に情報を漏らしている形跡は、その当然ながらない。彼がそうして得になることは当然ながらないしね。ヒデさんが主にお世話になっていたクレイトス商会にしても公王御用達。色々便宜を払うと同時に彼のお目付け役でもあったそうだ。そりゃ軍事組織だって怖くないさ。だってバックは王室なんだから」
Dはテーブルの上にあった煙草に火を点けて煙を吐き出しながら言った。目頭を押さえている所を見ると、煙が目に染みた様だった。
「―――元の木阿弥かね。レナードは今ウチの方で絞っているが、どうやら何もでなさそうだね。ヒデさんとやらがベゼリング帝国に情報を流しているというところを追いかける腹だったんだけど、飛んだ期待外れさ」
「まぁレナード技師もまさか自分のポン友が貴族とは思ってなかったんだろうしね。そりゃ調べても分からないよ。男爵がまさか下町で女遊びなんてね」
「まだダンジーさんは見当たらない?」
ティムは天井を見上げている二人を見ながら口を挟んた。
「……そうだね。ティム君……ティム容疑者は気持ちの切り替えが速いね。確かにダンジー・ポロックの姿は見えない。というか今は立派な行方不明になっている」
「なんで今言い直したんですか?」ティムはダンジーの髭面の笑顔を思い出す。釣り好きのドワーフ似の中年。どう考えても陰謀などに関わる様な人生を送っているようには思えなかった。
「ダンジーさんはあまり、そういう、陰謀とかに加担するタイプじゃないと思うんですけどね」
「人は分からないよ。大体君だってダンジー氏の一生を隣で見ていた訳じゃないんだろう。どこで何が起こっているか分からないさ」と、ティムよりもはるかに長い時間を生きてきたDが、何でもない事のように言った。「ただ、このタイミングで姿を消しているのは偶然じゃない。当たり前だよ。犯人なのかあるいは何かに巻き込まれているかだろうね」
「魔術師の塔の方はどうなのさ。そのダンジーとかいうおっさん以外だって関係者はいるんだろう」
「いい質問だ」とDはアニーに答える。「僕も実はあの組織の事は最低限の事しか知らないけどね。当たり前に考えてみれば、この広域魔術を開発した魔術師、そしてその周囲にいる関係者、そしてティム容疑者に連絡を繋いだ事務員のダンジー・ポロック氏。以上三人が魔術師の塔の容疑者と言える」
「少ないじゃないか、つまりは全員とっ捕まえて締め上げてもいいって話だ」
アニーは背もたれにもたれ背を反らしツンと尖った形のいい鼻先を天井に向けている。良く見てみると目を瞑っていたので実は眠いのかもしれないと思った。案外面倒くさいと思っているのかもしれない。
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