集~つどい~ 其の陸

 洋介は玄関口で、ふーっと大きく息を吐き出した。

 目の前のドアはしっかりとロックされているし、ドアチェーンもかけてあるし、ホームセンターで買って来た補助錠も上の方に取り付けた。誰が来てもドアは開けないように注意を払うことにしたのだ。



 今朝、花音から今日の夜に神楽との約束が取れたと連絡があった。

 底冷えのする夜だった。洋介はダウンを羽織って、ハンガーにかけておいたロングマフラーに目をやった。愛果まなかが前の冬にプレゼントしてくれたロングマフラーだ。彼女とはもう連絡を取ることはない。どこで何をしているのか洋介には分からないが、こんな最悪の事態に彼女が巻き込まれなくて済んだという自己満足が、傷ついた心に蓋をしてくれた。

 寒さで身体をブルリと震わせた洋介はそのマフラーを取って首にかけた。



 部屋を出て廊下に出ると、寒風が吹きすさんでいた。洋介はダウンのポケットに手を突っ込みながらエレベーターの方へ歩いていく。そのポケットの中でスマホが振動した。花音からだ。

『とりあえず、神楽さんのところの最寄り駅で集合ってことで』

「分かってる」

『もしかしたら、遼一くんがちょっと遅れるかも』

「なにやってんだ、あいつ……」

『しょうがないよ。休職中で、会社と話し合ってるみたいだから』

 その言葉で洋介は自分の身の置き場所に向き合わざるを得なくなる。ヘアサロン・グリスターを辞めて、今は部屋に籠りっきりだ。いつまでもこんな生活が続くはずはない。

「花音、俺はさ……」

『なに?』

 ──これからどうすればいい?

 洋介はその言葉を飲み込んだ。花音に言っても意味がないと強がってしまう。

「いや、なんでもない」

 やって来たエレベーターのドアが開く。箱の中に一歩足を踏み入れて、洋介は硬直してしまった。

 奥の壁の鏡の中に、春原さくらの後ろ姿が映り込んでいたのだ。

『どうしたの?』

 電話の向こうで花音が尋ねるが、洋介は恐怖で動けなかった。

 エレベーターのドアが閉まる。洋介は驚いて後ろを振り向こうとしたが、マフラーがドアに挟まれて振り向くことができなかった。


「お前が死ねばよかったのに」


 箱の中には誰もいないのに、洋介の目の前で声がした。

「ま、待って……!」

 エレベーターの操作パネルの一階へのボタンがオレンジ色に点る。

『どうしたの、洋介?』

 エレベータが下降しだす。洋介は必死でマフラーをほどこうとするが、マフラーがドアの向こうに引き込まれて首がグッと締まってしまう。


「あはははは……」


 洋介の手からスマホが滑り落ちて、床にゴツンと音を立てた。

 ドアの向こうに引き込まれたマフラーが洋介の身体を天井の方に引っ張り上げた。

「た……、たすけ……!」

 その言葉を絞り出したつもりの洋介だが、声にならなかった。


***


「洋介?!」

 集合場所の駅へ向かおうと自宅を出た花音は電話の向こうの洋介の様子に異変を感じた。洋介のスマホがどこかにぶつかる大きな音がした。

 少し遠い位置で何かを思いきり捻り上げるような音がする。そして、メキメキと何かが引き千切られて、


 ごとり。


 電話の近くに何か重いものが落ちたようだった。びちゃびちゃという液体の流れ出す音の後に、どさりと人の身体の倒れる音がした。花音は思わず立ちすくんだ。

「洋介──」


『あはははは!』


 あの笑い声。そして、花音の耳朶じだを春原さくらの声が打った。


『取れちゃったね』


 ブツリと電話が切れる。

 花音は涙を浮かべながら、急いで遼一に電話を掛けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る