第6話 いざ転生

 三十歳。

 今ある寿命を有効利用するため、睡眠が一日一時間で済む薬を作った。

 食事の時間も無駄なので、一粒で一日分の栄養を取れる錠剤も開発した。

 増えた時間は、修行と探索と研究に使う。




 三十五歳。

 やっと三属性の同時展開を習得した。

 錬金術の研究を重ね、病気や怪我に効くポーションをいくつか作った。その功績で魔法師協会から勲章をもらった。

 六大ダンジョンの一つ『無限の塔』の攻略を本格的に始める。




 四十歳。

 無限の塔の二百階まで辿り着いた。

 強い魔力を秘めた魔石や護符、ミスリルやオリハルコンなど、貴重なアイテムを手に入れた。

 しかし寿命を延ばすのに役立ちそうもない。

 千階まで行ったという冒険者の話によれば、そこまで登っても、寿命に関係ありそうなものはないらしい。

 自分の目で確かめたいが、時間がかかりすぎる。千階につく頃にはテオドールは老人だ。

 別の手段を探そう。




 五十歳。

 魔力は伸びた。剣技も上達した。薬のおかげで同年代よりは若く見られる。それでも小ジワが目立ってきた。

 近頃、これといった成果がない。

 四属性の同時展開に成功した。冒険者ギルドは、空位だった白騎士の称号をテオドールに与えると決めたらしい。

 それがどうした、と思う。テオドールは白騎士になりたいわけじゃない。白騎士アンリエッタにもう一度会いたい。それはもう絶対に叶わないから破壊してやる力が欲しい。だが、遠い道のりだ。

 アンリエッタを忘れてはならない。しかしアンリエッタを想う時間は無駄だ。なので己の性器を切断した。それでも足りないので脳の一部を破壊した。これでテオドールは三大欲求をほぼ排除できた。

 偶然通りかかったエルフの村が焼かれていた。エルフという種族は美しい。だからその村を襲って誘拐し、奴隷として売りさばく不届き者がいるのだ。

 不届き者たちを殺し、水魔法で消火してやった。

 エルフの少女に懐かれ、弟子にして欲しいとお願いされたが、丁重にお断りした。




 六十歳。

 なにをやっても行き詰まりを感じる。

 自分はしょせん凡人なのだと痛感する。

 どうすれば宇宙と空間を繋いで隕石を召喚できるのだ。どうすればあの攻撃を防げるのだ。どれほどの魔力が必要なのだ。

 自分がその領域に至るには何百年必要なのだ。

 足りない。時間も才能もなにもかも。




 七十歳。

 いつだったか助けたエルフの少女が、テオドールの場所を突き止めて現われた。あんなに小さかったのに、美しい大人の女性になっていた。

 エルフは二十歳前後までは人間と同じような早さで成長し、そこからはほとんど老化しない。羨ましい話だ。

 エルフはヘルヴィと名乗った。

 テオドールはヘルヴィを弟子にした。

 誰かに教えることで知識や技術を再確認できる。そして彼女は天才の部類だった。成長すればいいパートナーになるだろう。テオドールは一人だけの研究に行き詰まりを感じていた。




 七十一歳。

 弟子がいる、というだけで生活がガラリと変わった。

 自分が教えたことを吸収し、どんどん成長する弟子を見守るのは楽しかった。かつてアンリエッタもこんな気持ちだったのだろうか。

 一緒に基礎から学び直している気分だ。




 七十二歳。

 近頃、普通に食事をするようになった。ヘルヴィにせがまれたのだ。

 初めは渋々だったが、久しぶりに料理を味わって涙が出そうになった。

 試しに睡眠も取ってみた。

 目覚めると、驚くほど頭が働いた。青空の青がいつもより濃く見えた。体が軽い。

 今まで自分はなにをやっていたのか。

 近道をしているつもりで、同じところをグルグル回っていたのかもしれない。




 七十五歳。

 ずっと使ってきた父親の形見の剣。それがついに折れてしまった。

 ミスリル製の業物だったが、今のテオドールの力にはそれでさえ耐えられない。

 ヘルヴィとともに無限の塔の三百階まで上り、金属を集める。

 そして折れた剣を溶かし、ミスリル、オリハルコン、ヒヒイロカネを混ぜた合金を作って、ドワーフに剣を打ち直してもらった。デザインは元々と同じ。父親の形見はより強くなって復活させた。




