第2話 出会いと旅立ち

 男の名は、テオドール・ペラムという。

 父親は冒険者だった。それも六大ダンジョンに何度も潜って、そのたび五体満足で帰還する一流の冒険者だ。

 母親も昔は冒険者だったらしいが、テオドールを産んで引退した。

 そしてテオドールが五歳のとき、母親のお腹が膨らんだ。

 その中に弟か妹がいると聞いて、身が引き締まる思いだった。

 もう甘えてばかりいられない。兄としてしっかりしなきゃ。新しく増える家族を可愛がらなきゃ。

 五歳ながらにそう思った。


 父親はまとまった金を用意するため、六大ダンジョンの一つ『不確定都市』に向かう。

 いつもつるんでいる仲間のほかに、心強い助っ人が一緒だった。

 五色ごしきの一人、白騎士アンリエッタだ。


 家の近所を駆け回っているだけのテオドールでさえ、五色が偉大な冒険者の称号だと知っている。

 そんな凄い人と肩を並べて戦える父親を尊敬した。


「その子が産まれるまでには必ず帰ってくるよ。それで、しばらくは一緒にいる。そのための遠征だ」


「無理しないで。とにかく無事に帰ってきてね」


 母はそう言って父を見送る。


「テオドール。お母さんを頼むぞ。お前がいるから俺は安心して冒険にいけるんだ」


「うん! 任せて!」


 それから何ヶ月経っても父親は帰ってこなかった。

 新しい家族が今にも産まれそうなのに帰ってこない。

 母親が流行病で高熱を出しても帰ってこない。

 近所の人がお粥を作ってくれたけど、母は一口も食べられなかった。

 作り方を習ってテオドールが作ったお粥は、一口だけ食べてくれた。


 次の日。母親は冷たくなっていた。

 元気だったお腹の中の子も、ちっとも動かない。


 葬儀と埋葬は、近所の人たちがやってくれた。

 みんな悲しんでくれた。

 テオドールも泣きはらした。

 母親と、生まれるはずだった弟か妹を失った。それをしっかり悲しんだ。

 父親が帰ってきたら、どうして肝心なときにいなかったんだ、と怒鳴るつもりでいた。

 別に父親がいてもいなくても、母親は死んでいただろう。

 子供ながらにそう分かっていたが、怒りをぶつける先が必要だった。

 それ以外に正気を保つ方法がないのだ。


 母親の死から十日ほど経ってから。

 父親と一緒に出発した冒険者たちが帰ってきた。

 父親と白騎士アンリエッタの姿はなかった。


 白騎士アンリエッタがいるから絶対に大丈夫だと思っていたのに。

 いつもと変わらなかった。

 ダンジョンは危険で満ちていた。

 白騎士なんて有名なだけの役立たず。

 だからテオドールの父は死んだ――。

 冒険者たちはそう語った。

 自分たちは悪くない。悪いのは全て白騎士だと言いたげに。


 テオドールもそう思った。

 だって五色は有名だ。無敵であるべきだ。

 あんなに強くて立派な父親が死んだ?

 おかしい。

 白騎士が足を引っ張ったんじゃないのか?


