第5話 悠久の時間を求めて
アンリエッタと同じ時間を生きたい。
テオドールは本気だった。
だが、どんなに健康的生活を心がけ、かつ運がよかったとしても、真っ当な方法で人間が生きられるのは百年かそこらだ。それに長生きできたとしても、徐々に体が弱っていくのは避けられない。自由自在に動き回れる時間はとても短い。
魔法や薬で老化を遅らせても、やはり限度がある。今のところ最高齢の記録は、二百歳だという。
数千年も生きる竜人とは、スケールが違いすぎる。
しかしテオドールは諦めない。
人間が竜人と同じ寿命を得る方法は今現在、見つかっていない。が、存在しないと確かめた者もいない。
もしかしたら世に発表していないだけで、すでに千年以上も老化しないで生きている人間がいるかもしれない。
いなかったらテオドールが先駆者になってやる。
方法を確立する。
過去を学んで改良し、未来を作る。
人類はそうやって発展してきたのだ。
テオドールとアンリエッタは、まず書物にヒントを求めた。
冒険者ギルドや魔法師協会の閲覧可能な蔵書を読みあさる。稀覯本蒐集家の依頼を受け、その対価にコレクションを見せてもらう。魔導書をオークションで落札するため金を貯める。古代の図書館に侵入するため、門番のゴーレムと戦う。
長寿に挑んだ者は大勢いて、効果が認められた方法はいくつもあった。
回復魔法の応用で細胞を活性化させる。貴重な素材を組み合わせた薬であらゆる病気を予防する。瞑想で魂の劣化を防ぐ。
だが、その全てが上手くいったとしても、たかが知れていた。
テオドールには未知の〝なにか〟が必要だった。そのヒントは尋常なところにはなさそうだ。ゆえに尋常ではないところに行く。
ダンジョンだ。
ダンジョンはモンスターが無限に湧き続ける危険な場所だが、同時に、アイテムが無限に湧き続ける場所でもある。
そこで手に入るアイテムは、本当に様々だ。
たんなる鉄のナイフや果物といったどこにでもありそうな物。つねにそよ風を放ち続ける羽根。究極の快楽と依存症をもたらす木の実。塵屑を肉に変えてしまう包丁。内部の時間が停止している箱。空間を黒く塗りつぶして何者も侵入できなくしてしまう絵の具。
人知どころか神々の理解さえ超えたアイテムも多いらしい。
ダンジョンには異世界の法則が流れ込んでいる、という説もある。
そんな場所なら、数千年の寿命をもたらしてくれるものがあるかもしれない。
ダンジョンの探索は危険がつきものだ。
だが白騎士アンリエッタと、その弟子テオドールは、大量のアイテムを抱えて幾度もダンジョンの深層から生還した。
二人が冒険者ギルドにアイテムを持ち込むたび、そこに出入りしている商人は目を輝かせた。
テオドールたちが望むアイテムはなかなか見つからないが、金と実績は積み上がった。
それをもとにして新しい魔導書を手に入れ、貴重な素材を調合して薬を作る。武装を整え、ダンジョンに潜る。
※
テオドールは二十五歳になった。
目的を達成する目処はまるでたたない。しかし老いを意識する年齢は遙か先なので、焦りはなかった。
愛しいアンリエッタと毎日研究したり冒険したりする日々が楽しく、それに終わりがあるなんてイメージできなかった。
特別なことをしなくても、自分はこのまま永久に生きていられるのではないか。そんな若者特有の万能感がテオドールを支配していた。
「ねえ、テオドール。行きたい町があるんです。キシーナの町っていうんですけど、そこでもうすぐお祭りがあって……」
「祭り? なにか特別な祭りなのか?」
「ええっと。ワスレナグサの花が町全体に咲いていて、とても綺麗なんですよ」
「そのワスレナグサは特殊な品種なのか? 薬草成分があるとか、香りでモンスターを寄せ付けないとか」
「いいえ。普通のワスレナグサです。青くて小さくて可愛い花。キシーナの町自体も、どこにでもありそうな小さな町。ぱぁぁっと咲き誇るワスレナグサを見ながら、みんなで踊ったり、お酒を飲んだりするお祭りです」
「もっと有名で規模の大きい祭りがいくらでもあるのに、どうしてそこなんだ?」
