第10話

「寿さん!後ろ!!」


 そう叫んだ総司の目には、砂煙から現れた一人……いや、一匹の人が映っていた。


 ウサミミの少女、月美は砂煙の中、ヨロヨロと立ち上がって、その手に持った木槌を振り上げていた。


 しかし、寿は余裕ありげに月美の方を見た。


「総司君、弾くのはね、別になんでもいいんだよ」


 その言葉と共に、羽子板が何もない空気中を空振った。


 それは……


 『空気』を弾き飛ばした。


 空気が目には見えない斬撃となり、砂煙に立つ月美に直撃する。


「カハッ……」


 空気の抜けたような音とともに、砂煙に立つ月美が血を吐いて崩れ落ちた。


「圧倒的……」


 巨大な木槌を振り回す少女、決して弱い存在ではなかったはずだ。しかし、寿にとってはそんなこと関係なかったようだ。


 戦闘は五分足らずで、寿の勝利で幕を下ろしたのだった。


 総司は周りを見渡しながら、寿に向けて歩き出す。


「寿さん、これは再建が大変そうだな」


「ほんと、我が家がボロボロだよー」


 寿はなんでもなかったように、羽子板を消滅させながら、呑気に言う。


 かつて二人が過ごした館は、見るも無惨な姿になっていた。今は二つの大穴が館に空いている。


「怪我はないか?」


「うん!あの程度の刺客、ちょちょいのちょいだよ」


「ちょちょいのちょいって……」


 総司と寿は向かい合って立つ。寿の体を隅々まで見るが、総司の目には怪我や傷は見て取れなかった。


「そういやあのウサミミ女、なんで『ここ』を狙ったんだろうな?」


 総司が気になったのは、秋国の刺客が寿の家を狙った理由だ。総司たちのいるこの地は、冬国の中心部からかなり離れている。敢えてここを狙った理由がわからない……。


「それに、一歩しか動いてないとか……」


 重なる総司の疑問に、寿は当然のように答えた。


「ああ、簡単だよ!秋国にはいるんだ『占い』の加護をもつ日本人が」


「占いの?」


「そ!だから、『近くにいる強敵』……あたりを占ったんじゃないかな」


「なるほど、それでこの地がヒットしたってことか?」


「じゃあ、一歩しか動いてないってのは……」


 ドンッ


「えっ?」


 寿が消えた。


 総司と寿は向かい合って話をしていた。


 しかし、寿が消えた。


 ゼロコンマ数秒、瞬きの瞬間、消えたのだ。


 寿が。


 音とともに。


 低く大きな音ともに。


「……!?」


 そこで、総司の脳が非常事態に追いついた。


 総司の目の前。


 寿の場所にいたのは、先ほどまでいた寿ではなく……


「兎飛び、一撃」


「月美……」


 そう、紛れもなく先ほど寿にやられたはずの月美だった。


「まったく、痛いであろう」


 彼女は、どこからともなく一瞬で現れ、木槌を横向きに振り回して、寿を吹き飛ばしたのだ。


 総司と月美の目が合う。


 月美は、ボロボロになった和服を身にまとっていたが、その体におおよそケガと呼ばれるものはなかった。


「お主も日本人か?」


 尋ねられるが、総司はそれどころではなかった。


 目が自然と吹き飛ばされた先、寿の方を向く。


「ことぶきさん!!」


 総司の目に、血だらけになって地面にへたり込む寿が映り込む。庭にあった木に衝突したらしく、その木が幹から折れていることから、どれほどの衝撃だったのかが見て取れる。


 生きているのか死んでいるのかさえ、総司には判断ができなかった。


 寿からの返事はない。


 代わりに、総司の前に立つ月美が口を開いた。


「まあ、お主はよい。我はあの寿とか言うガキを絞めにいくかの」


「……!!」


 その台詞を聞いて総司は寿が生きていることを悟った。


 寒い寒い青空の下、透き通る空気に包まれて、総司は静かに覚悟を決めた。


「おい待て」


 月美は止まらない。シャキシャキという雪を踏み締める音を響かせる。


「よいよい、お主、まだこの世界が浅いであろ? 正直、我とでは勝負にもならん。もうちとこの世界を生きるがよい」


 総司の方を見向きもせず、月美は一歩一歩と瀕死の寿に足をすすめる。


「待てって」


 月美はもはや何も返さない。敵と認識しているのは、寿という実力者のみ。総司など彼女にとっては道端の石のような存在だった。


 総司は、ズカズカと背後から歩み寄ると、背中を向ける月美のウサミミを、グイッと引っ張った。

 