 父の死を聞いてから、テオドールは家から出なかった。

 ずっと膝を抱えていた。起きているのか寝ているのか自分でも分からない。

 夢を見ていた。

 父親と母親と、生まれるはずだった子。それとテオドールの四人で暮らす夢だ。

 弟か妹か分からない。姿がぼんやりしている。

 だんだん全てがぼんやりしてきた。

 自分が死につつあるのを感じる。

 死ねば家族のところに行けるだろうか。


「テオドールくん、また食べてない……あのままだと本当に死んじゃうわ」

「……むしろ、そのほうが救いになるかもな。家族が誰もいなくなって、五歳でひとりぼっちだ。俺たちだって余裕があるわけじゃないし」

「そうね。正直、たんに家が隣ってだけの子に、いつまでも構ってられないわ。本人に生きる意思がないのだし……」

「ああ……それに俺たちが助けなくても、きっと誰かがやるよ……」


 食料を持って来てくれていた近所の人が、そう囁いていた。

 テオドールはいくら考えても、生きる理由を見つけられなかった。

 周りの人たちも生きるのを望んでいなかった。

 なら、やはりこのまま消えたほうがいいんだ。


 父親が死んだと聞いてから、一週間ほどが経った。

 テオドールは衰弱して、指を動かすのも難しかった。

 もう、この世界になんら未練はない。


 テオドールは瞼を閉じて、二度と開けないつもりになった。

 完全に閉じきる直前に、誰かが目の前に立った。

 そして剣を床に突き立てた。

 見覚えのある剣だった。


「お、お父さん、の……」


 喉がカラカラで上手く声にならない。


「ええ、そうです。これはあなたのお父さんの剣です。私が殺して奪いました」


 テオドールは驚いて顔を上げる。

 そこには若い女性がいた。二十歳になる手前くらいだろう。腰まで伸びた銀色の髪が、窓から差し込む光を反射して、やたらと眩しい。


「こ、殺した……?」


「私は白騎士アンリエッタ。あなたの父の仇です」


 アイスブルーの冷たい瞳が見下ろしてくる。


「お父さん、の、仇……?」


「ええ、はい」


 テオドールは、これほど邪悪な笑みを見たことがなかった。

 心と体の奥底で炎が燃え上がった。

 剣を両手で掴み、持ち上げる。後ろにフラつき倒れそうになった。それをこらえて、前へ。白騎士の頭上に叩きつける。

 が、頭の曲線に沿って剣が滑った。刃は右肩に落ちた。それでも殺せると思った。どこにどんな内臓があるか知らないけど、剣をめり込ませれば人は死ぬはず。


 ところが剣は白騎士の薄皮一枚斬れなかった。それどころか黒いドレスにほころびさえ生じていない。

 自分が非力だからか。いや、だとしても大きな重量を叩きつけたのだ。この細身の女性が身じろぎもしないなんて、どんな魔法だ。


 ああ、そうだ。魔法だ。

 白騎士ともなれば魔法で身を守り、鋼鉄の激突にさえ耐えてしまうのだろう。

 強い。ズルい。

 こんなに強いのに、どうしてお父さんを守らなかった。それどころか、殺して剣を奪っただと?


