電~ソーシャルネットワーク~ 其の陸

 事情を聞いた制服の警官は難しそうに頬を撫でた。

「こういうことをする人に心当たりは?」

 花音は首を振った。

「本当に分からないんです」

 だが、心の奥に秘めている名前があった。それを言うことは彼女にはできなかった。

「ご主人は?」

「和人はこういうことはしないと思います」

「昔お付き合いされてた方とか……」

 花音は曖昧に首を捻る。警官はさらに渋い表情を浮かべる。

「何か盗まれたりとかしました? 例えば……、下着とか」

「盗まれてません」

 警官は溜息と共にうなずいた。

「そうですか……。とりあえず、この後、この近所をパトロールしてみますんで」

 横合いから重治が口を挟む。

「犯人を逮捕してくれないの?」

「犯人って言いましても、これだけだとどうしても動こうとしても動けないっていうのが現状でして……」

 重治は食い下がる。

「でも、こういうのを放置して、あとで事件になるっていうじゃん。ニュースでよく観るよ」

「いや、まあ、そうなんですけどね……」

「それで、もしうちの娘に何かあったら、その時あんたに責任取れますかって話になるじゃん」

 ヒートアップする重治を横の房恵が制する。

「もういいから」そして、警官に頭を下げる。「すみません。こういうことが初めてなもので……」

「いえ……」警官は苦笑した。「もちろん、我々としてもしっかりと対応したいんですよ。ただ、どうしても、人数を割けないんで……」

 これ以上は何を言っても無駄だということらしい。



 警官が帰って行くと、重治は鼻息荒くビールを飲み干した。

「ったく、税金で養われてるくせに、肝心な時に動かねえんだから、あいつら」

 房恵は苦虫を噛み潰したような表情だった。重治の言葉を否定しないのが、彼女なりの主張だ。

「ごめん」

 花音は頭を下げた。

「いやいやいや、お前は悪くないから!」

 重治が声を上げる。だが、花音はそのことを謝りたいのではない。

「でもさ……、なんか巻き込んじゃって……」

「気にしなくていいよ」房恵が花音の腕をさする。「とにかく、ここは花音ちゃんの家なんだから、居たいだけいればいいでしょ」

 花音は涙を一筋流してうなずいた。



 重治は張り切っていた。一階のリビングの家具を動かして、布団を敷き出す。

「修学旅行みたいでいいだろ?」

 三つの布団を並べる。ここで親子三人、川の字になって寝ようということらしい。房恵が困ったような笑みを花音に向ける。

「お父さん一緒に寝たいんだって。花音ちゃん、どうする?」

 花音は弱々しく、しかし、ニコリと笑った。

「一緒に寝るよ」



 暗いリビングに重治のいびきが響く。房恵を挟んだ反対側で横になる花音は、そんないびきさえ懐かしく感じていた。

 スマホが震える。布団の中で通知を確認する。またDMが来ている。写真が送られてきていた。


 窓際で首に何かを巻いてぐったりとしている女性……花音だ。窓枠に貼られている色褪せたシールが二階の花音の部屋であることを示していた。


 目が冴えてしまった。花音は二人を起こさないようにリビングを出て、真っ暗な二階への階段を見上げた。

 一歩ずつ階段を上がっていく。家の外では虫の音が聞こえている。

 開いたままの部屋の入口に立つ。月明かりにぼんやりと照らされた窓が見える。そこには何もない。手の中のスマホが震える。DMだ。


≪お前が死ねばよかったのに≫


 誰かが見ているのだ。

 花音は気が狂いそうになりながら、学習机の一番下の引き出しに飛びついた。引き出しを外して、後ろのスペースに手を伸ばす。手に触れる手帳の感覚。花音はそれを手に取って、部屋の電気をつけた。

 革張りの手帳だ。中学生の頃から誰にも言えないことや下らないこと、取り留めもないことを自由に書き殴っていた。落書きもたくさんある。大学を卒業した頃に、この引き出しの裏に置いておいたのだ。いや、隠しておいたと言った方がいいかもしれない。

 手帳に文字が書かれている最後のページに、四人のリストがある。


木村遼一きむらりょういち

火口奈々ほぐちなな

土田洋介つちだようすけ

金井章臣かないあきおみ


 そして、それぞれの電話番号も。

 花音は震える手でそれらの番号をスマホのメモ帳に打ち込んでいった。

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