< 三幕 遠方にある人を想う >
アスカが前線基地に来て一週間ほどが経った。
きらりは前線基地にアスカが馴染んできたことを嬉しく思いながら、階段をこつこつと降りる。下から上がってきたまどかと目があった。
「ご苦労さん。肋骨の調子はどうや」
プランターを抱えながらえっちらおっちら、と階段を登っていたまどかは、少しは手伝えと言わんばかりにまどかにプランターを手渡した。
「なんや重たいなぁ……何の種が埋まっとるん」
何も生えていないプランターの土を眺めながら、きらりは首をかしげる。
「シラン、っちゅう蘭科の花や。紫が綺麗なんよ。肋骨の方は……人類お得意のドーピングでほぼほぼ治りかけや。でもそないに激しい動きはできひんけどな」
「よかった。」
胸を撫で下ろし、安堵するきらり。
「あぁ、よかったな……。」
そこに階段上からアスカが走ってくる。バリケード代わりになっていた机はもう撤去されている。アスカが毎回服の裾を引っ掛けて倒してしまうからだ。
「あ、きらりさんいたいた!PCがエラー吐いちゃって……」
不安そうな顔をするアスカにうええ、と露骨にいやな顔をして見せるきらり。
「えぇ、またかいな……ほい。今忙しいから、まどかに見てもらって〜」
「うちそんなパソコン詳しくないで?」
いきなり振られたまどかは体をのけぞりながら驚く。
「どうせこれ上のベランダに持っていくやつやろ?」
きらりがはい、とアスカにプランターを手渡すと、アスカは少しバランスを崩しながらもそれを受け取る。
「まぁ、そうやけど」
まどかがでも難しいんやろ、と手を顔に当てて首をかしげる。
「それに、アスカが起こすエラーは誰でも直せる類のものや。」
きらりがとどめを刺すと、アスカはそれほどでも……と何かを勘違いしたように嬉しがる。
「パソコン音痴すぎへんか…?」
「えへへ……」
「別に褒めとらんけどな」
一言で一蹴したまどかは「しゃーない、見せてみ。」とアスカと共に階段を上がっていった。
それをきらりは見送った後、気を取り直して階段を降りていく。義手になった左腕をグーとパーの形にしてにぎにぎと開閉すると、うし、と肩をコキコキと鳴らして顔を上げた。
「チューニングもバッチリ〜……ふんふ〜ん……」
階段を降り切ると、陽が差す廊下にたどり着く。きゅっきゅっとローファーを鳴らしながら羽織った白衣を靡かせ、きらりはその廊下を歩いていく。陽炎でも立ったのか、校庭の空気が一瞬揺れた。
「今日もあっついなぁ〜、しかし」
独り言を呟くと、どこからかにゃーんと猫の鳴き声が聞こえてきた。
「お、ジジさんかにゃ」
思わず猫言葉を使い、目を輝かせて早歩きにチェンジするきらり。白衣のポケットに手を突っ込み、ちゅ〜るはあったかと探す。手についたものを取り出すと、お目当てのちゅ〜るが手に握られていた。きらりは軽くスキップしながら、昇降口にたどり着く。後数歩進めば校庭だ、と言うところで。
ゆら、と陽炎にしてはやけに近い位置で空気が揺らいだ。
一瞬のうちに空気の塊がきらりを襲う。咄嗟に顔を腕で覆ったきらりは、爆風に押されて壁に叩きつけられる。
目をゆっくりと開けると、下駄箱が左から右へと薙ぎ倒されていて、ひしゃげていた。きらりは叩きつけられた右足に違和感を感じつつも声のかぎり叫ぶ。
「特9班、会敵っっっ!!」
ちょうどエラーを直して廊下に片足を出したまどかにその声は届く。数歩跳ぶように走ると、まどかは廊下のガラス窓を開けて下を見る。眼下には巻き起こる粉塵と、その中でゆらめく影が見えた。ごが、と不気味な音がして影が消えた。
寸前のところで首を大きく後ろにのけぞらせた、まどかの顎の数ミリ先を透明な何かが空気を切り裂いていった。圧縮された空気の層がまどかを吹き飛ばす。教室の中に転がり込んだまどかは、「アスカ!敵襲っっ!」と叫ぶ。アスカは怯えた目で窓の外を見つめていた。
「何を……っ!」
振り向いたまどかの目に、鮮烈なほどの赤が突き刺さる。ビビッド調の赤のポリゴンを纏った胴体に、数本の触手がついた個体。どう見ても強化個体だ。その個体はジジ、と体を透明にしていく。ばらら、と階下で銃声が響いた。まどかは後ろ手で通信機のスイッチを探す。数度通信機の背面に触れた後、callの文字がデカデカと書かれたボタンをゆっくりと押した。
