< 二幕 あなたを見つめる >

ちゅんちゅん、と野鳥の鳴き声が頬を撫で、きらりは目を覚ます。そうだ、ときらりは思い出す。昨日榛名たちの倒した段ボールの塔を直し、本部まで出向いて外骨格を受け取ったあと、帰ってきて椅子に座って泥のように眠ってしまったのだ。……それほどまでに、あの夜間戦闘は応えた。誰がかけたのか、毛布がぱさりと床に落ちる。

「お、起きたな」

既に起きていたのだろう、まどかが声を掛ける。

「んあ……」

きらりはふああと欠伸を漏らす。

「あ、おはようございますきらりさん」

アスカが廊下から出てきて、きらりに声を掛ける。

「あぁ、おはよ……」

きらりは返すと目を擦った。


「しっかし、最後の生身の腕もこれで外骨格化かぁ」

顔を洗いながら呟くきらりに、え、とアスカが目を丸くする。

「外骨格って、1人2つまでじゃ」

がご、と固い木の椅子に荒く座ると、きらりは足を組んだ。

「普通の造花隊ならな。でもうちは外骨格に対する適応度が高かったんやな。そないな訳でもう四肢と腹、胸のあたりは全部外骨格や」

それは攻めすぎた無茶な戦い方のせいではないか、とアスカは言おうとするが飲み込んで黙ってしまう。

「どうせ胸も外骨格にするなら、もっと大きくして貰えばよかったのになぁ」

廊下から顔を覗かせたまどかが少し嫌味っぽく言う。

「別にこの世界で胸の大きさなんて求められたことあらへんしなぁ。大きくて重たいのくっつけとるよりかは戦闘向きちゃう?」

その大きなやつとか、とまどかの胸を指差して「ししし」と笑うきらりに顔を少し赤くして「ほんまうるさいなぁ」と返すまどか。そしてすぐに廊下に引っ込んでしまった。

「よっしゃ、言い返したった」

戻ってきたまどかの手には電子レンジで温めるタイプのご飯と、乾燥味噌汁が握られていた。

「味噌汁の味、どれがええ?」

「うちは油揚げとわかめのやつ」

「ええと……ねぎで」

おっけ、と返しながら味噌汁の椀を3つ戸棚から取り出すまどか。私は豚汁にしちゃお、と呟きながら乾燥された具材の封を開けて、ドライ加工された中身をがさがさ、と入れる。味噌のパックも開け、中身を椀に入れる。味噌が具材を巻き込み、すぐに底にひっついた。

電気ケトルを取り出してこぽぽ、とお湯を注ぐ。味噌の匂いが部屋に広がり、アスカはふぅ、とため息をつく。「自分で溶いてな」と箸と共に2人の前にお椀をこと、と置く。戸棚の中段に置かれていた電子レンジを使ってご飯を温めた後、まどかも席についた。

「それじゃぁいただこか」

いただきます、と声を揃えて手を合わせた3人は、それぞれ手を伸ばす。アスカはまず味噌汁をかっかっ、と箸で溶くと流し込んだ。昨夜晩御飯を食べ損ねたせいで、お腹がぺこぺこに減ってしまっている。

味噌汁の暖かさがお腹の辺りに溜まり、食道あたりを辿って胸の中が少し暖かくなってくる。ご飯に箸を伸ばしたアスカは、それを落とさないようにパッケージごと持ち上げて口の近くへ持ってくる。

