2 超能力者と夕焼けの信号機 ‐4

「だから受動態の文法はbe動詞と過去分詞っ! この文だと主語はthe bookだからbe動詞は……?」

「……is? それで、過去の文だからwas……」

「うん、そう。で、動詞は?」

「えっと……かく、だからdraw……」

「違うっ! 本をかく、はえがくじゃなくてくだよ! writeね?」

「……絵本だったかも」

「言い訳無用っ! 『The book was written by Natsume Soseki.――その本は夏目漱石によって書かれました』……どこに夏目漱石が絵本作家だったなんて話があるのっ!」

「なつめ……羅生も――」

「それは芥川龍之介! 夏目漱石は、吾輩は猫であるとか坊っちゃんの人!」

 私とコータの会話は、徐々に英語から離れつつあった。

 つい英文の答えを言ってしまったが、なんでこの人羅生門は知っているのに吾輩は猫であるが出てこないんだろう。わざとなのか、天然なのか。

 はぁ――とため息をついて、次の言葉を継ごうとしたとき、戸をノックする音が聞こえた。

 見ると、教頭先生の姿がガラス越しに見える。

「はーい、どうしましたか?」

「時計、見てごらん? 五時半になるよ」

「あっ……」

 本当だ。

「そろそろ図書室も閉めるから、家に帰りなさい」

「はい、わかりました。ありがとうございます! ――コータ、帰ろっ!」

「……うん」

 コータを半ば引っ張るようにして図書室を出る。教頭先生は生徒玄関まで見送ってくれた。「気を付けて帰りなさいよ」の声に軽く頭を下げつつ校舎を出て、校門まで駆け足。

 コータとは少し一緒に歩くけど、その先の交差点で道が分かれる。

 くだらない話をしながらその近くまで来たところで、ピコン! と音がした。リュックから、コータがスマホを取り出す。スマホは普通学校に持ってきちゃいけないが、迎えの連絡などの関係で必要なこともある。仕方ない。学校内では使っていないから大丈夫なはずだ。

 スマホの画面を見たコータが、不思議そうに首を傾げる。

 通知は何かの広告だったようだけど、コータが目をとめたのはその下にあった通知。

「……ユウヒ? 不在着信――に、留守電メッセージがある」

 コータの長い指が、そのメッセージをタップする。


『「――ったとおりさ。そして――」「――ッ! 痛……っ」「その誰かは、君だよ、海乃洸太」』


 コータが凍りついた。私も、言葉を失う。

 待って、どういうこと――?

 コータのスマホからはその後、足音と車のドアを閉める音、そしてくぐもったエンジン音が聞こえ――そこで音声メッセージは途切れていた。

 ピーという機械的な音を発するスマホが、コータの指からこぼれ落ちる。

 私はとっさに引力を使い、薬指の先にそれを引き寄せた。

「コータ」

 コータは動かない。顔からは血の気が引いている。私も同じような顔をしているんだろうけど。

「コータ! ねえコータ、聞いて!」

 ハッと、まるでたった今、呼吸の仕方を思い出したようにコータが浅く息を吸う。その目が、ゆっくりと私を見た。

「なにこれ、どういうことなの? ユウヒと、知らない人の声が聞こえた。コータの名前も。――心当たりは?」

 私が、さっきの一回で分かったのはこれだけだ。

 コータは呆然としたまま、首を横に振る。

 ――もう一回、聞いてみないと分からない。

 私は自分の手の中に収まったコータのスマホを操作し、録音された音声メッセージをもう一度再生する。指先が震えて、何回も操作を間違えた。

 聞こえるのはさっきと同じ――男の声、ユウヒの声にならない悲鳴、「海乃洸太」の名前――そして、車のドアを閉め、そのまま車を発進させたのであろう音。


 悲鳴、ドア、車――――ここから考えられるのは。


 嘘であってほしかった。でも、これは真実だった。

「コータ、」

 私は未だ金縛りにあったようになっているコータに言う。

 それは同時に、自分自身に現実を突き付けるための言葉だったのかもしれない。


「ユウヒが――――。それも、


 返事は、しばらく返ってこなかった。

 夏の夕日が、交差点に佇む信号機を照らしている。

 夕焼けの中で点滅した緑が、赤に変わる。その光が、やけに恐ろしいものに見えて。

 世界の全てを赤く染め上げていた夕日の光が山に飲まれて消えるのを、私たちはただ見ていることしかできなかった。

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