「特9班、会敵……。強化個体、おそらくほぼ透明に近いステルスが可能……。以後、特α型とする……」
『あー……相当まずいな。状況は把握した。ス……トラっ……』
ザー、というジャミング音とともに通信機は喋るのをやめた。まどかは困惑する。基本的に、1個体が持つことのできる能力は1つまでだ。それとも何か、あれは3つの能力でも持っているのか、と考えるが、そんなことはあり得ないと頭を振る。
「となると……」
まどかの予感は当たっていた。完全に透明化した特α型を通して見えた校庭には、二体目のシュヴァルツが鎮座していた。アンテナのような頭を振り回し、その場に立ち続けている。恐らくあれで通信を妨害しているのだろう。
階下ではきらりと特α型の交戦音が響く。ばらら、とサブマシンガンの銃声が床に反響し、少しぼやけて周囲に広がる。
「透明って有りかよ……」
きらりが跳ねながらつぶやくと、それまできらりが立っていた足場が何かに吹き飛ばされたかのようにひしゃげた。「おぉ〜怖……」と言いつつ常にハイジャンプで移動し続けるきらり。しかし、先読みされたのかその肢体を透明な空間が押し飛ばす。右足がもう使い物にならなくなったことを察知したきらりは、校庭の瓦礫に突っ込みながら叫ぶ。
「右足……レイズアウト!」
叫んだ直後、右足がきらりの胴体から吹っ飛んだ。
レイズアウト。壊れた外骨格を取り外し、武器などに転用するシステム。普通の外骨格には存在しないシステムを、きらりは自己製で取り付けていた。
右足の肌色がぱくりと割れ、中の黒々としたメカニズムが顕になる。右足を動かすだけであれば明らかに多すぎる関節量が陽を反射してきら、と光る。「バスター!」ときらりが叫べば、それは一瞬の後に大ぶりな両刃剣になっていた。なおこの間3秒ほど。きらりは瓦礫の中から体を起こすと、左足だけで器用に立つ。宙に舞った両刃剣をぱし、と取ると、その勢いで左足を曲げ、ぐんと蹴り飛ばしてかすかにゆらめく空気に向かってその刃を立てる。
ガギ、という音が響き、その周りだけ赤色の触手が顕になった。火花を散らしながら横一文字に両刃剣を引き切ったきらりは、ピィンと残響を響かせ校舎の壁に突っ込んだ。がらがらと老朽化した壁が少しだけ崩れる。
「こりゃまたあのクソジジイにキレられんなぁ……」
きらりはぼやくと、飛んできた触手に向かって2太刀目を浴びせる。ギイイと悲鳴をあげて、バグったように空間が赤色の点滅を繰り返した。
まどかは叫ぶ。
「アスカ!二体同時の襲撃や!特α型はきらりが止めておいてくれる!」
窓の外にのたうち回る特α型を一瞥し、アスカの方へ振り向くまどか。そこには、アスカはいなかった。
「あれ」
間抜けな声を漏らしたまどかは、まさかと校庭を再び見る。予想通り、アスカは何か武器を持ってジャミングしている方……まどかは心の中で特β型、と名前をつけたが。……に向かって走り出していた。まどかは何を持っているんだと目を細め、大きく見開く。
「それはまだ試験運用中や!いつ暴発するか解ったモンやない!」
アスカは無視して走っていく。その手にはまどかが先日使用したのと同じタイプの拳銃が握られていた。シリンダー式の銃弾を滑り込ませながら、アスカはたん、と跳ねた。その空間を一瞬遅れて特β型の頭が切り裂いていく。当たっていたら肋の2、3本は逝っていただろう。まどかは見ながらヒヤヒヤする。
「いや、見てる場合やない……確かそこら辺に……」
まどかたちは前回の襲撃の反省を活かして、校舎内にも数種類の銃を用意していた。その一つが今アスカの持っている銃だが、他にもまだ種類のある銃があったとまどかは記憶している。
