第5話

「たっだいまー!!」


「お、お邪魔します……」


 冷たく静かな屋敷に、明るい女性の声と、暗く遠慮がちな男の声が響いた。


「ひんやりしてるな……」


「まあ、一年位放置してたからね!」


 ボフッという音を立てて、荷物が地面に放り投げられた。それと同時に、無数の埃が舞い上がる。


「コホッ……いやぁ、すごい埃だね」


「なるほど、確かにこれは、俺の加護『大掃除』が役立ちそうだな」


「にゃはははっ、でしょ?」


「まさか寿、この掃除のために俺を引き取ったのか?」


「いやいや、もちろんそれもあるけど、それ以上に一人だと広いんだ。やっぱり住むなら二人からって思ってさ」


 寿は、少し寂しそうに呟いた。


 総司がフロントを見渡すと、確かに広かった。左右にどこまでも続きそうな廊下があり、正面には螺旋階段が鎮座している。ここに一人というのは、なかなかに辛いだろう。


 総司が改めて屋敷の広さに圧倒されていると、隣に立っていた寿が、彼の肩を叩いた。


「総司君、お腹、空かないかい?」


「……確かに、空いた」


 この世界に来てから何も食べていないことに総司は気づく。


「じゃあ今回は、この世界の先輩である寿が君のためにご飯を作ってしんぜよう!!」


「おぉ……頼む」


 何やら張り切っている寿を見て、期待感と共に総司は返事をした。


「その間、俺は少しこの屋敷の散策をしてくるよ」


「おっけー!じゃあ、私はキッチンにいるからね」


 それから寿と別れた総司は、ポケットに手を突っ込みながら、赤い絨毯が敷き詰められた廊下を歩いていた。


 窓から見える景色は、だだっ広い平原と、森の木々だった。そのどれもが雪で覆われている。


「なんか、貴族の別荘みたいだな」


 彼が別荘という言葉を使ったのも、その地が近くの町からも少し離れていた立地だったからだ。


「にしても、広い家だな」


 まだ屋敷の半分も見ていないはずだが、既に十部屋ほどは通り過ぎている。


 そこで、屋敷の突き当たりで、総司は違和感のある部屋を発見した。ここに来るまでは、どの部屋も普通の扉だったのだが、そこの扉だけは、鎖と南京錠で何重にも固定されていた。


「二階の角部屋……なんだ、ここ?」


 試しにドアノブに手を当てるが、ピクリとも動く様子はない。


「なんか、秘密の部屋っぽくてかっこいいな」


 それ以上どうすることもできず、総司はキッチンに向けて歩き出した。


「おや、もう探検はおわったのかい?」


「ああ、とんでもない豪邸だったよ」


「でしょ!? すごいよね」


「……え?あ、ああ、凄いな。って、寿さんの家なんだろ? まあ、俺たち日本人の感覚からしたら驚きだ」


 総司はこんな屋敷、住んだこともなければ、住んでみたいと考えたこともなかった。


「ふふんっもう少しでできるから、座って待っててよ!」


「ああ、楽しみだ」


 それから程なくして、椅子に座る総司の前に、大鍋を持った寿が現れた。鍋からは寿の顔を覆い尽くすほどの湯気が立ち込めている。


「どうぞ召し上がれ!ボルシチ〜美少女仕立て〜だよ!」


「美少女仕立てってなんだ?」


「私が作ったんだから、美少女仕立てだよ」


「美少女って……美女ならまだしも、寿さん、俺と同い二十半ばじゃないの?」


「な!?失礼な!私は十七歳だよ!!」


「いや、それは流石に無理があるかと……」


 寿は、十人中十人が美女と認めるほどに目鼻立ちが整った顔をしているが、どちらかと言えば大人の色気をはなっており、そこに幼さは感じない。


「もういいよ!とにかくほら、早く食べよ」


 寿は少し不服そうな顔をしながらも、ボルシチを二人分、お皿に分けた。


「じゃあ、いただきます!」


「いただきます」


 総司は、そう言ってスプーンをスープに潜り込ませた。上に引き上げると、肉とじゃがいも、そしてトマトが潰れた真っ赤なスープが乗っていた。


 一口、口に運ぶ。


「ん……」


 咀嚼。


「酸っぱい」


 ついつい漏れ出た本心。


 すると、それを待っていたと言わんばかりに、寿が笑った。


「いひひひひっ……なんて顔してるの!?」


「いや、だって、これ……」


「あっはっはっ、そーなんだよ!酸っぱいんだよね!なんでかなぁ」


「え、なんでかなぁって」


「実はね、私、お料理がすごく苦手なんだ!なんでも酸っぱくなっちゃう。総司君は?」


「俺は別に苦手ってわけでもないけど……まぁ、酸っぱくはならないかな」


 すると、いいことを聞いたと、寿は頬を上げた。


「実は料理とかその辺も、総司君に任せる予定だよ!」


「そうだっだのか」


 総司は、嫌がるでもなく笑った。総司も無償でこの家に置いてもらおうとは思っていなかったのだ。自分にできることが掃除だけでなくなり、少し嬉しくなる。


「このスープは勿体無いから二人で頑張って食べるとして……これからのお料理は」


「おう!任せてくれ!でも、こんな大きな屋敷なのに、異世界ならではの『メイド』さんとかいなかったのか?」


「メイドさんかぁ、まあ、前はいたんだけどね……」


 寿はそれ以上言いたくなさそうに、顔を背けた。


「いや、いいんだ! 任せてくれ」


 なんとなく言いにくい内容なのだろうと察し、その話題はすぐ終わる。程なくして鍋を空っぽにした二人は、それぞれ別の部屋で別れて寝た。


 その際に総司が「やっぱり寒いし人肌で……」と言いかけたが、寿は大声で「おやすみ!」と言って去っていった。


 こうして一日目の生活が終わっていく。


「あっ、あの部屋のこと聞くの忘れてたな……」


 真っ暗な部屋で、総司は呟いた。

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