「漬物とかないんか?」

ご飯でいっぱいの口をモゴモゴと動かしながら、きらりはごくんと喉を鳴らして米粒を胃へと落とす。

「あー……探したらあるかも知れへんけど、出すのが面倒やな」

答えたまどかは自分で持ってきたら、と促す。

「いや、うちも出すのだるいからやめとくわ」

「ん」

味噌汁の最後までずず、と流し入れたアスカは一息つく。

「今日の予定はパトロールだけやな。というか他のことは禁止されとる」

「昨日みたいな襲撃はもう起きないんでしょうか」

アスカが心配そうな声を出すと、「わからんな」ときらりは曖昧な返事をする。

「今日またくるかも知れへんし、一ヶ月後かもしらん」

そりゃそうですよね、と言いながらアスカはお椀を持って立ち上がる。

「あ、私が洗っとくで」

きらりが椅子を傾けながら、近くに置いてあったお盆を指差す。

「ありがとうございます」

好意に甘えながら、アスカはお椀とお盆の上に置いて手を合わせて「ご馳走様でした」と呟く。ご飯のパッケージをゴミ箱に投げ込むと、椅子にもう一度座った。

二杯目のご飯をかき込みながら、きらりは口いっぱいの白米と共にしゃべる。

「今日のパトロールなんやけど、うちは外骨格の調節があるし、まだ治療中のまどかは行かせられへん。アスカ行ってもろてええ?」

「いいですよ」

二つ返事で答えたアスカは、「ルートわかります?」と問う。

「あ、LINE交換しとこ」

きらりたちがスマートフォンを取り出すのを横目に、まどかも席を立った。

さりげなく飲み終わっていたきらりのお椀も取ると、お盆に乗せて廊下へ出る。「ありがとー!」ときらりの声が追いかけてきた。


「とりあえず、シュヴァルツに出会ったら逃げて。それ以外の異常がないかどうかが知りたいだけやから。」

調査ならサポートするで、ときらりがジャンプしてガッツポーズをとる。そこまで動けるなら外骨格の調整は必要ないんじゃないか、とアスカは思ったが、1人で周辺を歩き回ってみたくもあったので黙っていた。

「それじゃ、行ってきます」

「おう、いってら」

きらりが校舎の中に引っ込むと、アスカは校庭を門に向かって歩き始める。やはり瓦礫が多くて歩きにくい。これも前線基地なりの侵入防止策なのだろうか、と考える。ひゅうと一陣の風が吹き、足元の細かい砂を転がしていく。その砂たちを踏みつけながら、アスカはひょいひょいと瓦礫を踏み分けていく。一度通った道は忘れない。

校門にたどり着くと、門の上に昨日ジジと呼ばれていた黒猫がちょこんと座っていた。にゃっ、と声を上げて門の向こう側に降りたジジは、路地の向こうへと走っていった。

「にゃーん……」

アスカは猫語で路地を覗いて話しかけるが、微かな物音すら帰ってこない。静かすぎる路地に少し怯えながら、アスカは事前に渡されたルート通りに校門前を右に曲がった。やはり住宅街といえどほとんどの家は壁が崩れていたり、屋根が落ちていたりして廃墟同然になっている。数年前にはここには人がいて、活気がある商店街でもあったのだろうかとアスカは思いを巡らせた。

「ふんふふ〜ん、ふ〜ん……」

アスカは鼻歌を歌いながら歩き続ける。時折転がる瓦礫を踏み越え、廃れたアーケードを通る。アーチ状のアクリル板からは光が漏れ、塵が浮かびまるで一枚の絵画のようだ。降りたシャッターに張り紙が数枚貼ってある。「天災被害のため、第3区に移転しました」「閉店 長い間ご愛願いただきありがとうございました」「天災は神の雷だ」3枚目の張り紙の意味は分からなかったものの、何かの体液が飛び散って錆びたシャッターを眺めながら、ここは何屋さんだったのだろうか、本屋さんだったらいいなぁとアスカは考える。数十メートル進むと、「本屋 櫻井堂」と書かれた看板が出てきた。ライトは消え、看板は割れた状態なのでかろうじて読める程度だったが。そこの店主は天災の発生直後に逃げ出したらしく、シャッターも閉められていないまま本を外気に晒している。