まどかはあった、と呟きながらギターケースを引っ張り出す。中を開けると、組み立て前のスナイパーライフルが顔を覗かせた。極端に短い銃身に、バレルリングが刻まれた銃身を足し、ストックを開く。エネルギーパックを銃の下部に取り付けると、まどかはつぶやいた。「ほんまはこういう保存はしたらあかんねんけどなぁ……銃身がブレてまう」しかしそこは技術力でカバーしている。三脚を開いたまどかは窓にそれを立てかけた。頬をストックに押し当てながら、脇を締めて等倍に設定してあるスコープを覗き込む。中央の十字線の真ん中に特β型の足を入れたまどかは、アスカが一旦離れるのを見計らって引き金を引き切った。
キュイイイイン……と一瞬のチャージ音が唸り、かなり強い反動でまどかの肩が変な方向へと曲がってだらんと垂れ下がる。その反動でスコープがまどかの目の周りに丸い痣を作った。「1発打つたびに脱臼かいな……」まどかは痛みに顔を顰めながら、ごきゅっと無理やり腕を下の場所に戻し、目の周りを撫でる。アドレナリンで緩和されている痛みは鈍く、まどかは再びスコープを覗き込む。
「……はぁ?」
特β型は変わらずそこにいた。
「なんでやなんでやなんでや……うちは確かに当てた。なんでダメージを食らってない……?」
よく見ればわかることだった。ごくごく薄い青色のポリゴンが膜を張り、弾を堰き止めていた。どうやらまどかと特β型の間にだけ、壁を張っているらしい。
「三体目……」まどかは呆然とスナイパーライフルを下げ、目をぱちぱちさせる。もちろん予想に違わず、特β型のさらに後ろ、ほとんど校門の位置から青色の胴体が見え隠れしている。
「あいつを倒さないと、スナイパーライフルは意味がない……ってことやんな。」
まるでその通りだ、と答えるが如く青い壁が明滅した。
アスカは跳んだ。たん、たんとリズムゲームのように的確に敵の攻撃を避けながら、拳銃を握りなおす。空中で片目を瞑って構えたアスカは、コアらしきアンテナの頂点に向かって銃弾を叩き込む。反動で腕が大きく跳ね上がり、拳銃が飛んでいきそうになるのを必死で押しとどめる。薬莢が横ざまに弾き飛ばされ、地面にキンッと金属音を残す。その戦い方は、何かへの復讐をしているようにも、何かへの償いをしているようにも見えた。
「アスカーっっ!」
まどかの声が聞こえた。反射的にアスカはそちらの方を振り向く。
「校門近くのやつを倒さへんと、援護射撃が通らへんっ!」
窓から身を乗り出してまどかが叫ぶ。アスカはその意味を理解すると、狙いをつけずに1発、校門に向かって撃つ。塀が吹き飛ばされ、青色の胴体が顕になった。一連の動作は一瞬の隙を作る。
視界がぶれる。特β型の頭が直撃する、と感じる直前にアスカは左足を高く上げて防御する。べぎ、と嫌な音がして足が本来の可動域を超えて曲がり、膝より少し上から引き千切れた。鮮血が舞う。
「あ゛あ゛っっっ!!」
アスカは激痛に歯を食いしばる。アスカのちぎれた素足は宙を舞う。それは陽の光に反射して、彼女の肌の白さを際立たせていた。血がどくどくと流れ出すのを感じながら、アスカの意識が少しずつ遠のいていく。血が足りない、と頭の隅で感じながら、アスカはまどかが叫ぶのを聞いた。
「左足っっっっ!レイズアウト!ヒール!」
何かが強い衝撃波を発しながら跳んでくるのをアスカは感じる。それはまどかの左足だった。
そう、レイズアウトは何も武器にするだけの能力ではない。きらりが勝手にまどかの左足につけた能力が、ここでやっと真価を発揮する。メカニカルな左足がアスカの左足の傷を覆うと、激痛と共にドーピング剤が注入された。
『ヒール コンプリート。』
すでに血は止まっていた。合成音声が耳に届くと、ちぎれた部分から激痛が走る。歯が欠けるほど食いしばるとアスカは目を見開いた。そして声にならない叫び声を上げながらまだ握っていた拳銃を特β型のコア付近に押しつけ、数度引き金を引いた。コアの反対側から紫色の液体が飛び散り、特β型の動きが完全停止する。と同時に、通信が復活した。
『特9班!応答せよ、特9班!』
阿久津の切迫した声が校舎内に響く。
「こちら特9班っ!」
まどかは叫びながらそれに答える。
『状況報告を!』
「無理です!」
まどかは近場にあったショットガンを手に取り、窓枠を掴んで飛び降りた。
『はぁ!?』
阿久津の叫び声が聞こえるが、一旦無視することにした。
