第19話 昔話(テレサside)②
「これは、私が患者様方の御世話を終え、残務処理と業務の引継ぎの為にナースセンターに戻ろうと、階段を降りていた時のことでございます」
テレサさんは、そう言いながら眼帯で覆い隠された左目に軽く触れる。
「やはり忘れられませんね、あの時、背中にあった確かな感触は。とはいえ、その直後の記憶はやや朧気なのですが」
その日、テレサさんは、階段から転げ落ちる事故に遭ったのだという。でも、それはあくまでそう処理されたというだけの話。
でも、違う。テレサさんは、誰かから背中を押されて、階段から突き落とされたんだ。
「背後の気配に気付かなかったのもよくありませんでしたが、残念ながら、打ち所はもっと悪うございました」
テレサさんが、私の目の前で眼帯をめくり上げる。そこには、本来あるはずの左目は無く、その代わりに、歪なダイヤ型の穴が開いていた。
「ヒッ……!」
「運悪く、落下した先に医療器具が満載のコンテナがございまして。この通り、私の左目はその角で潰れてしまいました」
酷い、酷過ぎる。なんでそんなことするの? テレサさんはただ言われたことをやっただけなのに。
でも、それよりもっとヒドかったのは、その事故が起きてから、テレサさんが受けた扱いだった。
「当然、その事故が起きた原因の追及が行われた訳ですが、私の証言は悉く無視され、逆に、『自分のミスを他人に転換する不良品』というレッテルを貼られる始末でした」
もちろん、監視カメラの記録なんかも調べられたみたいだけど、なぜかそのときの記録は残っていなかったらしい。
「その日を境に、私は笑うことはおろか、感情を顔に出すことが全く出来なくなり、そんな私を患者様方が不気味がるのに時間はかかりませんでした」
その事故の後も、テレサさんは与えられた業務を完璧にこなしていたらしい。でも、テレサさんを慕う患者さんは日を追う毎にいなくなっていったのだという。
「しかし、そんな私に同僚の人間からかけられた言葉は『事故のショックで頭がおかしくなったか』『チヤホヤされて調子に乗っていた報いだ』といったものでした。私はただ、命令に従っていただけなのですがね」
なんだか、イヤな気持ちが湧いてくる。テレサさんの話の中で、テレサさんが悪く言われることなんてなにもないのに。
「ですが、私がこのような顔になったのは、そのようなことが理由ではないと私は思っております。勿論、それが正しいのかは私には判断しかねますが」
テレサさんは、自分が笑えなくなってしまった理由を、自分なりに分析して、私に話してくれた。
「恐らく『私の行動によって院内に不和が生じるのであれば、その原因を排除しなければならない』といった理由で、無意識に感情表現を抑制しているのではないかと。笑顔で患者様方と接するのが効果的ではあれど、それによって全体の業務が滞っては本末転倒ですので」
違う、そんなの、絶対に違う。そんなヒドイ仕打ちをされて、笑っていられる訳ないよ。そんなの、テレサさんにヒドイことをした人が悪いに決まってる。
「ですが、病院側としても私がいつまでもこのような状態では困るらしく、かと言って、破損事故を起こした手前、新たにアンドロイドの派遣依頼をする余裕も信頼もなく。どうしたものかと彼らも思案していたようなのですが、そんな折りに、センセが遠出から戻られたのです」
なんでも、九喜先生はその時期にどうしても移動が出来ない患者さんのために出張していたのだという。
こんなことになったら、九喜先生が黙っていないんじゃないかとは思っていたけど、そんな理由があったんだ。
「センセは、私の顔を見るなり、持っていた鞄を放り出して私に質問責め。私はただありのまま、あった事実を細かに説明致しました」
「それで、あの、テレサさんのお話を聞いた九喜先生は……?」
九喜先生が、今の話を聞いたらどうなるかなんて、解りきってる。問題は、それがどの程度だったのかだ。
「私の話を聞いたセンセは、それはもう大激怒でしたね。怒号と共にその足で院長室へと向かわれました。私も、普段のセンセからは想像し難い剣幕に驚いたものです」
テレサさんは、そんな九喜先生の後を追って、院長室へと向かったらしい。そうだよね、そんなの、ほっとけないよね。
「センセは院長室に着くなり、口に出すのも憚られるような罵詈雑言で院長をなじり倒しまして。役職では上でも、センセありきの病院でしたので、さすがに追及を無視することは出来なかったようで……」
その後、九喜先生はテレサさんの背中を押したのが誰だったのかをなんとか突き止めようとしたのだけど、決定的な証拠も無かったみたいで、結局、犯人は解らず終いだったようだ。
「私としましては『センセがそこまで怒る理由は無いではないのでは?』とも思ったのですが、客観的に見れば、私の扱いは酷いものであったのは事実ですし、口を挟まずその様子を見守りました」
なんで、なんでテレサさんはそんなに自分のことをまるで他人事のように言うんだろう。九喜先生が怒る理由なんて、一つしかないのに。
「センセは『こんな根も葉も腐りきった所には居られない。そんなにテレサちゃんが邪魔なら僕が連れていく』と仰り、その日のうちに本当に辞職してしまわれまして」