アスカは小走りで中に入ると、少し落胆した。数年前の新刊は表紙がボロボロになり、タイトルはもちろん中身などとても読めない状態だったからだ。蔦が垂れ下がった書店には柔らかな光が差し込み、床を散らばった本のページがなでていく。

ぱた、とアスファルトが黒く湿る。

ぱた、ぱた、ぱたた。

黒い染みはいくつか増え、繋がっていく。

空を見上げれば、暗雲が立ち込めていた。


本屋で雨宿りすることにしたアスカは、ほとんど真っ暗な奥の方を覗いてみる。紙の匂いが充満した店内は、雨の匂いと入り混じってどこか懐かしい雰囲気だ。

「誰かいますかー……」

いるわけがないことをわかっているのに、ついアスカは奥へ声をかけてしまう。きょろきょろと見回しても勿論誰も返事を返さない。かさかさ、という音とともにネズミがぴゅっと通り過ぎ、アスカは思わずびくっとして背中側にあった本棚に体をぶつけてしまう。がたがた、と落下音がして、アスカは埃にむせる。

崩れた本の山に埋もれたアスカは、覆いかぶさった大判の本たちを押し退けて立ち上がる。ぱっぱとスカートを払ってけほ、と咳き込んで手近にあった本を手に取った。

薄茶色の表紙に金文字で「生き物図鑑」と彫り込まれている。あたりを見回して少し申し訳なさそうにしながら、アスカは本を積み上げて体重をかけてみる。思ったよりしっかりしていたのか、即席の椅子は彼女の体重をしっかり支えてくれた。

ぺら、と紙をめくるアスカ。彼女は1ページ目に描かれている細かい線画に引き込まれつつも、のめるようにその本を読み進めていった。

気がつけば雨はやんでいた。名残惜しそうにぱたんと本を閉じると、アスカは外へ出る。湿った空気が体を取り巻く。灰色に塗りつぶされていた空に、数滴の青が垂らされてゆく。

「夕立って、久しぶりに見たな……」

呟くと、アスカは濡れた地面を蹴りながらパトロールの道を走っていく。すでに帰る時間を2時間ほど過ぎていることに、彼女は気がつかなかった。

途中、何かに気がついたように足を止める。その目線の先の電柱には、蔦が巻き付いている。さらに目線を下へずらすと、花が数輪咲いていた。黄色い花弁に、黒い雄蕊。まるで小さなひまわりのようなその花は、先ほどの夕立に降られて茎から折れてしまっている。

「ルドベキア……だ」

小さくぽ、と呟くと、アスカはかがみ込む。

「こんなふうに折れて、きっと痛かったよね……」

途中で折れてぽっかりと花があるべき場所に空間が開いた茎と、昨日のきらりの腕の状態がオーバーラップする。ふるふる、とアスカは頭を振ると立ち上がった。彼女の左腕も、この折れてしまった茎も。世界は、どこか狂ってしまったのだから。壁面が崩れた家を通して、「星の揺籠」ののっぺりとした姿が見えた。



西暦1999年。アスカが生まれる100年ほど前のこと。空から「天災」が降ってきたそうだ。名もなき画家が死に際に描いた真っ赤に燃ゆる都市の絵は、天災の規模の甚大さを示すものとして教科書に載っている。

その後の調査で、


地球のほとんど、九割九分が放射能に塗れていることがわかった。

さらに人類の大方が死亡、行方不明になっていたことも判明した。


残った人類も100年のうちにどんどん減少を続け、今では約100万人ほど。その理由が、「シュヴァルツ」である。降り注いだ火球の正体は異星人だった。

異星人はこちらに友好的な態度を見せず、1に殺戮、2に殺戮と考えるほどの短絡的思考の持ち主だった。しかしその強力な外殻と力は人類を蹂躙するのに十分で、世界中で何千万人もの人々がその脅威に怯え、死んでいった。