階下では特α型ときらりの戦いがいまだに続いていた。飛び降りながら透明な空間に数発散弾を撃ち込んだまどかは、左足がないながらも危なっかしく着陸する。
「片足操作慣れてないんとちゃうん!」
きらりが叫ぶ。
「うるさい!援護に来ただけや!」
まどかは答えると、特α型が居るであろう場所に向かってさらに散弾を撃ち込む。赤色のポリゴンがじじ、と現れては消える。きらりは跳ぶと、幾本も切り傷のついた触手に向かって大剣を振り下ろした。亀裂が一気に走ると、触手はガラスが割れたかのように割れ落ちる。
「やっと一本……硬すぎるやろほんまに……」
きらりがぼやくと、まどかがその隣を走り抜ける。がす、と抑制された銃声が響き、コアらしき赤い球体が見えた。しかしすぐに透明なポリゴンがそれを覆おうとする。きらりはその隙を見逃さなかった。
「レイズアウト……パイル!」
パリ、と電流が空気を通る音がして、瞬きをすればきらりの右腕には大ぶりのパイルバンカーが装着されていた。ぐぐ、と大きく振りかぶったきらりは、「射出!」の掛け声と共に透明になりかかっているコアに拳を叩き込んだ。パイルバンカーが油の圧力でパァンと小気味よい音を響かせ、ぐじゅ、とコアにめり込んだ。まどかの撃ち出した散弾がコアの原型をとどめないほどに刺さり、紫色の血が辺りに撒き散らされる。透明になっていた胴体が、コアが死んだことによってじわじわと見えてきた。
パイルバンカーは予想以上の圧力がかかったのか砕け散り、きらりはその場にへたり込む。
「あ〜……ナイスまどかぁ……」
すっかり緩み切ってしまったきらりにまどかがするどく声を発する。
「まだ終わりやあらへん。一体残っとるで」
「うえぇ、どこやどこ」
校門の方をゆっくり指差したまどかは、驚く。
アスカは駆けていた。左足の痛みはもう無く、少し長さが違うまどかの左足が代わりに動いている。すぅ、と息を吸ったアスカは宙へ飛び、のっぺりとして無防備な青色の胴体の背中に向かって拳銃を突きつける。
「危ない!」
きらりが叫ぶのと、アスカが身をひねるのはほとんど同時だった。青色の背中が突然変形し、ハリネズミのような棘がありえないスピードで数えきれないほど生え出す。そのうちの一本が、アスカの左足を覆っていた左足に突き刺さる。じじ、と音を立てて一瞬電流が走ると、小さな爆発が起きて左足が吹き飛んだ。アスカは丁度棘の生えていない背中に降り立つと、銃口をそこに押し当てて躊躇なく引き金を引く。強い反動にアスカの腕は跳ね上がる。アスカは背中に大きさ十センチほどの空洞が開いたのを見ると、よしとばかりに持っていたシリンダー弾を全てその穴に突っ込み、銃ごと自分の右腕を突っ込んで発砲した。撃鉄に尻を叩かれて撃ち出された銃弾は別の銃弾にあたり、小さな連鎖爆発が起きる。そこに拳銃自体の暴発が重なれば。
アスカは飛び退く。背中の棘が数本外れてコアが見えた。爆発の炎は拳銃にまで手を伸ばし、コアの真横で直径1mほどの爆発を引き起こす。紫色の血がどばぁと吐き出された。
かなりあっさりと倒された三体目の亡骸を肩で息をしながら一瞥したアスカは、まどかたちに向かって右手を掲げガッツポーズをとる。
そして、倒れた。
「……スカ……起……て……!」
それが自分にかけられている声だと気がつくのに、アスカは数分の時間を要する。視界がぼやけていた。大きく目を見開いて数回瞬きをすると、アスカは左足と右手に激痛を覚えて歯を食いしばった。血は止血されているものの、やはり足が片方無くなって違和感がすごい。
「アスカぁ〜……」
きらりが涙とシュヴァルツの血でぐちゃぐちゃになった顔でアスカに抱きつく。
「ほんまに、いきなり倒れるから死んだかと思ったで……」
心配そうな顔で呟くまどか。アスカは声が出せないほど強く抱きしめられ、ギブギブ、ときらりの背中を叩く。
「あれ、私……」
呆けた顔のアスカを、きらりが再度抱き締める。
「勝ったんや。強化個体3体に対して。」
バラバラバラ、とヘリのプロペラ音が響いて。
アスカの意識は再度遠のいていった。
そこからの記憶は途切れ途切れだ。
「血……液……た……!?」