「殺し、て、やる……!」


 テオドールは何度も白騎士に剣を振り下ろした。

 体調が万全だったとしても五歳には大きすぎる剣だ。

 それを気迫だけで握り続けたが、無論、そんな無茶はいつまでも続かない。


 腕の感覚がない。それでも剣を離さない。

 けれど体を支えられなかった。後ろに倒れてしまう。

 駄目だ。倒れるなら前だ。

 最後の力を振り絞って、剣ごと前に。

 刃を白騎士の胸に突き出し、全体重を乗せる。

 そこまでしても刺さらない。

 ついに手の力が抜けた。

 剣が床に落ちる。

 テオドールの全身も同じように落ちていく。


 すると。不意に体が柔らかいものに包まれた。

 白騎士に抱きしめられたらしい。

 このまま絞め殺してトドメを刺すつもりかもしれない。テオドールはそう思った。


「殺、す……お前、は、絶対に、俺、が」


「ええ。殺せるものなら殺してみせなさい。絶対と口にした以上、成し遂げるまで死んじゃ駄目ですよ」


 そこでテオドールの意識は落ちた。

 目覚めると、ベッドの上にいた。ちゃんと布団を被っていた。いつの間にか新しい寝間着になっていた。

 こちらの意識が回復したのを確認した白騎士は、お粥を作って持って来た。


「なんの、つもりだ。お前の作ったもの、なんて、食べない」


「私を殺すんでしょう? なら力をつけないと。そんな状態でなにかできると思ってるんですか?」


 正論だった。

 白騎士の魂胆は分からないが、このままでは生きることさえできない。毒でも入っているのかと一瞬思ったが、殺すつもりならそんな回りくどいことはしないだろう。

 テオドールはスプーンを受け取ろうとした。

 しかしその力も残っていなかった。

 すると白騎士は、お粥をテオドールの口まで運んでくれた。

 火傷しないように、ふーふーと吐息で冷まして。

 悔しいことに、美味しかった。

 戸惑うことに、優しかった。


 食事も着替えも洗濯も、全て白騎士がやってくれた。

 温かいタオルで汗を拭いてくれもした。

 不覚にも、母親を思い出してしまうほど献身的だった。


 どうしてテオドールを生かそうとするんだろうか。

 罪滅ぼしなのか。それとも気まぐれなのか。

 きっと、ろくでもない理由に違いない。

 白騎士は、父親を殺した悪党だ。

 話もしたくない。


 生き延びれば、それだけ殺すチャンスが増える。

 白騎士がどんなつもりであろうと、利用してやる――。と、テオドールは五歳児なりに狡猾になろうとした。


「テオドール。お父さんかお母さんから、魔法の手ほどきを受けたことは?」


「……ない」


「では、無意識に強化魔法を使ったんですね。私への殺意で。飢餓状態なのに、自分の身長よりも長い剣を持ち上げられたのは魔力のおかげです。この大陸で生まれた子供は総じて強いですが、それを踏まえても、あなたには魔法の才能があります。」


「魔力……それがあればお前を殺せるのか、白騎士」


「この世界には、私よりも強い存在が大勢もいます。あなたも鍛えれば、そうなれる可能性があります。だから、私はあなたの師匠になろうと思います」


 なにが「だから」なのか話の繋がりが分からなかった。しかし強くなれるなら歓迎だ。

 今のテオドールには絶望的に力がない。

 白騎士を殺したいのに、その白騎士に生かされている有様だ。


「俺は強くなったら、お前を殺すぞ」


「はい。いつでも不意打ちして構いませんよ。ですが、その『お前』とか『白騎士』という呼び方はやめてください。あなたは教えを請う立場なのですから。私を『師匠』と呼びなさい」


 白騎士は真面目な顔で言う。


「なんで俺が、お前を師匠なんて」


「師匠と呼ばないと、魔法を教えませんし、一緒に連れて行きませんよ」


 それは困る。

 力が欲しいし、一緒じゃないと殺せない。


「……師匠」


「はい。よく言えましたね、テオドール」


 なにがそんなに嬉しいのか、師匠は満面の笑みになり、テオドールの頭を撫でてきた。

 住み慣れた町を離れることになった。

 一応、近所の人たちに挨拶回りをしなさい、と師匠に言われたのでそうした。


「そうか……うん、そのほうがいいだろう。辛い記憶がある町にいるよりも、広い世界を見たほうが、君にとってもいいだろう」


 隣の家の人は、ホッとした顔で呟いた。


「……君にとって? それはつもり、あなたにとって俺が出ていったほうがいいって意味?」


 相手は目を丸くした。五歳の子供にそんなことを言われたのが意外だったのだろう。

 それから目を細くし不愉快そうにする。五歳の子供のくせに生意気だと思ったのだろう。


「ハッキリ言うとね。血が繋がっているわけでもない孤児の面倒を見る余裕がある人なんて、この辺にはいない。けれど見捨てて死なれたら気分が悪い。だから出て行ってくれると一番助かるんだ。悪く思うなよ。俺たちは、君のお母さんの葬儀をしてやった。それで義理は果たしたはずだ」


 そういうものか、とテオドールは納得した。

 この人たちと自分は家族じゃない。

 なら、いつまでも世話を焼いてくれるわけがない。

 むしろ、葬儀をしてくれただけでありがたい。

 幼い頭で、世の中はそういうものか、と納得する。


「今までお世話になりました」


 恨み言も言わずに頭を下げると、相手は拍子抜けという顔になる。

 以来、テオドールはその町に帰ることはなかった。

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