第16話 昔話(九喜side)
「これは僕が小学生だった頃の話だから、こうして三十半ばになってから振り返れば、本当にガキっぽい話なんだけどさ……」
そう前置きして、九喜先生は俺に自分の過去を語り始めた。なんでも、九喜先生が友達の家の誕生会に行ったとき、一台のアンドロイドに出会ったのだと言う。
「名前は……そう、アイリス、アイリスさんだ。いや~、こっちから話を振っておいて、名前が一瞬出てこなかった、いけないいけない」
九喜先生は額を掌で叩き、仰け反りながら笑っている。でも、話を再開した九喜先生の表情は決して明るいものではなかった。
九喜先生が言うには、その友達とはそこまで仲が良かった訳ではなく、むしろ裕福さを鼻に掛けるような性格があまり好きじゃなかったらしい。
「正直、一目惚れでさ。それからも何かと理由を付けて、その友人の家に遊びに行ったもんだよ。その為に、ソイツの太鼓持ちみたいなこともやった。本当に、今思えばアホらしいったらないよ」
いや、九喜先生の気持ち、俺にも少し解る。子供の頃、ちょっと年上の友達のお姉さんが魅力的に見えたもんだ。
宿題を並べて唸ってたら、頃合いを見てお菓子やジュースを手に部屋に入って来て『そろそろ休憩したら?』なんて言ってくれてさ。
お姉さんからは俺や周りの友達とは違う、なんだかいい香りがして、ドキドキしたりしたもんだ。俺にも妹がいたけど、そんな気持ちにはなったことは無かった。
そんな思い出に、そのお姉さんが人間かアンドロイドかなんて関係ない。いや、むしろ、アンドロイドの方には物珍しさのプラス要素さえあるだろう。
「アイリスさんも、ソイツのワガママには手を焼いてたらしくって。アイツが居ない隙に『坊っちゃんと仲良くして頂き、誠にありがとうございます』なんて言われたりして、年相応に舞い上がっちゃってさ!」
アイリスさんとの思い出を語っている間、九喜先生の表情は弛みっぱなし。でも、そんな笑顔は長続きはしなかった。
「僕、もっとアイリスさんに誉めてもらいたくって、ソイツの家に遊びに行ったんだよ。ちょっと無理して、お小遣いで手土産にお菓子なんか買って。そしたらさ……」
九喜先生からは、さっきまでの朗らかさが消え失せていた。いや、それどころか、顔を歪めながら、眼鏡を外して、目頭を押さえる。
「言うんだよ、アイリスさんが、玄関で、僕に、『初めまして。本日はようこそいらっしゃいました。貴方は、坊っちゃんの御友人で間違いございませんか?』ってさ」
この一言で、九喜先生が、俺になにを話したかったのかを完全に理解した。つまり、九喜先生は、俺とアミィにあったかもしれない別れを、その身で味わっていたんだ。
「僕、アイリスさんがなに言ってるのか解らなくてさ。アイリスさんもなんで僕が黙ってるのか解らないみたいで、ちょっと困ったような顔してるんだ」
そりゃそうだ、つい数日前まで仲良くしてくれたお姉さんからそんなことを言われたら、どうしていいか解るもんか。
「僕、その場の空気が気持ち悪くって、怖くって、気付いたら、ソイツの家の前から逃げ出してた。早くその場から離れたくて、手土産なんてその場に放ってさ」
事実として、アイリスさんの記憶は、何らかの理由でリセットされたのだろう。アミィのような記憶障害、或いは、何らかの不具合によってそうせざるを得なかったか。
でも、アイリスさんの記憶がリセットされたのは、俺が考えていたようなものではなかった。いや、もしそうだとしたら、九喜先生も幾らかは救われたのかもしれない。
「もちろん、僕は友人に問い詰めたよ。『アイリスさんになにかあったのか』って。そしたらアイツ、ヘラヘラ笑いながら言うんだよ。『いや、別に?』ってさ」
そんなバカな話があるか、なにも無いわけないだろう。俺の喉から声が出る直前で九喜先生は話を再開する。