叫ぶ美梨になんとか「ph+のA型」と答える。「だから……外骨格無しで……闘に参加……無……」
ピッ、ピッと電子音が鳴り響く病室で、アスカはハッと目を覚ます。
「最初のセリフは、知らない天井だ……やろ?」
きらりの物ともまどかの物とも違う関西弁が聞こえ、アスカはそちらに顔を向ける。
白衣を着た女性が、手元に持ったカルテに何事か記入していた。
「15時43分、対象の覚醒を確認っと……」
現在の時刻を告げながらボールペンを走らせる女性と、自分を取り囲む病室を眺めるアスカ。いかにも病室、といった具合の部屋に窓はなく、じじ、と音を立てる蛍光灯が部屋を照らしていた。
「あぁ、自己紹介が遅れたな。うちの名前は牧王坂(まきおうさか) 咲凜(えみり)。あんたの担当医や。よろしゅう」
咲凜と名乗った女性は、茶色の髪の毛を無造作に縛ったポニーテールを揺らし、メガネをくい、と持ち上げる。
「よろしく……お願いします……?」
恐る恐る挨拶をするアスカ。咲凜は一瞬きょとんとした後答えた。
「あぁいやいや、あんた別に容体に悪いとこあらへんし、起きたんなら今日で退院やで」
「はぁ……」
空返事をするアスカは、左足首に(・・・・)捻挫のような痛みを感じて手を伸ばす。しかしその腕は空を切った。
「幻肢痛やな。」
アスカはそこに足が存在しないことに気がつく。縫合されて閉じられた左足は、膝から下を境界線にしてすとんと落とされていた。
「私の足……」
「あぁ、左足は止血が遅かったら壊死しとったやろな」
事もなげに言うと、咲凜は「なんか飲む?」と薬品棚を漁る。危ない薬でも飲まされるのか、とアスカが身構えると、咲凜が取り出したのはアップルティーの粉スティックだった。薬品店に保管するなよ紛らわしい。アスカがホッと胸を撫で下ろすと、咲凜はにしし、と笑った。
「絶対アカン薬と勘違いしたやろ。大丈夫。」
ピリ、とスティックの封を破ると、手近のビーカーに中身をさらさらと注ぐ。そして病室の隅に置いてあったケトルを傾けてお湯を注いだ。
「多分洗ったビーカーやから、気にせんと飲んで」
点滴の管に腕を引っ張られる感覚を覚えながら、アスカは咲凜からビーカーを受け取る。あちち、と冷ましながらふーふーと息を吹きかけて冷ます。
ずず、とビーカーの中身が少しずつ減るのを確認して、咲凜はカルテに何事か書き込んだ。
「味覚、触覚、痛覚ともに正常範囲値……と」
「あの、ここはどこですか」
ん?という顔をして振り返る咲凜。
「あぁ、揺籠本部内の臨時医務室。桜木が呼んどったから、落ち着いたら行ったって」
松葉杖をつきながら、アスカは揺籠の白く塗られた通路を進む。入院着なんて久しぶりだな、と思いながら松葉杖を床につけ、体を浮かせて一歩ずつ進んでいく。
左足が無くなって少し不便になったな、と感じ、アスカは早いところ桜木という人物から外骨格を受け取って前線基地に帰ろう、と心に決める。そして大雑把に現状を整理した。
アスカの左足はもうこの世に存在せず、焼却処分になったのだろう。きらりとまどかの現状が少し気になっていたが、彼女らは外骨格をすぐに支給されて前線基地に押し返されたらしい。昨日まで君にべったりだったぞ、と咲凜は愉快そうに笑った。
咲凜に伝えられた研究室に向かう途中で数度大人とすれ違ったものの、誰もアスカの存在には気を止めずに進んでいく。しばらく進んだところの曲がり角で、出てきた人物とアスカはぶつかりそうになる。
「あっぶな〜……あ、見つけた!」
そう朗らかな笑顔を覗かせながら少しこぼしてしまった書類を数枚拾い上げると、ぶつかりかけた女性はこっち、とアスカの袖を引いた。
入院着の袖から手を引き剥がし、質問をするアスカ。
「あなたは……?」
「あぁ、ごめんね。私は桜木。あなたの外骨格を製作させてもらったんだ。機能説明とか色々あるから、研究室まで来てもらおうと思って。」
「あぁ、なるほど……」
突然現れた少女に少し困惑しながらも、アスカはその後ろについていくことを選択する。なにしろ咲凜はこの少女に外骨格を受け取れ、と言っていたのだから。
