電~ソーシャルネットワーク~ 其の肆

 マンションのエントランスに着いた花音は汗だくだった。喘ぐ息を整えながらエントランスを入る。スマホが震えた。またDMだ。見なければいいという思いと、今起こっていることを知らなければならないという思いが葛藤した。

 エレベーターの中でDMを開く。動画だった。それも、自宅の。

 玄関から撮影された映像のようだった。向こうから和人がやって来る。花音は息を飲んだ。

 ──このDMの送り主は、和人と会っている……?


『早く帰るって言ったじゃん』

 和人がそう言ってカメラに近づいてくる。

『なんか、汗だくじゃない? どうした?』

 和人はカメラの反応を見て、笑う。

『そうは思えないけどな』


 そこで動画は終わっていた。

 エレベーターのドアが開く。花音は走り出して自宅の玄関の鍵を開けて、ドアを開いた。

 廊下の明かりが点いている。

 廊下の突き当りのリビングへのドアが開く。和人が顔を見せた。

「なんでいるの?!」

「早く帰るって言ったじゃん」

 和人はそう言って花音のもとに歩いてきた。

「そうだったっけ……?」

 和人は花音に近づいて目を細めた。

「なんか、汗だくじゃない? どうした?」

 その瞬間、花音は理解した。あの動画の内容と今の会話はまるっきり同じだということに。花音は慌てて否定した。

「そんなことないよ。汗かいてないし」

 和人は花音を見て笑った。

「そうは思えないけどな」

 花音は靴を脱ぐのも忘れていた。

「ねえ、誰か来た?」

「いや、来てないけど。なんで?」

 花音は眩暈を覚えた。

 ──じゃあ、あの映像はどうやって……?

「いつまでそこにいるの? 上がりなよ」

 和人は笑ってそう言うと、廊下を歩いてリビングに行ってしまった。


***


 通知を無視しよう。

 花音はそう心に決めた。スマホの電源も切ってしまった。何事もない平穏な二日間がやって来た。

 ──初めからこうすればよかったんだ。

 安堵しながら夕食の準備をしていると、リビングの固定電話が鳴った。ちょうどダイニングテーブルに食器を出していた和人がゆったりとした足取りで電話に出る。

「はい。……ああ、いつもお世話になってます。……ああ、いますよ。ちょっと待って下さい」

 和人は保留ボタンを押して、キッチンの花音を呼んだ。

「花音、彩月さんから」

 その名前を告げられて、花音はまだ謝罪の電話を入れていないことに気づいた。慌ててキッチンを出て小走りで受話器を掴む。

「もしもし、ごめん、ずっと連絡してなくて……」

 受話器の向こうから聞こえる彩月の声は深刻そうだった。

『いや、こっちもごめん。でも、大丈夫? やばいことになってるよ』

「え、なにが?」

『自分のことなのに、知らないの?』

「何の話?」

『本気で言ってるの? 花音の写真がSNSで拡散されてるよ』

 花音は電話を切って急いで自室へ向かった。チェストの上に置いたスマホを取って、電源を入れる。恐ろしい数の通知が溜まっていた。それも、TwitterだけでなくInstagramやLINE、Facebook、その他諸々のSNS、そしてマッチングアプリからだった。花音がアカウント作成していないSNSからの通知が大半を占めている。

 通知をタップすると、Instagramのページが開く。

 いつか花音が自分で撮った下着姿の写真が投稿されたことになっていた。

「どうしたんだよ、いきなり」

 ドアの向こうで和人が心配そうな目を剥けていた。

「何でもないから!」そう叫んで、花音はドアを閉めてしまった。「ご飯先に食べてていいよ!」

 ドア越しにそう伝えて、花音はクッションの上に腰を下ろした。SNSとマッチングアプリには同じような投稿がされていて、いくつもの反応が来ていた。

 花音は涙を流しながら、ひとつひとつアカウントを削除していった。その間にも通知が鳴りやまない。

 ──どうしてこんなことに。どうしてこんなことに。

 部屋のドアがノックされた。

「だから、ご飯食べてていいって!」

 叫ぶように言うと、向こうから和人の声がする。強張った声だった。

「いや、LINEで花音の写真が送られてきてるんだけど、どういうこと?」

 花音は立ち上がってドアを開けた。和人が掲げる画面には、トーク画面に下着姿の花音の写真が表示されていた。和人のスマホを奪い取って、床に叩きつける。

「なんでこんなことするのよ!」

 和人に向けた言葉ではない。だが、彼はそうは受け取らなかった。

「お前こそなんでこんなことするんだよ」

 わなわなと震える花音の足元に膝を突いてスマホを拾い上げた和人は舌打ちをした。

「壊れてんじゃねーかよ! 仕事でも使うんだぞ!」

「私じゃない!」

「お前が今、壊したんだろうが!」

「だから私じゃないって!」

 花音は和人を突き飛ばして、ドアを閉じると鍵をかけてしまう。すぐにノックの音がする。

「あの写真何なんだよ」

「何でもないって!」

 悲鳴のように絞り出す花音の声はヒステリックだ。

「お前、出会い系とかやってんじゃねえだろうな?」

「やってない!」

 ドアの向こうで舌打ちが聞こえた。足音が遠ざかっていく。



 こんなはずではなかった。

 和人とは社会人になって出会った。だが、お互い同じ時期に同じ大学に通っていたことが分かり、運命だと思ったものだ。

 それが今や怒鳴り合うように……。花音は涙を流した。

 こんなはずではなかった。



 花音は必死でSNSのアカウントの削除に戻った。三十分ほどで通知を送ってくるSNSのアカウントを全滅させる。だが、Twitterだけは削除できなかった。

≪かのんさん、大丈夫ですか?≫

 通知欄には事情を知らないフォロワーからの心配の声が相次いでいた。DMが着信する。


≪ブロックしないで≫

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