第2話


「来た……日本人じゃ」


「男……?」


「三十代半ば……ってところじゃねぇか?」


 総司の耳に、そんな誰とも知らない者たちの声が聞こえてくる。真っ白な世界に視界は遮断され、頼れるのは聴覚のみ。


「すげぇ、本当になんにもねぇところから人が出てきたぜ……これが召喚ってやつか」


「うむ。男鹿(おが)よ……お主もこのように召喚されたのじゃぞ」


『……召喚? こいつらは何を言ってるんだ? それに俺はまだ二十四歳だ』


 混乱状態の総司に誰も説明してくれるものはおらず、しばらくして周りを覆っていた光が薄くなっていく。


 それと同時に、総司は辺りの状況を認識した。


「あ……あ」


 声が出ることを確認し、総司は言葉を紡ぐ。


「あなたたちは?それに、ここは……」


 そこは、薄暗い部屋だった。窓はなく、ドアは一つ。そして、煉瓦に覆われた四角い空間の中には数本の蝋燭の炎が揺れている。


 その炎が照らすのは、足元に描かれた怪しいマーク……所謂、魔法陣と呼ばれるオカルトの類のものだった。


「うむ……召喚直後というのに、この落ち着きよう、これはなかなかアタリを引いたようじゃな」


 そう答えるのは、総司の目の前に立つ少女だった。女性……と呼ぶには少し幼さの残る、高校生らしい見た目をしていた。


 彼女は、その見た目に反して古風な喋り方だった。


「我が名は……そうじゃな、『白姫』か『黒姫』か、好きな方で呼ぶが良い」


 そう言って、彼女は頭をフリフリと横に振った。それに伴い、腰ほどまである彼女の髪が右に左にと揺れる。


「黒と……白」


 見れば、彼女の髪はツートンカラーだった。右が『白』で左が『黒』、頭の中心で、髪色が真っ二つに分かれている。わざわざこれを見せるために頭を振ったらしい。


「うむ、覚えやすいじゃろ?」


「え、まぁ……そうですね」


 それ以上返すことができず、ソウジは改めて辺りを見回した。


 そこには、白黒髪の少女以外にも、数人の人影が見えた。何人、雰囲気の違う者もいるが、そこにいる者のほとんどが神官まがいの格好をしていた。


 すると、違和感のがすごい者の一人……神官からは程遠い見た目の男と目があった。


 彼は真っ黒な膝下までの短パンを履き、胸元をガッツリ開けていた。首元に付けたジャラジャラした金銀の首輪がやけに目立つ。


「なんだてめぇ、何ガン飛ばしてんだ?あ?」


 その男はいかにもなチンピラだった。逆立った金髪に、真っ黒のピアス。サメのようなギザギザの歯が口からのぞいている。


 彼は、総司との距離を詰める。


 ポケットに手を突っ込み、座り込む総司の目の前まで行くと、真上から見下した。


「てめぇ……キョロキョロしてねぇで、まずは名乗れや」


『マジかよ……なんなんだよこいつら、どっかのヤクザの事務所なのか?拷問部屋とか?いや、それよりもカルト集団の方がぽいな?』


 そんなことを考えながらも、口は動く。


「俺のことは、総司……と呼んでくれ」


 総司は、フルネームを知られるのはまずいと感じ、咄嗟に出た下の名前のみを伝えた。


「総司か……」


 そこで、また一歩総司に詰め寄ったチンピラに、言葉が放たれる。


「下がれ、男鹿よ」


 そう言うのは、先ほど名乗った少女だ。チンピラ相手にも同じ口調で言ってのけた。