もちろん人類も進化する。パワードスーツの軍事研究は爆発的に進み、非力な人類を飛躍的に強くする「外骨格」のシステムが完成されるに至る。外骨格はまだ18にならない少女たちに取り付けられ、使い捨ての兵器のように彼女らは戦わされる。それがアスカやきらり、まどかといった「造花隊」だ。誰が言ったか、「使い捨ての造花のようだ」の発言からこの通称が使われている。

どこから湧いてくるかわからないシュヴァルツの猛攻に、人類はかろうじて耐えている。この世界の終わりが粛々と近づいてくることを、受け入れようとしている。

そして、人類は東京に全勢力を投入した。その後できたのが人類防護壁である「星の揺籠」。それを囲むように幾つもの前線基地を配置し、シュヴァルツを食い止めているのが現状だ。

それでいい。「日常」を享受する時間が少し長くなって、文句を言う者もいないだろう。



アスカはこつ、とローファーをアスファルトに打ち付けて歩き出す。ほんのり赤みがかかった空を、前線基地を一周する方向へと歩き出した。


「おう、おかえり。雨大変やったやろ」

アスカが教室に戻ると、きらりが机を挟んで、まどかとボードゲームに勤しんでいた。

確かカタンという縄張り争いのゲームだったか。サイコロを振って「資源」と呼ばれるカードを獲得し、それを使用してどんどん自分の勢力を広げていく、というゲームだ。十点を一番に取った者の勝利となる。

その後ろの窓は完全に赫く染まり、時計は17時を指している。「星の揺籠」の明かりは太陽に呑まれ、逆光となって黒い四角形が佇んでいた。

「何を2人でやって……って」

「そー。カタン専用のAIと一緒に遊んでる」

きらりとまどかの間には小さなPCが鎮座しており、繋がれたディスプレイが次の手を示している。現在の2人+1機の点数は、まどかが5点、きらりが7点、AIが8点。

「そのAI、強いんですか?」

「おん。めっちゃ強いから数段階落としてんねん」

じゃぁ私も、とアスカがディスプレイの向かい側に座ると、「お、やるか」ときらりがPCの電源を切る。ディスプレイにSIGNAL OFFの表示が出て、きらりはディスプレイの電源も切った。

