第2話

「あなた。厭だわまた開けっ放しで」


 

 妻がそっと背中に抱き着いてきた。エルフにしては立派な胸が背中に押し当てられ、昨晩のお楽しみを思い出して、タニスはやに下がった微笑みを浮かべた。

「お前、そんな人前で」と言いながら腰に回された細い指を握りしめた。



「あら、またあの人いるわね」

 エルフは眼のいい種族なので、妻は直ぐに気が付いたようだった。老眼が入りつつあるタニスにはまだ見えないが、おそらく車椅子の物乞いの事を言っているのだと気が付いた。

「嫌ねぇ、可哀そうだと思うけど。お店の周りに住み着かれるのは困るわ……」

 タニスは黙って頷きながら妻の肩を抱いた。



 ぼちぼちとローブを来た勤め人の影が、朝靄を透かして見えてきた。

 パストンは”外套の国”と称される程、ローブの普及率が高い。

 寒さが厳しいので伝統的に防寒具としてローブが普及した。その内に官公庁の制服として使われるようになり、色とりどりのフードのあるローブがあらゆる所で見かけられるようになった。



「あら、あの方」と妻が言う。

「あぁ、あの緑のローブは郵政の……」



 日が差し込み始めて霧が薄れ始めている。金髪の女性が車椅子の物乞いが手に持っていた缶に何かを放り込むのが見えた。

 タニスは目を細めて見る。

 緑の外套は郵政のトレードマークだ。フードを被っていないので見事な金髪が露わになっている。ボリュームのある金糸を束ねたような金髪の合間から尖った短めの耳が見えた。



「ハーフエルフだな」とタニスは言った。

  朝日の中で少し屈んだ姿が金色に縁取られている。

 見れば胸元がメロンのように盛り上がっている。重たくふっくらとした胸元が微かに揺れている。足も長いが腰つきが張り出しているのも外套の上からでもわかった。

 とんでもないスタイルの良さだ。



「あなた、何見ているのかしら」と妻が言った。

 エルフは細身で知られた種族だ。

 タニスは妻の一族は皆美貌の持ち主だが、あんなスタイルの持ち主はいないなと思った。人間とエルフは近い関係にあるので婚姻もある。しかし子供ができるのはやはり珍しい。

「いやぁ、ハーフエルフなんてみかけないからな。珍しくて」と、タニスは笑ってごまかした。



 小銭でも恵まれたのだろうか。それでも物乞いは微動だにしない。

 車椅子の物乞いはここ数ヶ月で見るようになった。明け方から昼辺りまでしかいないのでタニスの商売に直接かかわりはないのだが、店に寄って来たら、どうやって他所に行ってもらうか考えていたところだった。



 「そう言えば」と、裏手の下宿に住んでいる郵政の青年の事を思い出す。

 どこにでも居そうな青年。礼儀正しく毎月家賃を持ってくるが記憶に残ることは少ない彼。そう言えば彼も美貌のハーフエルフと同じような濃い緑の外套を纏っていた。



 もう自分が冒険者ではない事に幾許かの悲しみを覚える。あの頃は自分には冒険者しかなく、これが天職なのだと思っていた。しかし今は宿屋の親父も同じくらい自分に向いていると知った。

 


「さて、掃除でも始めるかな。なぁお前」とタニスは妻の細い腰に手をやって、言う。まずまずの人生になりつつある。やっぱり幸運のアミュレットのせいだろうか。そんな風に思いながら、タニスはだいぶ温まった店内に戻った。

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