「いやーごめんね。急に左足損失なんて君も驚いたでしょ。私だって驚いたもん。」
「はぁ。」
アスカが気の抜けた返事をすると、桜木はしかし、と続ける。
「君のデータがゼロだったのは予想外だよ。外骨格使ったことないの?」
「はい。これまで大きな怪我をしてこなかったもので」
アスカが敬語口調で返すと「まぁ良い機会になったでしょ。」と軽く返す桜木。そうしているうちに2人は研究室に着いた。
『第3物質科学研究室』の看板がかかったその部屋は、研究室というには生活感に溢れていて、しかし自室というには少々理系すぎた。
中に入ったアスカは、書類が大量に積まれている机の前に座らされる。部屋には机が二つあり、その中の一つは先ほども言ったように書類が堆く積み上がっており、一種の荘厳さを醸し出していた。しかしもう片方の机は対照的に綺麗に片付けられており、その上には3Dプリンターとビーカーがひとつ二つ、そしてスーツケース型の保管箱が鎮座していた。
「ちょっと待っててね」
桜木はそう言うと、保管箱の正面についているパスコード画面に数桁の文字を入力した。カシュ、と小気味よい音が響いて保管箱が前後に割れる。
そこには白いアスカの肌と全く同じ色をした左足が保管されていた。
「本当は適合手術ってのを受けるんだけど、まぁ……大丈夫でしょ!」
アスカの心に少しだけ残っていた不安が増大する。本当に大丈夫か……?
まぁ、結論から言えば外骨格の装着は一瞬で終わった。
「よし。にぎにぎしてみて」
アスカは右足の指をぐ、と握って開いて見せる。
「OK。感度も良好かな」
桜木がつんつんと義足に触れると、アスカはふひ、と思わず笑いをこぼしてしまう。
「機能説明だけど、聞いてく?」
もちろんと頷いたアスカは、書類の山からガサガサと桜木が仕様書を取り出すのを眺める。
「えーっと、まず初めに、これは『揺籠』の支給品ってことを覚えておいて。だから壊れれば金銭的な損得も発生するし、……いや、特9班は正明さんの投資が入ってるから金の話は全部あの人に行くのか。まぁいいや。えっと、まず初めは何話せば良いんだろ……」
「メンテナンスのこととか教えていただければ」
「お、そういうの助かるねぇ。メンテは、簡単に言えば『自己修復機能』的なものが備わってるから基本的に必要ないんだ。レイズアウトとかに使って爆散したやつは戻らないけど。」
「なるほど」
アスカはまどかの左足は悪いことをしたなと少し罪悪感を覚える。
「だから、普通にこれまでと同じように使ってくれて構わないよ。出力とかも自動調整してくれる優れもの!」
アスカは再び左足の親指を曲げたり、広げたりして全く違和感がないことに驚く。
「外骨格って初めてつけましたけど、すごいですね。まるで元に戻る魔法をかけたみたいです」
「なんてったって100年物の技術ですから」
自慢げに胸を張る桜木に、アスカは無意識にきらりを重ねる。
「靴下はおんなじやつ用意してあるからそれ履いといて。触覚の試験も兼ねてるの」
桜木から靴下を一セット受け取ったアスカは、右足に履いていたスリッパと靴下を脱ぐ。慣れた手つきでビニールパッケージからニーハイを取り出すと、まずは右足に履く。少し締め付けられる感触と共に、懐かしい感覚が戻る。そしてアスカは恐る恐る左足を椅子の上に上げ、触ってみる。
普段と何ら変わらない弾力と体温が指を押し戻し、足の方からも「何かに触られた」という感触が返ってきた。まるで足が吹き飛んだことなど嘘のように、なくなる前と同じように足はそこにあった。ニーハイに足先を通すと、アスカは一気に膝上まで引き上げてぱちんと薄く入ったゴムを鳴らしながら、太ももの肉に少し食い込む感触に悦びを覚えた。
靴下を履き終わったアスカを見た桜木は、なんと支給品の制服まで手渡してきた。
「私外に出てるから、着替えておいて。靴も一応あるよ」
なぜ前まで着ていた物と全く同じものが用意できるのか。アスカは桜木のリサーチ力に少し怯えながら、わかりましたと呟く。桜木が出て行ったあと、アスカは入院着のリボンを解いた。薄ピンクのスポブラが顕になり、ぱさ、と入院着が肩から滑り落ちて床に落ちる。
