第16話
兵器省技術担当官レナード・ヘスは安っぽい布張りソファがコの字に設えられたボックス席に座って目の前の舞台を眺めながら、グラスに継がれた強い蒸留酒を舌先で舐めるようにして口に含んでいた。
魔力を光源とした怪しげな紫色の照明が暗い舞台に光を投げかけている。低くドラムの音が響き、小さく弦楽器で節のついた音楽が流れて、それに合わせて女性が舞台の上で体をくねらせて踊っている。
それをレナードは半ば閉じたような濁った眼で見ていた。
「―――待たせたな」ボックス席に滑り込んできた大柄な男が言った。
「遅かったな」とレナードは顔も向けずに答える。
「会場とキャストがそろわなくてな。そろそろ行こうか」
レナードと男は連れ立って席を立つ。店内の席はぼつぼつと空席はあったが、座り込んでいる男どもは血走った淀んた目で舞台を眺めている。
店を出て男と連れ立って歩きながら、レナードは忍び寄る寒さに外套の前を閉じた。さすがに寒さが堪える歳になったと思ってやや落ち込んだ。兵器省を管轄する外套を着るわけにもいかず、市民が良く着る濃紺の外套を着ているが安物だったので、突き刺すような寒さが忍び込んでくる。
「なぁ、ヒデさんよ。なんでったってこんなところで待ちわせにしたんだ」
「いや、まああまり目立ちたくないだろ? あんた。役所勤めなんだから」大柄な男は禿頭を撫でながら答えた。
男はマルメ市でも有数の商家の三男だと名乗っていた。レナードとは呑み屋であった。泥酔したのちに意気投合して、マルメ市では少ない非合法の風俗店を巡り歩き、気が合ったのでそのまま度々行動を共にする仲になった。
曖昧な素性と名前以外はほとんど相手の事を知らない。知らないが、自分と同様の偏執的な女好きであるという事だけで何となく満足していた。
「目立ちたくはないけど、リザードマンの雌専門のストリップったって、あんた。そう言う趣向があったの? 俺悪いけど全然そういうところピンときていないけど」
「俺だってそうだよ。あんたがこの間言っていたんじゃん。こういうのあるんだよって、おもしろそうじゃない? って。だから俺は気を利かせたってわけさ」
男は頭を禿頭をつるりと撫でながら口元をへの字にして言った。
寒くないのだろうかとレナードは思う。見れば頭に脂がてっかりと浮いているのが見える。ヒデと名乗っている男は呆れた性欲の持ち主で、相方となった女性も最後や嫌がられてしまうほどのしつこい。その彼の事、蓄えている脂分で寒さは感じないのかもしれない。
「まぁまぁ。レナさんも今日はびっくりするから。すごい良い女ばかり用意したからさ」とヒデさんは取りなすように続ける。「でもさ、良いの? こんなことしてて。聞いたよ。テムゼン市の話。レナさん。公務員なんでしょ? こんないけない事に繰り出しちゃってさ」
「良いんだよ。俺なんかいても役に立たないもの。どうせ出世もしないしクソ真面目にしても、碌な事無いんだから適当に遊ばせてもらわないと」
レナードは小さな声で言った。
実際どうなんだろうと思わないでもなかった。ニュースは兵器局の事務所に併設している食堂で聞いた。上司とそのまた上の上司が顔面を蒼白にしながら、局長室に駆け込んでいった姿を見て、レナードはそっと早退した。
どうもこうもなく、現在鋳造中の魔道砲に酷似している兵器でテムゼンが砲撃されたという事実は局としては看過できるものではなく……。ついでに言えば。もっとついでに言えば、一応主任技師として任命をされているレナードの目から見れば、その兵器は酷似ではなく、正にそれそのものでしかなく、つまりは局の中で情報漏洩がある可能性は否定できるはずもなかった。
そう考えただけでこの寒空にじっとりとした汗がこめかみを伝うのが分かった。
上司もそのまた上司も、おそらくは情報漏れの可能性を検討して調査をしている筈で、レナードはあっさりとその手助けを放棄してしまった。犯人捜し命じられたらと考えただけでも嫌になった。
兵器省に勤めている人員は、下請けとなっている工員を覗いても三百名を超える。関連する人間を調べていくなど事実上不可能だと言える。とはいえ、局は犯人を見つけるか、あるいは情報漏れはないと強弁しつつ無理やりにでも人員を入れ替えて自浄を測ろうとするだろう。いずれにして厄介ごとには変わらず、レナード自身の首も過去最高のレベルで曖昧なことになっている。
少し前を行くヒデさんのぶ厚い肩を眺めながら、どうして自分はこうなのだろうかと、普段思いもしない自問を感じた。別れた妻にも「あなたは病気なのよッ。この女狂いッ」と罵られたことを思い出して、薄く目を閉じる。
異常でも狂ってもいないとレナードは思う。
人は皆、人生に付き物の不遇や不本意や不都合を、それぞれの方法で解消したり目を背けたりして毎日を過ごしている。酒を飲んだり観劇したりそれぞれの解消法はあるのだろうが、自分の場合はそれが女の肌であるというだけだった。
自分の中に煮え滾った溶岩のような岩があり、女の白く底光りする肌から滴る脂でそれを溶かして漸く日々を送っている。
結果として妻はレナードの言っていることが理解できず離縁となったが、逆にレナードは解き放たれたような思いだった。
物思いに耽っているとヒデさんが「おっ着いた着いた」と野太い声で言った。
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