「それを聞いて、僕、産まれて初めてキレちゃってさ。胸倉掴んで問いつめたよ、『なんで、なんで、なんで!』って。普段はおとなしかった僕が急に叫んだもんだから、ソイツも含めて、それはもうみんなビックリしてたよ」
その九喜先生の尋常ではない勢いの訴えに、その友達は、アイリスさんのリセットに至った経緯を白状したらしい。
なんでも、九喜先生とつるみ始めてから、アイリスさんからの小言が増えて、九喜先生と比較されるのが煩わしかったのだと言う。
初めは軽く反論したり、聞き流したりしていたけど、仲が良さそうに九喜先生とアイリスさんが話しているのを見て、『二人で影で自分をバカにしている』と勘違いしたらしい。
その二つの要因が重なって、アイリスさんがスリープモードに入っている隙に、アイリスさんの記憶を衝動的にリセットしたのだという。
「もちろん、持ち主であるアイツに、僕がアイリスさんの処遇についてどうこう言えた話じゃない。実際、最終的には『お前には関係ないだろ!』って開き直られたから、なにも言えなかったんだけどさ……」
確かに、九喜先生の言っていることは正しい。でも、それは時間を経た今だから言えるただの正論、当時の九喜先生からしたら、そんな正論、なんの意味もない。
「普通やるかいっ!? たったそれだけのことで、身近で世話をしてくれたアンドロイドのリセットなんてっ! 確かに、僕にも責任はあるさ! でも、そんな一時の衝動で、やっていいことじゃないだろうっ!」
九喜先生はそう言いながら、握り拳で机を叩く。その衝撃で、机の上のペンが転がり落ちる。
「もちろん、アイツだって相手が人間なら、やらなかっただろうね。でも、アンドロイドなら、やる。どっちも同じ、命を殺す行為なのにさ。なにもアイツに限った話じゃない、やる人間はアッサリやるんだよ」
その言葉に、俺はハッとした。もしアミィが人間で、記憶障害が起きたなら、今と同じように、どうにか治療法を探すだろう。
でも、もし、リセットという選択肢があったなら、最終的にはそれに頼るかもしれない。いや、実際、アミィからの進言で、その選択をしてしまう一歩手前まで行ったんだ。
「事前に聞いた話では、アミィちゃんも響君にその提案をしたんだったね? でも、君は思い留まった」
「はい。俺、アミィからの口からもう一度『初めまして』を聞くのが怖くって……!」
「うん、君の選択は正しかったよ。多分、そうしていたら君も僕と同じ道を辿っていただろうからね」
いや、仮に俺がそうしていたとしても、それはアミィと俺が同意した上での話。アイリスさんとの突然の別れを経験した九喜先生の無念は察して余りある。
「しょせんは、子供だった頃の、淡い淡い思い出だけど、アイリスさんと二度と会えなくなったときの辛さは、今でも僕の脳に焼き付いて離れない。もちろん、機体としてのアイリスさんはまだ居たけど、もうそれは他の存在さ」
九喜先生は、その友達とケンカをした以降、アイリスさんとは合わず、引っ越したらしい。九喜先生の話を聞いた両親が、そうしたのだという。
「人間にせよアンドロイドにせよ、何らかの形で別れはやって来る。人間なら死、アンドロイドなら故障や破損、他にも……色々ある。当然、どちらにも距離や立場による物理的な別れだってある。それは仕方がないことだけどさ……」
九喜先生は床に落ちたペンを拾い、それを胸ポケットにしまいながらこう言った。
「やっぱり、『サヨナラ』を言えずにお別れするのだけは、イヤなもんだよね。ちゃんと納得してからお別れしないと、こうなっちゃう」
それだけ言うと、九喜先生は息を大きく吸って、顔を上に向けて、勢いよく吐き出した。そして、喜ぶでも悲しむでもない、穏やかな顔を俺に向けた。