まずシャツに袖を通し、ぱちぱちとボタンを上から留めていく。
「大きさぴったりだ……」
アスカは呟くと、次にスカートを手に取って足に通す。腰まで引き上げて横についたジッパーを上げる。スカートが落ちないことを少し跳ねて確認すると、よしとアスカは少し笑みを漏らす。
用意されたヘアゴムに長めの髪の毛を通し、後頭部の上側でポニーテールにして留める。シャツの襟をたて、リボンの紐を通して後ろ手でぱちんとプラスチックの留め具をはめる。襟を元に戻した時、桜木のノックが聞こえた。
「終わった〜?」
監視でもしているのか、とあたりを見回すアスカだが、そんなことをしても何の特にならないと気がつくと「終わりました」と答えた。
「やーかわいいかわいい!サイズどうだった?」
ピッタリでした、と答えたアスカは、桜木の手に何か握られているのを見つける。
「それ……」とアスカが指を差すと、桜木はそれを持ち上げて、「これはプレゼント」と無邪気に笑う。
やはりきらりに似ているな、と感じたアスカは、「何ですかそれ」と再度質問した。
桜木の手に握られていたのは、六面体を表した平面的な図形をモチーフにしたペンダントだった。しかしペンダントというにしては首にかける紐が長すぎる。桜木はんふふ、と幼い笑顔を覗かせた。
「これはね、秘密兵器。……ナノギア、って聞いたことがあるかな」
「確か、実用化は不可能と言われていた人類の最新鋭兵器、でしたか」
「そうそう。よく知ってるねぇ」
「一応指揮官学校で習いました」
人類の大部分の研究者が外骨格技術を研究するのと同時に、ほんの一部、たった一握りの研究者たちが研究し始めた事柄があった。それが「シュヴァルツの脳を流用して兵器にする」という物であるナノギア技術だ。
シンプルにメカニズムを追求すれば良い外骨格技術とは異なり、ナノギア技術は使用者の脳や全身の神経に多大な負担を強いた。どれだけ鍛えた造花隊の人間であっても、数秒使用するだけで半身不随になるほどにだ。
研究者の間ではその高い戦闘力とは裏腹に非人道的であり、さらに実用化されたとしても採算が取れないことから「予算殺しの薔薇」と揶揄されていた。
桜木はアスカと同じくらいの背でつま先立ちになって、ペンダントをアスカ首にかける。
「まぁ話半分に受け取ってくれて構わないんだけど、それがそのナノギアなんだよ」
ペンダントを持って眺めていたアスカは、その一言で「え、あ、えぇ!?」と情けない声をあげてお手玉するようにペンダントを投げる。
「君たちの前線基地は試験区域だ、って知って。ちょうど新しく作った兵器を試験する場所を探してたし、普段の戦いぶりを見て、君にだったら託しても良いかなぁって思えたんだ」
あまりに早い展開に頭が追いつかないアスカは、それに文句を言うことなく受け入れてしまう。
「なるほど……。」
「渡した側が言うのも何だけど、飲み込み早いね」
「展開が早すぎて飲み込む以外に選択肢がないんですよ」
不満げにアスカが答えると、あははと桜木が笑う。
「ごめんごめん。まぁ使う機会なんてないだろうけど、もし使うことになったらデータ取っておいてね」
「まぁ……わかりました」
じゃ、とアスカが立ち上がると、「このローファー、新しく用意しといたよ」と桜木がローファーを差し出す。
「なんで全部用意してあるんですか……怖すぎますよ」
「いや、だって身体データは全部こっちに保存してあるじゃん。」
「それ、セクハラですよ……」
「まぁ、動きに問題がないようであればもう帰って大丈夫。きらりちゃんたちも心配してると思うよ」
「はい。ありがとうございました」
「またね〜」と手を振る桜木の研究室のドアを閉め、ふぅと一息ついたアスカ。確か咲凜はアスカのバイクはヘリポートにおいてある、と言っていた。そこまで徒歩で移動すれば10分ほど。足の使用感を確かめる意味合いでも、アスカは歩いていくことにした。
「やっぱり不恰好だよねぇ……」
揺籠本部の建物から出たアスカは、今しがたまで自分がいた建物を振り返った。真っ白の外壁は何のデザインも考えていないようで、「とりあえず本部として機能すればヨシ!」と言った具合だ。アスカは本部から放射状に伸びた数本の大通りの一つを、前線基地の方へ向かって歩き出す。
