集~つどい~ 其の肆
警察が来ていた。
奈々が移された病室の窓は開いたままで、冷たい風が室内に吹き込んでくる。奈々が横になっていたはずのベッドには血が落ちていて、その血が開いた窓のところまで続いていた。
「だけど、窓の外には彼女はおらず、という訳なんです」
警官にそう説明されて、四人は不安で凝り固まった顔で窓の外に目をやった。三階の高さから飛び降りれば無傷ではいられない。
「皆さんのところにはいらっしゃってないんですね?」
警官がそう尋ねる。花音たちはただうなずくことしかできなかった。
*
病院を出た頃には、すっかり陽が落ちて暗くなっていた。
「どうしよう……」
花音は震える声で呟いたが、洋介も章臣も応えなかった。遼一は言う。
「もしかしたら、俺たちのところにくるかもしれない。家にいた方がいいかもしれない」
「え? みんなで一緒に居た方が……」
花音は眉尻を下げたが、男たちは遼一に賛同を示していた。章臣は言う。
「ちょっと思ったんだけどさ、僕たちのところに来た春原はバラバラだったんだと思う。だから、僕たちが一緒に居ると春原もひとつになっちゃうんじゃないかな。だから、集まっていない方がいいと思う」
洋介はうなずいた。
「それに、もう二度と顔を合わすことなんてないって決めたのに、これ以上一緒に居られるかよ」
「でもさ……!」
花音の思いも虚しく、四人はそれぞれの帰路に就いた。
***
章臣は久々に人と長い時間居たせいでひどく疲れていた。
暖かい電車の座席に座って、眠りに落ちそうになる。
どたどたどた!
裸足で目の前を走って行く音がして飛び起きた。さきほどまで多くの乗客がいたはずの車内には章臣ただひとりしかいなかった。慌ててスマホを取り出す。時刻は午後八時を過ぎた頃だ。あまりにも静かで、不気味だった。窓の外はどこかの街が広がっている。
──おかしい。
揺れる車内で章臣は立ち上がった。吊革に掴まりながら景色を、そして車内を見渡す。
先頭車両の明かりが落ちるのが見えた。一両ずつ暗闇に包まれて、それが迫ってくる。
──逃げなきゃ。
章臣はそう直感して最後尾の車両を目がけて走り出した。
「ぎゃはははははは!」
車内のスピーカーから聞くに堪えないような狂い笑いが溢れ出した。
「やめてくれよぉ!」
走りながら振り返ると、すぐ後ろの車両が暗闇に包まれていた。
「ぎゃははははは!!」
振り返って前を見た彼の目と鼻の先に、女の後ろ姿が立っていた。白いシャツにベージュのサルエルパンツ、淡い水色のコンバース。
──あの時と同じだ。
章臣が十一年前の秋を思い返そうとした瞬間、彼はひと気のない駅のホームに立っていた。全く見覚えのない、知らない駅。章臣は線路の方を向いて、さっきから電車を待っていたかのようにそこにいた。
ここがどこだか知りたくて、スマホを出した。画面に「圏外」の表示。時刻の表示も文字が壊れてしまって読み解くことができない。
ぶぶぶ、ぶぶぶ……。
手の中でスマホが震える。誰かからの電話だ。恐る恐るスマホを耳に当てる。
『お前が死ねばよかったのに』
氷の水に飛び込んだように、章臣は何も考えられなくなってしまった。膝が震え、自然と涙が流れ落ちた。
「ぼ……、僕は……、僕のせいじゃないんだ……!」
『お前が殺した』
その声はキーホルダーを手渡してきたあの春原さくらの声そのものだった。
「埋めたのに。君のことを……」
章臣は自分が何を喋っているのか分からなくなっていた。
『信じてたのに』
「ご……、ごめん、なさい……! ぼ、僕は……、本当は、君を……」
『お前が殺した』
「ち、ちがう……」
『お前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺したお前が殺した』
その言葉で頭がいっぱいになる。
どこかで遮断機の下りる音がする。
『飛び降りろ』
春原さくらの声はそう命じた。章臣は必死に首を振った。
「嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ……!!」
『お前が死ねばよかったのに』
「許してよ……!」
『飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ飛び降りろ』
章臣の自我を絡め取って、そのまま奈落に引きずり込むような呪詛の言葉だった。
「い……、いやだ!」
電車がやって来る。章臣が線路を見つめれば見つめるほど、身体がそちらに引き寄せられるような感覚。
「いやだ! 死にたくない……!」
電車のヘッドライトが近づく。
章臣の背中を誰かが押した。章臣の身体はホームから飛び出していた。
空中で振り返った章臣の目に、ホームの縁に立つ春原さくらの後ろ姿があった。
「あはははは……」
それが章臣の最後の記憶だった。
大きな衝突音がして、車輪がレールにこすれる音が駅の構内に響き渡る。ホームで待っていた人々の悲鳴が飛び交う。誰かが押した駅の緊急停止ボタンで、ブーという無機質な音がひとつの命を見送るように空気を震わせた。
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