「いっときますけど、私このゲーム強いですよ?」

ふふ、と不敵に笑うアスカ、その隣でまどかがハーブティーを傾ける。

「こちとらずぅ〜っと毎日してんねん。ポッと出のやつに負けるわけにゃいかへんなぁ」

きらりがにや、と笑う。

しばらくして。

「いち、にい、さん、……あ゛―っ!また負けた……」

元々四人でやるゲームのカタンを三人でやるために設けられた、特殊ルールで惨敗したきらりの背をアスカがよしよしと撫でる。

「本気出してへんかったな……」

10点、5点、3点。

まどか、アスカ、きらりの順で並べられた点数表は、その実力差を如実に描き出している。

「別に手加減してたわけとちゃいます。『楽しく遊べるように』レベル落としてやっとっただけやわ。」

まどかのすました顔に殴りかかろうとするきらりを必死で引き留めるアスカ。

「アスカ、離せ!うちはこいつの顔面に1発入れへんと気が済まん!」

「ちょ、だめですよ!外骨格もチューニング中でしょ!」

そんなのいらん、と暴れようとするきらり。

「ゲームの勝負を、暴力で片つけても意味ないんとちゃいますか?」

まどかは飲み終わったティーカップをこと、と置くと、「ちなみに、どのゲームでも負けるつもりはあらへんよ」と残して立ち上がった。

「アスカぁ〜……うち悔しい……」

よよよ、とアスカに泣き崩れて抱きつくきらり。

「……きらりさんの弱さは、多分ロマン勝負に持って行こうとする所じゃないかなって……」

「アスカもそんなこと言うん!?見損なったで……」

どうしていいかわからずオロオロしてしまうアスカ。

教室に顔だけ出して廊下に出ているまどかは、「いいからほっとき」と突き放す。それを聞いてきらりはさらにいじけてしまった。

「だって発展に命賭ける以外に方法あらへんし……」

発展、とはカタンで言うところのガチャ要素だ。強力な効果が発動するカードをランダムに一枚引くのだが、その分必要とされる資源も入手難易度の高いものが多い。

「まぁ、また遊びましょう。強くなれる方法、教えてあげます!」

アスカがガッツポーズできらりに宣言すると、きらりはガバッと起き上がる。

「え、マジで!?」

「大マジです」

やったー、と喜ぶきらりを、至極単純だなぁと眺める。

「うちな、めっちゃ嬉しいねん」

きらりがにか、と笑ってアスカに顔を向ける。

「こうやって友達と遊んだり、一緒に寝たり、一緒にシャワー浴びたり。夢やったんよな」

アスカはきらりにとっての友達のハードルが低すぎることに驚くと、ふふ、と笑った。

「そうですか……それは、よかったです!」

廊下からまどかが横槍を入れる。

「あんま言いすぎるとつけあがるで」

きらりは机に突っ伏すと、「そないなこと言わんとってや……」と落ち込む様子を見せた。

「今日のご飯何がいい?」

まどかが廊下から問うと、きらりが椅子をきい、と傾けて答える。

「うち今日たこ焼きの気分〜」

「じゃぁカレーやな」

ほとんど真逆の方向に即決したまどかに、きらりはのけぞって少々オーバーなリアクションをとった。

「うげ、なんでや……まぁ好きやからええけど」

「辛さは?」

きらりは少し思案した後答える。

「中辛」

それに続いてアスカが小さく「甘口、で……」と呟く。その顔は心なしか少し落ち込んでいるように見える。

「なんや辛いの苦手なん?」

きらりが無邪気にきくと、アスカは手で顔を覆った。

「はい……バーモントの甘口ですら悶絶してしまうほどで……」

「いや、あれ相当甘いやろ。」

呆れながらツッコむきらりに言葉を返す気力すら、アスカには残っていないように見えた。


さて、とモニターの前で阿久津は首をコキコキと鳴らす。「星の揺籠」内の前線基地統括部には、コーヒーの匂いやタバコの匂い、そして何より紙の匂いが充満していた。阿久津は自分の机に置かれた大量の報告書や引き継ぎ書類を見て盛大なため息を漏らす。

「阿久津さん、お疲れですね」

その身長と幼い外見には似合わない白衣を羽織って、眼鏡をかけた1人の少女が椅子に倒れ込んでいる阿久津に声を掛ける。その胸元には「桜木 J(ジョーリィ) ヴァンベール」、その上に「第三独立研究室 研究員」とピンク色で縁取られた名札がつけられていた。

「まぁ……1日休暇をもらって戻ればこのザマだ。ため息つかないわけにはいかないよ」

「八杉さんが担当の時って、ほぼ必ず何か面倒事が起きますよね……心中お察しします」

胸の前で手を合わせた桜木にまだ死んでないから、と返す阿久津。

「しっかし……前回がガス漏れで、前々回が爆発事故で……今回がついにシュヴァルツの襲撃か。本当にトラブルが絶えない前線基地だな、特9班は」

「上楠野中学事件」「先日のシュヴァルツ被害による損失」「外骨格システムの大幅なアップグレードについて」報告書をぺらぺらと捲りながら阿久津が呟くと、コーヒーです、と桜木がマグカップに入った黒色の液体を運んでくる。阿久津はそれを一口呑んで噴き出し、げほげほとむせた。

