第25話 ありがとう。さようなら

 巨大なアルテミスを倒すと、五十個以上のビットがドロップした。

 使いこなすには練習が必要だが、あって困るものではないので、とりあえず回収しておいた。


 三人はキシーナの町に向かって街道を歩く。

 道中、リネットはずっと口数が少なかった。

 そして。

 世界が砕けたかと思うような不吉な気配が通り過ぎていった。

 キシーナの町から……より正確には不確定都市の方角からの気配だ。


「あ……やっぱり時間切れだ……テオドール、ヘルヴィ。ごめん。私、ここまでだ」


 リネットはそう呟きながら小走りに前に出る。振り返って、泣きそうな笑顔を見せてきた。どういう意味かと問う前に、彼女の全身が光に包まれた。

 そして白銀のドラゴンが現われた。

 竜と人の姿を自在に変えられる者……それは竜人にほかならない。


「リネット、お前は、まさか!」


 ドラゴンは巨翼をはためかせ、大木が揺れるほどの風と共に飛び去っていく。


「師匠! 追いかけて!」


 ヘルヴィが叫んだとき、すでにテオドールは足に魔力を集中させていた。

 石畳で舗装された道路が陥没するほどの脚力で走る。

 それでもドラゴンの姿が小さくなり、ついに見失ってしまった。だが、さっきの気配がした方角へ直進していたのだから、このまま進めば追いつけるはずだ。


 しばらく進み、キシーナの町まであと少しというところで、大勢の人が座り込んでいるのが見えた。

 十人や二十人ではない。端が見えないほどの大行列だ。

 旅人の集団にしては軽装すぎるし、多すぎる。


「あんたら……こんなところでどうしたんだ?」


「ドラゴンだ! いきなり町にドラゴンが降りてきたんだよ!」


 彼らはやはりキシーナの町から逃げてきたいらしい。

 そこに現われた白銀のドラゴンは、幾度も咆哮を上げながら、町の上空を旋回した。それから広場に降り立ったという。地響きで町全体が揺れた。大勢がドラゴンブレスが空に放たれるのを見た。天の果てまで届きそうな火柱。


 腕に覚えのある冒険者がドラゴンに立ち向かっていった。

 しかし尻尾の一撃で吹っ飛ばされ、まともに近づくこともできない。攻撃魔法も弓矢も、ウロコに弾かれまるで通用しなかった。


「俺たちだってハルシオラ大陸で生まれ育った人間だ。ちょっとやそっとじゃ驚かない。しかし町中でドラゴンが暴れるなんて、どうしていいか分からねぇ……」


「それで町の全員で逃げてきたのか」


 わずかな荷物も持たず、まさに着の身着のまま。混乱が見て取れる。


「ところで。あんたたちの中で、家族や知人が死んだという者はいるか? 町民でも旅人でも、誰かドラゴンに殺されたか?」


 テオドールの質問に、町民たちは顔を見合わせる。

 冒険者たちを含めた何人かが怪我をしたくらいで、今のところ、死人を確認していないらしい。


「なるほど、分かった」


「おい、あんちゃん。町に行くのか!? 命知らずになにを言っても無駄だろうけど……気をつけろよ! ドラゴンだけじゃない。さっき、わっけ分からん気配が不確定都市からした……そのすぐあとにドラゴンが来たから俺たちはこんなに怯えてるんだ! 確実にとんでもないことが起きてるぜ!」