「お飾りなのか?この耳は」


 瞬間、総司は唖然とする。


「……あ」


 ウサミミが、月美の頭からスッと抜けたのだ。


 月美はぴたりと動きを止めて、顔だけを総司の方に向けた。


「お飾りじゃが?」


 その顔は、般若の如く怒りに満ち溢れていた。


「 返せ 」


 一言、月美はそう述べた。はっきりと。


 しかし、総司はそれで返すほど大人ではなかった。


「嫌、だね」


「なら、死ね」


 言葉が早いか木槌が速いか。


 総司の真上に円筒の木槌が振り下ろされた。


 刹那の出来事である。


 ブンッ


 総司は、咄嗟に手で頭を守った。同時に、総司の手にあったウサミミも木槌のもとに晒される。


「……っ、危ないのぉ、我の耳に傷がついたらどうする」


 月美は木槌を寸止めで止めていた。


 風圧で、総司の手からウサミミがふわりと落ちる。


「まったく、格好のつかぬ男よ」


 月美は呆れ顔で地面に落ちたウサミミカチューシャを拾うと、そのまま頭に装着した。


「ではの」


 それは、別れの挨拶。


 月美はなんの躊躇いもなく、改めて総司に向けて木槌を縦に振るった。


「……っ!リリース【ホウキ】!!」


 言葉と共に、総司の手にホウキが握られる。 


 命を失わないための咄嗟の判断。


 ゴコンッという音をたて、ホウキと木槌、木と木がぶつかった。縦に振られた木槌は、ホウキの柄を沿って、そのまま地面にぶつかった。


「お前の武器が木槌で助かったよ」


 相手が剣だったら、総司は反応など出来ずに死んでいただろう。平和な国出身である総司に、斬撃を躱す技術なんてものはない。


 相手が動きの遅い木槌だからこそ出来たことだ。


「舐めるな、童(わっぱ)が」


 月美が地面についた木槌をそのまま横に薙ぎ払った。


「……くっ」


 総司は咄嗟に、ホウキを木槌のくる方向に構えたが、ホウキごと体が弾かれた。


 総司の体がゴロゴロと地面を転がる。


「痛てぇ」


 しかし、地面に平伏した総司は、すぐに頭から血を流しながらも立ち上がった。


「なんでこのホウキには羽子板みたいなカウンター機能とか、ついてないのかねぇ」


 倒れそうになる体に鞭を打ち、片膝に手をつきながら、ホウキを片手に月美を見据える。


「まだまだ行くぞ」


「はっ、そうこなくちゃな」


 月美は腰を低く下げ、脚に力をためる。


 バンッ


 銃声のような音が辺りに鳴り響き、月美が『消えた』


「……!!」


 そして、総司が反応するより早く、月美は総司の懐に潜り込んでいた。


 若干下を向いた総司の目と、その腹部に迫る月美の目があった。


「ウソだろ!?」


「兎飛び、一撃」


 総司の耳にその言葉が届く前に、彼の腹部に月美の握り拳がめり込んだ。

 

「……ゴハァァ!」


 総司の身体はくの字に曲がり、口から真っ赤な血が噴き出た。


 そのまま吹き飛ばされ空を舞う総司。


 ドサッという音をたて、総司の肉体は雪の上に落下した。 


 白目を剥く総司の手に持っていたホウキは、地面に落ちて消える。


「これが、実力差というもの」


 月美は木槌を背中に担ぎ直すと、死体になど目もくれず、己の目的、寿の方へと足をすすめた。

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