「待って……これ、砂糖入れた?」

「疲れているときは、糖類がいいんですよ!100年前の人類の知恵です!」

ブラック派の阿久津だったが、それ以上文句を言うことを諦めて大人しくコーヒーを啜ることに専念する。

「まぁ、いくら特殊だからと言ってまず3人で基地を運営しよう、というところがまず間違ってるんですよねぇ」

報告書を覗き込んで桜木がつぶやく。

「仕方ないな。彼女らの扱いはほとんど使い捨ての駒だ。1人死のうが本部は知ったことではないだろうよ」

「だからって、あり得ないですよ。『造花隊』なんて名前をつけられて。」

その名称のことを、阿久津も知っていた。前線基地の人間のことを使い捨ての造花、まさにその通りだと感じる。

「桜木。」

「なんでしょ」

桜木は阿久津の机の上を整理しながら答える。高く積み上げられた報告書と事案書は、「済」と「未」に分けられていく。

「残酷だとか未来ある少女たちを軍に入れるなだとか、言ってる場合じゃないんだよ」

とっくに禁煙したはずの阿久津の指はニコチンを探し、指が空を切る。言いづらいことをいう時の阿久津の癖だ。

「ですけど……」

少し不満げに、深刻な顔をする桜木。

「現状、シュヴァルツに対抗する手段は前線基地しかない。彼女らの犠牲で人類は生きながらえている。」

髭を剃ったばかりの顎をなで、ため息をつく阿久津。

実際その通りなのだ。大人は無力で、無能で、研究も彼女らの犠牲がないとできない。実際に前線で化け物と戦っている彼女らの代わりになることなどできやしないのだ。

「だからって……納得できませんよ」

顔を俯かせて少しずつ、絞り出すように桜木は言う。

その気持ちが、痛いほど阿久津にはわかった。桜木は今年で20だ。数年生まれる年が違ったら、前線で戦う少女たちと共に外骨格を取り付けられ、使い捨てられ、朽ち果てていただろう。

「……シュヴァルツなんて、いなくなればいいのにな」

何気なしにつぶやく阿久津を、「100年前からの戦争は、こんなところで止まりはしませんよ」と一蹴する桜木。綺麗に片づけられた机を見て「ありがとう」と礼をいった阿久津は、することは多くないものの前日の引き継ぎの作業に移る。


ぱちん、と。

寝所の入り口近くにあるスイッチをまどかが倒すと、寝所は一瞬闇に包まれた。きらりが「ランタンどこやっけ」と探し回る音がガサゴソと響き、こつ、という手が何かに触れた音がする。

「あった〜」

寝所とは名ばかりの、教室の真ん中にテントを張った簡素な休憩所がランタンのオレンジ色の光に映し出される。テントの中には寝袋が三つ並べて敷いてあり、その中の一つにはすでにアスカが入っていた。明かりが漏れないようにか、窓には真っ黒な農業用のシートが貼られ、ガムテープで目貼りされている。まどかはテントの入り口を開けると、ピンク色の寝袋の上に座った。

「ちょ、アスカ……おーきーろー!」

既に寝かけていたアスカを揺さぶるきらり。ふああ、とまどかはあくびをする。

「ふぇ……うぇあぁっ!?」

叫び声を上げて目をパチパチさせながら起き上がったアスカはすわ敵襲か、と構えをとる。

「あんまりアスカ驚かさんといてあげて」

まどかが呆れながらきらりの頭をぱかんと叩くと、きらりはいっつ〜……とうずくまる。

「別に驚かしたかったわけやあらへんけど……それより、女子会しよ女子会!」

「女子会?」

目をキラキラさせながら提案したきらりに、不審そうな顔をまどかが向ける。

「せっかく女子が3人そろったんや。夜に女子会せんで何するっていうんや!」

「寝る」

至極当然の論理を建てられてう、と一瞬言葉に詰まるきらりだが、「つれないねぇ〜まどか〜!」と気を取り直してまどかの顔を覗き込む。アスカは眠そうにしながら寝袋から脱出し、その上でかくん、かくんと上半身を揺らす。

