1 超能力者と夏の教室 ‐1

 暑い。……というかもはや、熱い。

 窓辺の席とは、なんともツイていないものだ。

 授業を聞き流しながら、私──繰環くりわ深散ミチルは内心で毒づく。

 七月の日差し(なんていう言葉は生温い。これは熱波というのだ、きっと)が射し込んでくる窓。その外には、ひたすらに緑色をした山々が見えている。

 誰だ、こんな所を高冷地だとか避暑地だなんて言っているのは。涼しそうなのはこの見た目だけだ。そして、唯一の涼しそうな要素である見た目──健康的な緑色さえも暑苦しく感じてしまうほどの気温。地球温暖化は人類が思っている以上に深刻だ。未来ある中学生たちがこんなに苦しんでいるぞ。


 そんなことを思っていたら、コン、と足元で音がした。見ると、消しゴムが転がっている。私の、じゃないな。辺りを見回すと、斜め前の席からユウヒ──瀬名せな夕陽ユウヒが手招きのような動きをしていた。

 私は「引力」を使って、消しゴムを引き上げた。


 「引力」──これは私の持つ能力だ。九割の人間がこうした、俗に超能力と呼ばれる能力を持って生まれる。発動するには特定のハンドサインが必要となる。私の場合は、親指と薬指の先をくっつけてOKサインのような形にし、そこから薬指を親指に沿わせて曲げていくと、薬指の先に向かってモノを引き寄せることができる。軽いものなら消しゴムのように浮かせて拾ったりもできるが、私より重いものはびくともしない。


 ──拾った消しゴムを、ユウヒに向かってぽいっと投げる。

 ユウヒが「サンキュ」と小声で言って、再び前を向いた。

 その動きにつられるように黒板を眺める。アルカリ性の水溶液がフェノールフタレイン溶液を赤く変色させるからなんだというんだ。今はそんなことより、理科教師であり担任の矢麻田やまだ先生の顔が真っ赤になっていることの方に目が行く。やっぱり先生も暑いですよね? 授業やめて、いったん休みましょうよ。エアコンは故障してるし、誰も集中なんてできませんって。

 それにしてもエアコン君、今年一番の暑さにキミがやられてるんじゃないよ。業者が修理にきてくれているが、それが終わって我らがエアーコンディショナーが息を吹き返すのは四時ごろになるらしい。


 結局、意識を授業に向けることはできず、ようやく鳴った終業を知らせる無機質な金属音が、私には天使のファンファーレにすら聞こえた。




 「あぁ~涼しい! やっと生き返ったんだねエアコン君!」

 放課後、図書室で本を返却して三年教室へ戻ると、思わず声が漏れた。さっきの暑さは気のせいだったんだ、多分。私の声でこちらを振り返った男子が、声をかけてくる。

「……嬉しそうだねミチル。理科のとき、未来ある中学生がどうとか、フェノールフタレイン溶液が赤くなるからなんだとか、天使のファンファーレがどうとか、って考えてたもんね」

「コータ、あんたねぇ……。仕方ないでしょ? 暑すぎて集中なんか絶対無理だよ!」

 私はすぐに言い返す。おとなしそうな声して、私の考えてたことを暴露するんじゃない。

 彼は海乃うみの洸太コータ。コータには隠し事ができない。したとして、それは無意味というものだ。彼は「心を視る力」──心情透視能力を持っている。なんでも、他人の脳に干渉できる能力というのは珍しいそうだ。漫画や小説なんかで出てくる超能力としては初歩かもしれないが、人の心というのはそう簡単に解るものではないらしい。それにしても──

「前の席にいる私の心情透視をずっとやってたなんて、コータもずいぶん暇だったんだねぇ?」

「……まぁ」

「仕方ないよ。暑すぎて集中なんか絶対無理、でしょ? ミチル」

 私の横から口を挟んだのは八重山やえやま凛紗リサ。コータに反撃を試みたつもりだったが、さっき自分が言った台詞をそのまま返されて言葉に詰まる。

 私の無言の視線を受けたリサは左手を持ち上げ、眼鏡をかけた眉間に人差し指、唇の辺りに親指を当てながら、

「じゃあ、その授業の内容、教えてあげようか────矢麻田先生が授業開始のチャイムに五分二十三秒遅れて、苦しい言い訳をしながら教室に入ってきたところから聞く?」

 とのたまった。

「要らない情報が多すぎるよ……。もうちょっとこう、かいつまんで──とかないの?」

 私が苦言を呈すと、「それは専門外なんだよねー」と顔から離した手をひらひらと振るリサ。──やむなし。

 リサはかい記憶きおくという能力を持ち、さっきのやけに中二病感のあるポーズをしている間は、五感全ての情報を記憶したり思い出したりできる。脳がキャパオーバーしないか聞いたこともあるけれど、「しないね。いっぺんに使いすぎると思い出す速度が落ちるけど」だそうだ。……コンピューターか何かなのだろうか。私も勉強はできる方だが、どうしても暗記だけは彼女に敵わない。


 と、リサが時計を見上げて呟いた。

「四時半だ。そろそろ帰った方がいいかな」

 私たちが通う河神かわかみ中学校、その校舎のどこかからは卓球部のピンポン球の弾む音や、吹奏楽部が練習している流行りの曲なんかが聴こえてくる――が、生憎私たち三年生は今月始めに行われた中体連を最後に部活を引退している(そもそも、私やリサは部活に所属していなかった)。

 そんなわけで、私たちは砂漠のオアシスだった教室を後にし、未だ冷めることも知らない屋外へと出ることにしたのだった。

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