『星の揺籠』内は本部の他に幾つかの区画に分かれている。本部を中心に置いて東西南北に分割線を引き、中心から合計7本になるように大通りを引けば本部前に設置されている案内板と同じ図が出来上がるはずだ。本部から向かって北東の方角には一般人の居住スペースが設置されている。アスカが今通っている道はその居住スペースを分断するように配置されており、比較的治安も良い地域だ。
そして北西側には小さな区画として「供霊場」がある。これまで戦闘に巻き込まれて死んだ者たち、戦闘で無理をしすぎて犠牲になった人々の墓、という名目の棒が無数に立っている区画だ。アスカはその不気味な墓たちが少し苦手だった。その隣には工場区画があり、外骨格の製作や家電などの製造を一任されている。
ここまで思い返すと、アスカは少し陽の落ちかけた居住区の通路を進む。並ぶ家はどれも平坦で、どれも表札以外は全く変わらなかった。ここで迷ったら確実に帰れなくなるな、とアスカは思うが、この片車線3本ほどある広い道路を進んでいてまず迷うことはないだろう、と自分を落ち着かせる。指揮官時代はこちら側ではなく揺籠内の施設で寝泊まりしていたから、あまりこちらの様子は知らなかった。
田中、佐藤、赤城……これまた文字以外は変わり映えしない黒字に白の表札を眺めながら、アスカはそこに住んでいる人たちの生活を思い浮かべる。麻木さんの家は今日はカレーかな、中曽根さんはゲームでもしているんだろうか、と。
途中、1組の親子が通りがかる。アスカは通りがかりにお辞儀をしたが、子供を連れていた母親は心底見たくない物を見た、という表情で『特9班』のバッジがついたアスカのシャツから視線を外す。子供に「早くおうちに帰ろうね」と声をかけると、子供の視界からアスカを外すようにして親子はそそくさと消えていった。アスカは別に気にしなかった。これが普通の反応だからだ。自分が親であっても、子供に毎週のように戦っている人々をあまり見せたいとは思わないだろう。
坂中(さかなか)、間取技(まどりぎ)、小鳥遊(たかなし)、一口(いもあらい)……難読名字が増えてきたな、と考えるアスカの視界に一つの表札が目に入る。
「情音(こころね)」
アスカは瞳孔を見開いてその表札から視線を外そうとする。しかし凝視したままの目はどうやっても外せない。情音、と心の中で呟くアスカ。記憶の底がチリチリと疼く。何秒だろうか、永遠にも思える時間の間その表札を見つめていたアスカは、ヒュゥっと息を吸い込むと、無理やりその表札を視線から外した。
私はこの苗字を知っている。
記憶の疼きは大きくなり、頭蓋骨が内側からノックされているように痛む。よろけるように路地裏に入り込んだアスカは、家の壁に背を預けて肩で息をする。全速力で走った時よりも、シュヴァルツを倒した時よりも心臓は強く鼓動を打ち、瞳孔は開きっぱなしだった。
情音、情音、情音。何度もその苗字を心に描いては打ち消して、必死に記憶をたぐるアスカ。しかしその記憶の綱は途中で千切れていて、どうやっても引き上げることはできない。
気がつけば、アスカは立ち上がって逃げ出すように歩いていた。自分が進む先に、あの表札に自分があれほど動揺した理由がある、と確信を持って。
コツ、とアスカは足をとめる。いつの間にか居住スペースを抜けて供霊場に辿り着いていた。
無数に立ち並ぶ白い棒をかき分けるように進みながら、アスカは探す。情音。
「情音……さな……」
アスカは無意識に呟き、はっとして口を抑える。何だ今のは。情音さなとは誰だ。……忘れてはいけなかった記憶。だった気がする。
アスカの目線はその一つの墓標に釘付けになっていた。
『SANA KOKORONE』
そう無機質に綴られた墓標には、先ほどアスカがつぶやいた名前と全く同じ名前が書いてあった。
「あ……」
アスカは呟くと、膝をつく。
私は、彼女を知っていた。
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