「これで僕の昔話はおしまい。いや、昔話というより、僕の愚痴に付き合わせてしまっただけだったかな? なんにせよ、口を挟まずに僕の話を聴いてくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ、今の話で九喜先生の人となりがよく解りました」
「それならよかった。いや~、いつも来る患者さんには、こんな話をする余裕も無いからね」
九喜先生の話からアミィの症状の改善のヒントを得ることは出来なかったけど。俺の認識を更新することは出来た。
俺が思っていた程、アンドロイドと人間はイコールではないこと。それでも、俺自身の認識は変わらないけど。
そして、九喜先生は、信用出来る人間だということ。でなければ、ここまで感情剥き出しで患者と話をしたりしないだろう。
とはいえ、そればかりじゃ患者としては不安ではあるんだけど、そこはテレサさんが抑えてくれているんだろう。
「ああ、そうだった。響君には必要ないだろうけど、僕のところに来た患者さんには必ずする話があるんだった。一応、聞いていくかい?」
「はい、是非、お願いします」
「解った。それじゃあ、まず、響君に質問しよう。『アンドロイドのリセットスイッチは、何故、背中についているのだろうか?』」
おっと、全く想定していなかった質問だ。でも、その用途を考えれば、ある程度の推測は出来る。
「まず、自分でスイッチを押せないようにするため。つまり、『誰かが押さなければいけないようにするため』でしょうか?」
「う~ん、半分正解ってところかな。正規のアンドロイドなら、自分で押しても登録された指紋以外には反応しないからね。とはいえ、理論立てとしては概ね合ってるよ」
これくらいは当たり前の話。それだけに、九喜先生がこの質問をした意味はそこにはないのだろう。
「でもね、仕組みとしてはそれが正解でも、僕の考えではそうじゃないと思ってるんだ。僕の認識では『リセットの際に、アンドロイドの顔が見えないようにするため』だ」
確かに、背中をこちらに向けるなら、必然的に顔は見えない。そこにどんな意味があるのだろうか?
「僕とテレサちゃんの診察、それ以降の問診でも問題が解決せず、リセットもやむ無しと患者さんが選択したなら、言い方の違いはあるけど、僕は最後にこんなことを言うのさ」
九喜先生は、今日一番の真剣な眼差しで俺の目に射抜きながら俺に言った。
「『貴方達が選択したその行為、アンドロイドは拒まず受け入れるでしょう。ですが、その指で全てを無にするときの、彼らの顔を想像してください。その顔が笑顔でないのなら、その指を引きなさい。さもなくば、貴方達はその顔を忘れられず、一生後悔するでしょう』ってね」
それを聞いて、俺はゾッとした。アミィが背中を差し出したとき、俺はアミィがどんな顔をしていたか想像したか?
「まあ、顔を見ないことで罪悪感を緩和する目的があるんだろうけど、僕はそんなこと許さない。命あるものを指一本で無にしようとするんだ、それくらいの脅し文句を言ってもいいだろう?」
九喜先生が見せた、誰に対するでもない怒りに、俺は少し気圧されてしまった。それと同時に、俺の頭に一つの疑問が浮かぶ。
「あの、九喜先生のところに相談に来た患者さんで、その選択をした方はこれまでに居たんですか?」
「おっ、いい質問! 実際、患者さんにこの話をすると九分九厘その場では思い留まってくれて、また改めてなんとか解決方がないか模索して、ここに相談しに来てくれる。それでも、やむを得ない場合っていうのは往々にしてあるんだけどさ。っていうか……」
九喜先生の、手元のカルテになにか書き込みながらの一言に、当人でない俺ですら悪いことをしたかのような罪悪感を持ってしまいそうになった。
「僕の経験上、そんな選択を平気でするような
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