「……ちっ」


 大人しく聞くはずがないと思ったのも束の間、男鹿と呼ばれた男はすごすごと元の位置、少女の後ろに立った。


 見れば、そこにはもう一人、『おかめの面』を被った和服の幼女がいた。彼女は黙ったまま総司の方を見ている。


「すまんかったの、総司」


 総司は、視線をおかめの面から声のする方に切り替えた。そこには呆れたような顔をする例の少女がいた。


「いえ、お気になさらず」


「ふむ。殊勝な態度じゃの」


 総司は、どうもこの少女に強く出る気になれなかったのだ。いくら歳が下であろうと。


「そんなお主に、ご褒美じゃ」


「ご褒美、ですか?」


「うむ。お主が今一番知りたいであろうこと……を教えてやろう」


「おお……ありがたいです」


 総司が感謝をしたのも束の間、それは衝撃発言から始まった。


「まずじゃが、主は死んだ」


「死んだ……?」


「うむ。死んで、その魂を我がこちらの異世界に引き込んだ」


「……引き込んだ?」


「そうじゃ、ちょいちょいっとな、ここはかつてお主が暮らした世界とは全くの別次元に存在する。じゃからお主は今、生まれたままの姿なのじゃ」


 総司は、あらためて自分の体に目を向ける。そこには、一糸纏わぬ姿の身体があった。特に鍛えているわけでもない、中肉中背の健康体。


 総司は変に恥ずかしがるのも恥ずかしくて、その体勢のまま話を聞きた。


「で、簡単に言えば、我はお主を勇者としてこの異世界に転生させたのじゃ」


「勇者、異世界転生……」


「む……さっきから、オウムのように繰り返しおって、馬鹿にしておるのか?」


「馬鹿に……って、いやいやいや、違いますよ。意味がわからなすぎて繰り返して消化してるだけですから」


 総司もその手のラノベや漫画は見たことがあったが、まさか自分がそんなことになるなんて思いもしていなかったのだ。


 とにかく、誤解を受けないように黙って聞くことを心がける。


「ならいいのじゃが……まあ、よい。ここは、『冬国』じゃ。そして今、『春国』『夏国』『秋国』から侵攻を受けておる」


 冬国、そう聞いた途端、総司は自分がものすごく寒さを感じていることに気がついた。鳥肌がブワッと体を包む。


「お主には、この国の軍事力となって、他の国を蹴散らしてほしいのじゃ」


「なるほど、いろいろ無理して飲み込みました」


 総司は己がフィクションの世界にいるのだと言い聞かせて、なんとか事態の把握に励む。


「つまり、俺にこの国の勇者になって冬国を助けてくれと頼んでる訳ですね」


「そうじゃな、物分かりが良くて助かるわい」


 そこまで聞いた総司は勝ちを確信した。人生の勝ちを。


 その勝ちを安寧のものとすべく、総司は一番大切なことを尋ねる。


「もちろんあるんですよね? チート能力」


 チート能力……ラノベの世界では『異世界転生』した者が必ずと言っていいほどに持っている力だ。剣士の力、魔法使いの力、伝説の剣を操る力……なんでもいい。この世界を無双する力だ。

 正直な話、それさえあれば、金も女も名声も手に入る。


「それがないと、俺、武道なんてまともにしたことないですし、そこの経験豊富そうなチンピラと違って、喧嘩なんて野蛮なこともしたことないですし、勇者になってなれませんよ」