「ありがとう。そして安心してくれ。その気配の主は、俺が倒す」


 そしてテオドールは、キシーナの町についた。

 本来、この季節になれば、町の中も外もワスレナグサの青い花が咲き始めているはず。アンリエッタにそう教わった。

 しかし花はどこにもない。見えたのは花のない草ばかり。


 中心の広場に行く。

 噴水も周りの建物も粉砕されていた。

 瓦礫の中にはドラゴンではなく、リネットが立っていた。


「テオドール。そこの掲示板の張り紙、見た?」


「ああ。見た。今年は気温が上がらず、ワスレナグサの開花が遅れているようだな。それで祭りの開催も遅らせるらしい」


「残念……お祭りは駄目でも、花は見れると思ったのに……」


「中止じゃなくて延期だ。少し待てば花は咲く」


「そうだね。でも私にはそれを待つ時間がない……ねえ、テオドール。少し歩こ? もうすぐアンリエッタが来る。迎えに行こう」


「……分かった」


 テオドールは、リネットに聞かなければならないことが数多くあった。

 それを聞く度胸がなかった。

 いくつもの修羅場を超え、死さえ経験したのに、真実を聞くのが怖かった。

 だが、知らないままなのは、もっと怖い。


「お前の言うとおり、アンリエッタの気配が近づいてくる。だがアンデッドはダンジョンから出ないはずだ」


「……アンデッドなのに人を殺さないように無理をしてきた。その無理のせいで歪みがでて、もっと大変なことになった。でもね、アンリエッタを褒めてあげて。テオドールが来るまで我慢したんだよ」


「リネット。お前は俺のなんだ」


「……友達」


「じゃあアンリエッタのなんだ」


「……」


 すらすらと答えてきたリネットの口が止まった。


「……俺とアンリエッタの娘なのか?」


 テオドールは質問の追撃をする。

 リネットは丸い目で見上げてきた。それから嬉しそうな、寂しそうな、色々な感情が交ざった笑みを浮かべる。


「うん……分かっちゃうんだ……」


「分かってはいない。分かっていたら……確信していたら、もっと早く聞いていた。だが……お前はアンリエッタにそっくりで竜人だ。深い繋がりがあるのとしか思えない。それで……もしかしたらと」


「どうせお別れするから、最後まで言わないつもりだった。ここにいる私は魂だけの存在。この体は魔力で作った擬似的なもの。本体はお母さんのお腹の中にいる。人間と竜人に子供ができないって言われてるけど、それは間違いで、確率が低いだけだったみたい。エルフと人間でも低い確率でハーフエルフが生まれるけど……あれよりもっと奇跡的な確率で、私ができた。そんな奇跡が起きたのに……お腹が膨らむ前に死んじゃって、一緒にアンデッドになった。それからずっとお母さんと二人だった」


 予感はしていた。

 だが、こうして本人の口から語られると、衝撃は想像を超えていた。

 アンリエッタの中に子供がいた。テオドールは知らないうちに父親になっていた。


「お母さんは自分が怪物になるのが嫌だった。自分が消えて、なのに体だけが残って、人を襲って更に怪物を生み出す……そんなの絶対になりたくなかった。だから頑張った。アンデッドの本能を抑え込んだ。いつかテオドールが壊しに来てくれるその日まで頑張るって。どうしても最後に伝えたいことがあるからって」


「最後に伝えたいこと……」


「それは本人から聞いて。私、お母さんのところに帰る。ちゃんと終わらせてあげてね」


「待て、リネット。俺がアンリエッタを倒したら……お前はどうなるんだ?」


「消える。だって私もアンデッドだから。二人で一つだから。お母さんは、テオドールが転生したのも、この十五年でどんどん力を取り戻していくのも感じてた。そして自分と私の限界が近いのも。二人がかりでもアンデッドの性質を抑えられないって悟って。それで最後に私のこと、ポンって押し出してくれた。テオドールに会って来なさいって」


 もうすぐ町の北門だ。

 そこを出ると二人の時間が終わってしまうような気がした。テオドールは歩みを止めたかった。しかしリネットは進んでいく。


「会えてよかった。会うだけのつもりだった。本当はこんな最後の瞬間まで一緒にいるつもりなかった。だって……お別れが寂しい。けど後悔してない。テオドールとヘルヴィと友達になれた。凄く楽しかった。そのぶん辛いけど、なにもないよりいいことだと思う。私、幸せだった。私はちゃんと生きたって、胸を張ってさよならできる」


 リネットは門の外に出た。


「待て!」


 テオドールは腕を伸ばす。

 しかし手応えなくすりぬけた。もうリネットの体が半透明になっていた。

 両腕で抱きしめようとする。無駄だった。


「テオドール、あたたかい。ちゃんと伝わってる。ありがとう。さようなら――お父さん」


 リネットは初めて会った頃とは比べものにならないほど自然に笑って、完全に消えてしまった。

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