「私が子供の頃……それこそまだ十歳とかだったとき。お父さんと一緒にそのワスレナグサ祭りに行ったんです。竜人って排他的なんですよ。竜人こそがあらゆる人の中で最も優れていると固く信じていて、そのせいか、ほかの種族とあまり交流しません。なので私は、竜人の里から出たことがなくて、世界はどうなっているんだろうと想像を巡らせる少女でした。想像だけでは我慢できなくなって、何度も里を脱走しようとしては大人に捕まっていました。子供が人間の文化に染まるのが嫌だったんでしょうね」
「……たんに方向音痴の子供を心配しただけかもしれないぞ」
「そ、その可能性も大いにありますけど……とにかく、私があんまり外に行きたがるので、お父さんがワスレナグサ祭りに連れて行ってくれたんです。一度行けば気が済むと考えたんでしょう。でも私は外の世界をすっかり気に入ってしまいました。そのあとも脱走にチャレンジし、ついに成功し、今に至るというわけです」
「よく一人で迷子にならずに旅ができたものだ」
「迷子にはなってますよ。進み続ければ、どこかの町や村につきますから。なんとか生きてます」
「恐ろしい旅の仕方だ……」
「あはは。それで、ふと久しぶりに見たくなったんです、ワスレナグサ祭り。テオドールと一緒に思い出のお祭りを回って、新しい思い出を作りたいなぁって」
「好きな相手にそういう言い方をされたら、頷くしかないじゃないか」
「あとですね……久しぶりにお父さんとお母さんに会いたいと思いまして。けど、家出したまま百数十年も帰ってないので、一人で里帰りするのは緊張します。一緒に来てください。で、両親に紹介しますから。私の大好きな人です、って」
「それ、俺のほうが緊張するやつじゃないか」
「……駄目、ですか?」
「駄目じゃない。むしろ嬉しい。なにせ竜人の里は、冒険者ギルドも魔法師協会もどこにあるか把握していない。竜人の導きがないと入ることができない土地なんだろ? そこに行ける機会を逃してたまるか。それに、俺もアンリエッタの両親に会いたい。娘さんをください、って」
「えへへ。テオドール、大好きです。ちゃんと長生きしてくださいね。私より先に死んだら駄目ですよ」
「分かってる。どっちが長生きするか競争だな」
キシーナの町から少し離れたところに、六大ダンジョンの一つ『不確定都市』がある。
ワスレナグサ祭りが始まるまで、そこに潜ることにした。
テオドールにとって特別な意味を持つダンジョンだ。
愛する人の両親に会いに行く前に、父親が死んだ場所に行く。狙ったわけではないが、なにやら因縁めいていた。
父親が生還を果たせなかった場所を冒険することで、少年時代にケリをつけられる気がした。
どうせアンリエッタの両親に会うなら、少しでも大人の顔になりたい。
不確定都市を歩くとき、いつも以上に注意しているつもりだった。
とはいえ、今までどのダンジョンからも生還した。もう自分は父親を超えている。ゆえに六大ダンジョンだからと恐れる必要はない――。
そう油断したテオドールに、スズメバチ型のモンスターが襲い掛かってきた。
全長一メートルはある。それが建物の影から不意に現われ、音速を遙かに超えて突進してきた。
景色がぐにゃりと歪んでいたので、空間を操作して加速したのかもしれない。
テオドールは辛うじて反応し、剣でその胴体を斬り裂く。が、その背後にもう一匹いた。
目で追うことはできる。
だが体がついていかない。攻撃も防御も回避も間に合わない。
次の瞬間。
テオドールは真横に転がった。
アンリエッタに突き飛ばされたのだ。
そして彼女は灼熱の炎で二匹目のスズメバチを焼き尽くした。
「……今のは……完全に俺の油断だった。助かったよ。ここは父さんが眠る場所。気を抜いていいわけないのにな」
テオドールは自省する。
アンリエッタはなにも言ってくれなかった。
「師匠……?」
モンスターを倒した。それは事実だ。
しかし敵は死ぬ直前、針を発射したらしい。
針は恐るべきことにアンリエッタの防御結界を貫いて、心臓に突き刺さり、背中まで貫通していた。
「師、匠」
テオドールは腕を伸ばした。
腕が届く前に、彼女はうつ伏せに倒れる。
動かない。
指先さえピクリともしない。
テオドールはそれを現実の光景だと思えなかった。
そういう絵を見ているのだと思った。
あの白騎士アンリエッタが、死んだ?
