1 超能力者と夏の教室 ‐2

「はい、次、歴史より。1919年にドイツで制定され、初めて社会権を保障した憲法を――」

「ワイマール憲法!」

「正解。じゃあ次は理科から出そうかな……」

 教室を出た私たちは、生徒玄関から出て校舎の前を横切るように歩きながら、なんとも健全な中学三年生らしいクイズ大会を開催していた。

 と言っても話しているのは歩く百科事典リサ回答者だけ。隣にはコータもいるのだけど、さっきからずっと口を閉ざしている。周りが騒がしくて出題の声が聞こえない、というわけではない。実はコータはそんなに勉強が得意ではないのだ。曰く、授業中に先生の心を視て何が言いたいのか読み取ろうとしたこともあったが、偉大なる先生方の雑念がこれでもかと視えてしまい、勉強どころではなかったということだ。雑念の内容は……プライバシーの侵害になるので伏せておこう。

 と、校門の前に立っている顔見知りの二人が目に入った。ここから校門まではかなり距離があったが、こんななんでもない話をしている私たちを遠くからじっと見ている男子二人組なんて、彼らしかいない。向こうも私が見ているのに気づいたらしく、手を振ってきた。

 小走りで近づくと、二人組の一人――ユウヒがオーバーに頭を抱える仕草をしながら叫んだ。

「なんで授業終わってさあ帰りましょうってときにまだ勉強してんの⁉ ワイマール憲法なんて知らねぇよ!」

 そして、ビシッとこちらを指差す。

「……それは、俺も思ってた」

 コータ、そこに同調するな! 見ると、左手の親指と小指を立てつつ苦笑するコータ。

「授業終わった受験生は勉強しちゃダメなんて法律ないじゃん!」

 私が言うと、ユウヒは「じゃあオレが内閣総理大臣になって作ってやる!」などと言い出した。そんなに簡単になれないと思う。

「ユウヒの学力じゃちょっとキツいんじゃない?」

 そう茶化したのは二人組のもう一人、綾月あやつきあかし。ペリドットのような緑色の眼は、いつも通りキラキラと日の光を反射している。

 アカシの言う通り、ユウヒの主要五教科の点数はちょっと――どころかかなりキツい。でも……

「でもユウヒくん、さっきみたいにしてるとコータくんみたいなすごい能力の人っぽく見えるよね」

 男子をくん付けで呼ぶのはリサ。私の思っていたことをいいタイミングで言ってくれる。


 ユウヒは超能力を持っていない。コータの心情透視は十万人に一人いるかどうかの希少能力らしいが、ユウヒのような非能力者も人口の一割(左利きの割合と同じくらいだ)ほどは存在する。

 しかしユウヒは、先の会話で声も聞こえないほど遠くにいた私たちの会話の内容を知っていた。これは読唇どくしんじゅつ(読話とも呼ばれる)といい、口の動きから会話を読み取る技術だそうだ。リサが言ったように、これを知らない人が見れば心を読まれたようにも、見えなくもない。口の形では子音は区別しにくいうえ、視力も良くなければあんな遠いところからはできない。ユウヒはこれを独学で身に付けた。長い文章を完璧に読み取ることは不可能に近いが、簡単な単語や短い文などなら読むことができるらしい。

 「オレは才能がないから努力するしかないんだよな」――そう、ユウヒはよく言っている。私は、努力し続けることができるのは立派な才能だと思うけれど。


「そうかぁ? 慣れれば意外に解るもんだよ」

 リサに褒められ、そんなことを言いつつまんざらでもなさそうなユウヒ。

 それを横目で見ながら、私は綿菓子みたいな雲をぼんやりと眺める。


 七月二十日。夏休みまで残り三日となり、河神中生たちの口調も心なしか弾んでいるようだ。アカシなんか、授業中に夏休みという単語を先生が口にする度に眼を輝かせていた。――そんなに嬉しいか? まぁ、私も嬉しいけど。


 交差点でみんなに手を振って、私は家の方向へ歩き出す。

 風が吹き抜けて、道沿いの木の幹から蝉が飛び立っていった。



 ――――今年の夏祭り、みんなと一緒に行きたいな。

 そのときの私は能天気に、そんなことを考えていた。

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