「ああ?誰がチンピラだぁ?」


 男鹿が詰め寄ってくるが、総司にとってはそれどころの話ではない。


「もちろん、その辺は問題ないのじゃ」


「やっぱり!! さすが白姫様!!」


 総司が白姫と呼んだのは、黒姫と呼ぶよりは目の前の少女に相応しいと思ったからだ。チート能力なんてものを与えてくれる少女は間違いなく黒ではなく白だと。


 白姫の言葉に総司は目を輝かせる。


「召喚される日本人には全員もれなく『加護』が与えられておるからの」


「加護……?」


「そうじゃ、我の神の力の一部じゃ。主の魂を引き上げるとき、我の力で魂を引っ張る。すると、自動的に主の体にあった神の加護が付与されるのじゃ」


「なるほど……ってか、神様だったんですね」


「うむ、それはどうでもいいじゃろ。ほれ、見せろお主の『加護』を」


 そう言って、白姫は目を光らせた。


 これは、例えの表現ではない。事実として、白姫の目が光ったのだ。黄金の輝き。


 彼女の目に見られては、己の隠し事も全てが見透かされているような気になる。


 そして、告げられた。


「総司、お主の加護は……『大掃除』じゃな」


「大掃除……?」


 総司が繰り返したことに続くように、部屋の中がザワザワし始める。神官服を着た者たちがざわめいているのだ。


「掃除屋……所謂『暗殺者』か?」


「それは、強い能力になりそうですな」


「これで我らが冬国も……」


 どれも好印象のもので、総司の期待も高まってしまう。


 そんな中、白姫が続きを話し始める。


「うむ、能力は……」


 そこまで言って、白姫は目を光らせるのをやめた。おそらく見るものを全て見終わったのだろう。


 部屋の中が暗くなる。


「能力は?」


 焦らされるのが嫌いで、総司は食い気味に尋ねる。


「掃除道具を召喚する能力……のようじゃな」


 沈黙。


「掃除道具を……召喚?」


 先ほどまでの高揚が嘘のように引いていく。部屋の中は失望のオーラが埋め尽くす。


 期待を裏切られた……誰も口に出さないが、皆の顔には書いてあった。


「えっ、掃除道具って……え」


 ここまでの話で一番受けれがたい真実に、総司は動転する。


「ガハッ……ガッハッハッハッハッ」


 笑い声。それは、男鹿だった。


 彼は、腹を抱え、身を捩り、目に涙を浮かべて笑っている。総司の方を指差しながら。


「てめぇ、なんだその使えねぇ加護」


「……」


 白姫は、もはや興味を無くしたのか、男鹿を止めることさえしない。


「ギャッハッハッ、最高だ、腹が捩れるぜ」


 ヒィヒィ言いながら、腹を抱える男鹿。


「て、テメェ、笑うな」


 ソウジは、恥ずかしさや悲しさでなんとも言えなくなった心をひきづりながら、男鹿の胸ぐらを掴んだ。


 すると、男鹿から笑顔が消えた。


「あ?気安く触るな、使えねぇ雑魚が」


 瞬間、男鹿のまとう空気が変わった。


 ピリピリと、肌を刺激する圧。


 剥き出しの歯が、獲物を狙う肉食獣のそれに見えた。


「俺はな、『ナマハゲ』の加護持ちなんだよ……テメェとは、格が違うんだ」


「ひっ……」


 その圧力に、ソウジは、全身の力が抜けたようでぺたりと座り込む。さっきまでと比べ物にならないほどの寒気が彼を襲う。


 総司は、助けを乞うように白姫の方を見る。


 しかし、彼女はもう総司のことを見ない。


「あー、お主、もうさっきの話は忘れて良いぞ。勇者がどうのとか言うたの、我の間違いじゃった」


「白……いや、黒姫、お前まで」


「次の召喚まであと一ヶ月か……冬の国はもつかのぉ」


 黒姫は、もう別のことを考えているようだった。見れば、周りの神官まがいの者たちも誰一人として総司の方を向かない。


 いや、唯一総司を見る男がいた。男鹿だ。


「てめぇ、せっかく召喚されたのにドンマイだな!まあ、その分俺が活躍するから退場してろ」


「……ちっ」


『悔しい寒い悔しい寒い悔しい寒い……不安だ。不安で仕方がない』


 この男に格の違いを思い知らされた悔しさ、そして、知らない世界で自分の味方がいないことへの恐怖。ソウジの心には耐えられるものではなかった。


「誰か……」


 誰でもいい。誰か一人でも味方になって欲しかった。


 しかし、そんなヒーロー、この場にはいないようだった。誰も目を合わせようとしない。


 彼の心に従うように、総司の顔は俯いていった。

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