病院側は、テレサさんの仮所有権を主張して、なんとか九喜先生を引き留めようとしたみたいだけど、派遣元に直接乗り込んで、事情を話して、テレサさんを直接引き取ったのだとか。
「なんでも、センセの話では私の所有権取得とクリニックの開業で財産の大半を遣われたようで。そんなことをせずとも、センセ程の手腕があればもっと良い環境に身を置けるものを……」
この口ぶり、間違いない。テレサさん、本当に九喜先生の気持ちが解ってないんだ。私でもこんな簡単なこと、すぐに解るのに。
「あの、テレサさん? 九喜先生は、テレサさんに立ち直って欲しくて、ここで開業したのではないのでしょうか?」
「『立ち直る』とは、以前のように、患者様方と接することが出来るようになるという意味合いでしょうか? ですが、それによってセンセにはなんのメリットが?」
「いえ、メリットとかじゃなくって、その、九喜先生は……」
そうだ、立ち直るって言い方が良くなかった。もっと直接的な言い方がよかったんだ。
「九喜先生は、テレサさんに、ただ、また笑えるようになって欲しいのではないでしょうか?」
「益々理解しかねます。治療行為の円滑化の為ならともかくとしまして、私が笑うことで九喜センセになにか利益があるのでしょうか?」
話がなかなか噛み合わないけど、もっともっとハッキリ言わないと、テレサさんは解ってくれなさそうだ。
「あ~っ! もうっ! そんなの、九喜先生がテレサさんのことが大好きだからに決まってるじゃないですかっ!」
ダメだ、こんな言い方するつもりじゃなかったのに。ああ、テレサさん、やっぱり怖い顔でこっち見てる気がする。
「す、すみません! 生意気なこと言ってしまってっ! ゴメンなさいっ! ゴメンなさいっ!」
私は何度も頭を下げながら、テレサさんの顔色を窺う。とは言っても、テレサさんのお顔は部屋に入ってから今まで、ず~っと変わってないんだけど。
「失礼しました、アミィ様が荒ぶるのを見るのが少し面白かったので、つい、凝視してしまいまして」
よかった、テレサさん、怒ってない。むしろ、ちょっと喜んでくれたみたいでだから、結果オーライなのかな?
「それにしても、不思議なものですね」
「あっ! はいっ! あのっ、なにがでしょうかっ!?」
ああ、落ち着かなきゃ、今の返事も生返事になっちゃった。落ち着いて、深呼吸、深呼吸。
私が冷静になったのを見計らって、テレサさんが話を続ける。
「今、アミィ様が感じられたように、無表情で接されると、人は負の感情を読み取るものです。本来なら正負は釣り合う筈なのですが、どうしてなのでしょうね」
テレサさんの言う通りだ。なんで、そんな風に思っちゃうんだろう。改めて考えると、本当に不思議だな。
「私の場合はそれが顕著ですので、なかなか他人と接するのが難しく、ひいては、接触そのものを避けるようになってしまいまして。この眼帯も、却って人避けになる等と考えたりもしておりました」
私も、初めはテレサさんの見た目と態度に、近づき難さを感じていた。こうして話をしてみたら、そんなことなんてないのに。
「ですが、こうしてアミィ様と話をしてみて、もっと自分から歩み寄ってみるのも悪くはないのではないかと思わされました。図らずも、私にとっても良き時間となりました、ありがとうございます、アミィ様」
「いえ、そんなこと……あれっ?」
深く頭を下げるテレサさんを見て、急に、私の目から涙が出てきた。そうだ、私は、酷い扱いを受けて、表情を奪われたテレサさんに対して、何も知らないくせに、あんなことを言ってしまった、あんな目を向けてしまった。
忘れちゃいけないことを忘れちゃってた。私も、これまでテレサさんが向けられてきた目を向けた、一人だということを。
「あの、テレサ、さん。私、さっき、テレサさんにあんなこと言っちゃった。私、知らなくって。でも、そんなこと、テレサさんには関係なくって……!」
せっかく、テレサさんのことを少し解ったつもりだったのに。ご主人様の言う通りだった。ああ、あんなこと、言わなければ良かった、しなけれよかった。
「あの、テレサさん、本当に、ゴメン、なさいっ……!」
急に泣き出した私の肩にテレサさんのあっかい手を置いてくれた。そして、テレサさんは私にあったかい声をかけてくれた。
「アミィ様がなにをそんなに思い詰めているのかは存じませんが、もし、先程のロビーでのことを仰っているのであればお気になさらず。あれくらい慣れっこでございますので」
違う、違う、そういう問題じゃない。馴れちゃうまであんな風な扱いを受けてきたのに、私はそれに追い討ちをかけるようなことをして。
「ゴメンなさい、ゴメンなさい……」
ただ謝るだけの私に、テレサさんは何度も『気にしなくていい』って言ってくれたのに、それでも私の涙は止まらなかった。
それでも、テレサさんは肩に手を置いたまま、私が落ち着くのをずっと待っていてくれた。本当に、ゴメンなさい、テレサさん。
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