「ハイテンションすぎてついて行けへんわ」

「でもさぁ、昨日は交戦で疲れてすぐ寝ちゃったし、もう今するしかないねん!」

「いや寝る」

そっぽを向いたまどかの耳に何事かごにょごにょと囁くと、まどかの耳の先まで真っ赤に染まる。まどかは寝袋から両手を出さずに器用に起き上がった。

「くっ……卑怯やで」

女騎士がオークに「くっ……殺せ……」という構図と似ているな、と眠いながらもアスカは思う。

「アスカは好きな人とかおるん?」

「いや、私は別に……」

アスカはあまり興味なさそうに呟くと、きらりは残念そうに寝転ぶ。

「なんや華ないなぁ……まぁ、終末世界で恋愛ってのもおかしな話か。」

はぁ、と目を閉じて立ち上がり、ぐぐ、と伸びをするきらり。裾の短いパジャマから覗く素足がランタンの光を受けてオレンジ色に光り、そしてゆらっとテントに映る影が揺れる。脇まで見えてしまっているパジャマは少し露出度が高いのではないか、とアスカは思ったが、特に誰かが見るわけでもないのだと考え直す。

それぞれのパジャマは新しく支給されたものだった。アスカが来ているのはピンク色のもこもこしたパジャマで、フードには猫耳がついている。パジャマの正面にはジッパーがついており、ボタンではないところが子供っぽさを加速させていた。

まどかの着ているパジャマは水色と白が交互に入った縞々の模様が入っており、被ったナイトキャップに自身のロングヘアを収めている。そろそろ22時を回るぐらいの時間帯だろうか、まどかは一つあくびを噛み殺した。

「じゃぁさ、好きな映画とかあるん?」

きらりは気を取り直して2人に聞く。

「私は、ダイハードとかジョンウィックとか」

「うちはスリラーとか、HOUSEとか」

アスカとまどか、それぞれ女子高生にしては特殊な類の映画を見ていることに、きらりは落胆する。

「ちょっと待ってや。まどかの趣味は知っとったけど、アスカもそっちの類か。」

「え、面白いですよジョンウィック。」

きょとんとしていうアスカに、手をぶんぶん振ってきらりはずい、と顔を近づける。

「違う。違う違う違う!年頃の女の子はもっとこう、君の名は、とか君の膵臓をたべたいー、だとか見なきゃ!」

見なきゃ!の部分で両手を上にばっと上げたきらりだったが、アスカの答えは芳しくない。

「アニメ映画はあんまり……」

「なんでこんな変なやつしかおらんの……うちはただ平和に恋バナとかあの映画よかったよねとか話したかっただけなのに……」

手をついてよよよ、と泣くきらりに、アスカが「なんかすいません……」とフォローを入れた。

「じゃぁ後で鑑賞会しよか。泣いて泣いて止まらへんくなるで」

気持ちの切り替えを一瞬で済ませ、涙を煌かせながら顔を上げる。

「楽しみにしておきますね」

両手を合わせてにっこり笑ったアスカの手を取り、やった〜!と喜ぶきらり。双田、とテントの隅をゴソゴソと探る。

「そうそう。女子会するなら、お菓子が不可欠やんな」

じゃじゃーんと取り出したのは、ポッキーとポテトチップスだった。ばり、という音とともにポテトチップスの袋を開けると、コンソメの匂いが流れ出す。アスカは顔を輝かせてポッキーを手に取り、べり、と開ける。

「うちはええわ。ニキビできるし、太るし」

まどかが断ると、アスカは「じゃぁ私は食べちゃいます〜」と一本目のポッキーを口に咥えた。きらりさんも食べます?と差し出す。

「お、ええなええな。たーんと食べ」

アスカからポッキーを受け取ると、きらりは2本口に咥える。

「まるで餌付けやな」

まどかがよいしょ、と寝転びながらその様子を眺める。

「餌付けとはちゃうけど、こうやって信頼勝ち取っていかへんとな」

「それ、私の前で言っちゃっていいんですか……?」

少し心配そうにいうアスカに、きらりが「やべ」と口を抑えた。ふふ、とまどかが笑い、アスカも笑い始める。きらりも無邪気な笑顔を覗かせると、テントの中は和やかな笑いに包まれた。