 八十歳。

 剣やコート、靴や手袋といったあらゆる装備品に付呪をやり直した。

 これまでのように表面に術式を刻むのではない。

 分子構造一つ一つに刻む。

 これにより、魔力が拡散することなく効率的に運用できる。分子の結びつきが強固になり装備品の強度が跳ね上がった。自己再生能力さえ付け加えることができた。

 テオドールはその理論を魔導書にまとめて魔法師協会に提供した。

 誰かが更に改良してくれると期待したのだ。

 ところが改良どころか、再現できる者さえ少数だった。

「それはそうでしょう。師匠の理論はそれだけ難解で、技術は神業なんです」

 ヘルヴィは自慢げに鼻息を荒くする。

「俺とお前で作った理論だ。どうせ自慢げにするなら、我がこととして誇れ」

 するとヘルヴィは照れくさそうに頬を朱に染めた。




 九十歳。

 魔法技術は冴え渡り、これまでよりも素早く、遠くまで飛ばせるようになった。相手が静止しているなら、地平線にいても精密狙撃できる。

 しかし魔力は伸びなくなった。

 見た目も老けてきた。六十歳くらいに見える。

 まだ背は曲がっていない。

 それでも、万能感に包まれていた二十代がとても懐かしく思える程度に、テオドールの身も心も老人になっていた。




 百歳。

 日々の生活で、衰えを実感する。

 テオドールは修行も探索も辞め、転生の研究一本に絞った。




 百五十歳。

 杖がないと歩くのが難しくまってきた。

 来世を見据えて、まだ動けるうちに世界中を巡って、隠し倉庫を沢山作る。

 どの土地に転生しても、最低限の装備を調えられるように。




 二百歳。

 ベッドに横になっている時間のほうが長くなってしまった。

 このまま安静にしていれば、もう何十年か生きられるかもしれない。

 しかし意味がない。


「ヘルヴィ。転生の儀式を頼む」


 食事を持って来た弟子に、テオドールはしわがれた声で言う。


「師匠……まだ、焦る必要はないと思うよ。若返る方法が見つかるかもしれないし。ほら、エルフであるボクを研究して、長寿の秘密を探るとか言ってたじゃん!」


「よく見ろ、ヘルヴィ。痩せ細った俺の体を。次は魔力が痩せ細っていく。そうなってから転生したのでは遅すぎる。それにアンリエッタは二百歳で死んだ。今の俺も二百歳。丁度いいだろう」


「…………分かった」


 テオドールは複雑怪奇な魔法陣の上に寝かせられた。

 その周りには、高純度の魔石が並べられている。

 そしてヘルヴィの手には、この儀式用に作ったナイフがある。

 彼女はテオドールの腹に跨がって座り、ナイフを両手で握りしめる。

 百年以上かけた研究は、おそらく完璧のはずだ。

 あとはナイフで心臓を貫けば、テオドールの魂はこの体を離れ、どこかの胎児に憑依する。

 しかし最後の仕上げが、なかなか進まない。

 ヘルヴィはナイフを握ったまま動かない。


「ヘルヴィ。お前には感謝している。お前が弟子になってくれなかったら、この歳まで生きられなかっただろうし、転生魔法が完成することもなかった。それと金勘定が得意なのも助かった。おかげで魔導書やら魔石やらを買いそろえるのが随分と楽になった。お前は俺なんかより強い魔法師になるだろう」


「師匠より強くなるなんて無理だよ……ボクにとっての最強は師匠だ。ボクの村を救ってくれたあの日から、白騎士テオドールはボクのヒーローだった」


「ヒーローか。お前のような美人にそう言われると、こんな枯れたジジイでも、悪い気はしないな」


「師匠……。あなたはボクの初恋の人だ。あの日からずっと大好きだよ」


 かつて少女だったエルフは、美しい女性になって現われた。

 それから百三十年。彼女は時間が止まっているかのように、ずっと美しいままだった。

 ここから更に千年以上、彼女は若いまま生きていく。

 長命の種族と、人間。その差は絶望的だ。その差をテオドールは超えなければならない。


「俺の心は、今でも一人の女性に奪われたままだ。不確定都市をさまよっている彼女を破壊して、送ってやる。俺はそれしか考えられない不器用な男なんだ。ヘルヴィの気持ちに応えることはできない」


「うん。知ってるよ。だからさ、来世こそ目的を果たしてよ。そのとき改めてアプローチするから。師匠が経験したことがないような苛烈な求愛をしちゃうから。覚悟してね」


 ヘルヴィは泣きながら笑う。

 ポニーテールに結った黄金の髪。ピンと伸びたエルフの耳。エメラルド色の瞳。

 こうして正面からじっくり見ると、アンリエッタにも劣らない。

 美人だとは認識していたが、本当の意味で分かっていなかった。

 師匠と弟子。種族の違い。

 色々な言葉が頭に浮かんだが、どれもかつてアンリエッタがテオドールの求愛を断る口実に並べたものと同じだった。


 テオドールがアンリエッタを見送って、それでもまだ生きていられたら。

 そのとき自分は弟子の求愛に、なんと答えるのだろう。

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