馬鹿な。あり得ない。それも、自分を庇って。
名前を呼びかけようとしたが、上手く声を出せない。
呼吸が上手くできない。鼓動も止まりそうだ。
「――」
かすかに声が聞こえた。
それから師匠の肩がわずかに震えた。ゆらりと風に揺れるような仕草で起き上がる。
「……アンリエッタ!」
テオドールは彼女が動くのを見て、安堵の息を吐いた。心臓がまた動き出し、手足に体温が戻ったような気分だ。
しかしアンリエッタの瞳を見て、なにもかもが壊れたあとだと気づいてしまう。
表情にも体の動きにも、生気がまるでなかった。
ダンジョンで死んだ者は、アンデッドになり、人を襲ってアンデッドを増やす。
その基本を思い出した。
「――――」
彼女の口が動いて、なにかを呟いた。
逃げて、と聞こえた気がした。あるいは、ただの風の音だったかもしれない。
わずかな戦意や殺意もなく、攻撃魔法が展開された。
炎の槍。雷の槍。氷の槍。土の槍。
魔法師のあいだでは、二つの属性を同時に使うのは至難の業とされている。
テオドールは先日、それに成功したばかりだ。
なのにアンリエッタは倍の四属性。まだまだ格が違う。
とはいえ二属性同時にできるなら、不確定都市でも通用するだろう。そうアンリエッタに認められてここに来たのだ。
テオドールは嬉しかった。
六大ダンジョンと呼ばれるほどの難所なら、きっと素晴らしい発見をできるはず。
師匠に実力を認められたのが誇らしい。
なにより父親が死んだ場所である。そこで探索するのは仇討ちの代わりになるような気がした。
つまり浮かれていた。
浮かれているからモンスターに不意打ちを許してしまう。師匠の命を盾にすることになる。
「師匠、嘘だろ……あんたが死ぬわけ……だって俺のほうが先に死ぬから、それをなんとかしようって二人で色々試して……なのに!」
返事はない。
代わりに四属性の槍が飛んできた。
ほかの魔法師ならともかく、アンリエッタの膨大な魔力が込められた魔法を防ぐには、その属性に特化した防御障壁を作るしかない。
だがテオドールが同時に出せるのは二属性まで。
なので、まずは炎と雷を防ぐのに特化した障壁を出し、後ろに下がる。次いで氷と土を時間差で防いだ。
二人の魔法が相殺され、魔力が空気中にたちこめる。
陽炎のように景色が揺らいだ。
その奥から、アンリエッタが矢のように迫ってきた。
テオドールはそれを想定していた。振り下ろされた杖をなんとか剣で弾くのに成功。
火花が散る。
攻撃が続く。
「師匠! アンリエッタ!」
死んだなんて嘘だ。アンデッドのはずがない。
きっとテオドールの油断を戒めるための演技だ。
それについては反省したから、どうか全て冗談だったと笑ってくれ。
なんでもする。なんでもするから――。
「嘘だと言ってくれ、アンリエッタ!」
返事はない。
彼女はどこを見ているのか分からない虚な瞳で、苛烈な攻撃を次々と放ってくる。
嘘ではない。だが本気でもない。
目の前にいるのはただの死体で、そこに意思などない。
二十年も一緒に過ごした相手だからこそ、どうしようもなく分かってしまう。
何度も剣と杖をぶつけ、魔法の応酬を重ね、テオドールは納得させられた。
これはもうアンリエッタではない、と。
自分の責任において破壊しなければならないアンデッドなのだ、と。
だから涙を流しながら、本気で攻撃した。
なのに刃は届かない。
明らかに生前より弱体化している。それでも超えられない大きな壁。
生前。
まだアンリエッタは動いているのに、そんな言葉を使わねばならない。
全てはテオドールの慢心が招いた結果。
これから何千年も一緒に歩むつもりだった。
けれど彼女の時間は、もう終わった。
ならテオドールもまた、生きていても仕方がない。
ここでアンリエッタを壊して、自分も共に眠る。
実力差は、命がけの相打ち狙いで埋められるだろう。
剣を握る拳に力を込める。全身に魔力を流して筋力を強化する。いつもなら耐久力も強化して自分が壊れないようにする。が、もうそんなのは考慮しない。
バラバラに千切れてもいい。
愛した女と滅びる。
その決意を一笑に付すかのような現象が起きた。
不確定都市の空は、今まで灰色の雲で覆われていた。
なのに突然、夜になった。
いや、アンリエッタの上空だけが、円形の絵を張り付けたように星空へと変わったのだ。
夜、というより、宇宙とここを直接繋げたように感じる。
それだけでも想像を絶する技だが、星空の向こうから、更なる力が迫ってくる。
石だ。
城のように巨大な隕石を、不確定都市の上空に召喚したのだ。
白騎士アンリエッタの魔力とは、ここまでのものなのか?
だとすればテオドールは、彼女の真の力を知らなかったことになる。
ああ、これでは教えられないだろう。
真の力を見せたが最後、周囲は廃墟と化し、誰も彼もが死ぬのだから。
次の瞬間には、もうテオドールは爆発に飲み込まれていた。
辛うじて防御障壁が機能しているのは、離れた場所に隕石が落ちたからだろうか。
なにも分からない。
衝撃波で転げ回り、上下も分からない。
決意をかなぐり捨てて、廃墟の中を逃げる。
不確定都市は巨大だ。
あの大爆発でも全てを破壊し尽くせていない。不確定の名にふさわしく、しばらくすれば廃墟が消えて別の姿を見せてくれるだろう。
テオドールはまだ建物が残っているエリアまで辿り着いた。
ふと、物陰から空を見上げる。
円形の星空を背景に、銀色の髪をなびかせるアンリエッタが宙に浮かんでいた。
どうやら逃げ出したテオドールに興味がないらしい。
今のアンリエッタにとってテオドールはその程度の存在。
否。おそらく存在を認識さえしていない。ただアンデッドの性質に従って攻撃していただけ。
ダンジョンで死ねばアンデッドになる。アンデッドはほかの者を襲ってアンデッドを増やす。ただしアンデッドは生まれたダンジョンの外に出ることはない。
「今の俺じゃ、あんたを壊してやれない……だが、俺は必ず戻ってくるぞ……」
十年や二十年では、差を埋められない。
ならば百年でも二百年でも修行すればいい。
そのために寿命を延ばす。延ばしても足りなければ転生してやる。
これまでとやることは変わらない。
変わったのは目的だけ。
愛した女と共に歩むのではなく、死体を壊す。
そのためにテオドールは悠久の時間を求める。
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