「……そうだ。アスカは、なんで前線基地に来たんや?」

ひとしきり笑い終わった後、ふときらりは疑問を口に出す。

「え?」

「そら本部の命令やったんやろ」

まどかは水筒を取り出し、中に入った紅茶をマグカップに注ぐ。しかしきらりは首を傾げた。

「いや、でもどこも外骨格になってなさそうやし、優秀な指揮官がなんで前線基地にきたんかなぁって」

「私は……まぁ。きらりさんとかまどかさんはなんで前線基地に?」

アスカが軽く濁すと、きらりとまどかは何かを察したように質問をやめた。

「うちは初めての外骨格が、胸やったんよ。流れ弾に当たって、心臓は免れたんやけど風穴開けられてしもて。」

きらりがここここ、と心臓より少し右の位置を指で示すと、こつこつという硬い音が彼女の肌から響く。

「あん時はきらりはん、『うちが死んだら後はよろしくな……』って映画ばりに言っとったもんな」

「うぇ、なんで覚えてるん!」

顔を真っ赤にしてまどかの口を塞ごうとするきらりだが、まどかは紅茶を持ったままそれをひょいと避ける。

「あんなおもろいことしてはったら覚えとるに決まっとるやろ」

「ひぃ〜恥ずぅ……」

きらりはぷしゅ〜、と顔から煙を出して赤面し、手で顔を覆う。しばらくその状態でいた後、まだ火照る頬を手のひらで冷ましながら続ける。

「まぁ、そないなことがあって、もう揺籠で働けなくなってん。……せやから前線基地に来た。言うなれば左遷やな。」

「左遷って言うても、元々そんな偉い位置についとったわけとちゃうやろ」

まどかが突っ込むと、きらりは少し肩を落とした。

「まぁ……それはそうやけど。後は、あのクソ親父から逃げ出すためやな」

「それ初耳やな。聞きたいわ」

まどかが身を乗り出すと、きらりは「あぁ、今のは無し無し。口が滑ったわ」と誤魔化した。

「ふーん」

まどかはつまらなそうに身を戻す。

「まどかはどうやったっけ」

「15回は話したと思うんやけどなぁ。……まぁ、揺籠が居心地悪くて。逃げてきたんや」

まどかが呆れながら簡潔に言い表すと、きらりは伸びをして同意した。

「せやんな。揺籠って言うとるけど、あそこの中身は老害の集まりや。どちらかというと墓場やで」

確かに、とアスカも首を縦にふる。


人類が集まった「星の揺籠」であっても、争いは絶えなかった。元々紛争をしていた国同士は揺籠が完成したことで安心したのか、住む場所を分けて毎日のように罵声を交わしている。老人たちは「揺籠が作れたのは俺のおかげだ」「俺が金を出した」「俺は昔権力者だった」と言い合い、誰が揺籠の頂点に立つのか争っている。まるで子供の喧嘩だ、とアスカは思っていた。指揮官という立場にいた関係上、大人たちの罵声はいやでも耳に入ってくる。

……それもあって、アスカは前線基地に来たのだ。あまりに悪意に晒され続けていた彼女は、疲れ切っていた。だから、このまどかときらりと、3人で過ごしている状況は二日目にしてとても好きなものになっていた。


「私、まどかさんの気持ちわかりますよ。あそこって治安も悪ければ雰囲気も悪いですよね」

アスカがいうと、まどかは一瞬険悪な雰囲気になり微かに舌打ちをした後、「あぁ、せやね」と答えた。

その後何事か呟いて「この話もこんぐらいにしよか」と話を切り上げたまどかだったが、アスカにはまどかが「うちのこと、何もわかっとらんのにな」と呟いたように聞こえた。

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