第12話 柿太郎侍?

 ロビーで待つことおよそ十分、待てども待てども再び看護師さんから声が掛かることはなかった。他の患者さんが居るわけでもなさそうだし、これはちょっと不自然だぞ。


 アミィはというと、さっき俺が強めに叱ったからなのか、それとも、まださっきの看護師さんのやや高圧的な態度が気に入らないのか、足をパタパタとさせて落ち着かない様子だ。


「こっちから診察をお願いしておいてなんだけど、このクリニック、ちょっと怪しいんじゃないかな……」


 思わず俺が独り言をこぼすと、それを見計らったかのようなタイミングで、ロビーの様子が急変する。

 まず、ロビー、廊下、受付、その他諸々の照明が消え、周囲にある灯りが、ほんのり青く光るアミィの髪の毛だけになった。


「きゃっ!!」


「えっ!? なんだ? 停電か!?」


 突然のことだったからか、隣で膨れ顔で足をブラブラさせていたアミィも、我に帰ったかのように短い悲鳴を上げながら俺の腕に抱きつく。

 見えもしないのに俺がキョロキョロと辺りを見回しているうちに、更にロビーの様子がおかしくなっていく。


「ご主人様っ!! あああ足元っ!! 私の足元を見てくださいっ!!」


 アミィに促されて、アミィの足元を見ると、そこには白い煙のようなものが、モヤモヤと漂っていた。


「うわああっ!!」


 いきなりの停電に次いで、俺とアミィの足元を包む白い煙。この状況から考えられる事象といったら、あれしかない!


「火事っ!! 火事ですよ、ご主人様っ!! 早く逃げましょうっ!!」


「おおお落ち着いてアミィっ!! それより、看護師さんと院長さんにこのことを知らせないと!!」


「そ、そうでしたっ!! それでは、ご主人様は消防車を!! 奥のお二人には私が知らせてきますっ!!」


「いやっ!! それじゃあアミィが危ない!! 二人には俺が知らせるから、アミィは消防車をっ!!」


「駄目ですよっ!! 私だってご主人様を危険に晒す訳にはいきませんっ!! 大丈夫です、私なら少しの火くらいヘッチャラですし、煙を吸っても平気ですからっ!」


 そう言いながら、アミィは俺に強引に繕ったであろう笑顔を向ける。アミィだって、暗闇で見通しが悪いなか、火の中に飛び込むのは怖いだろうに。

 とはいえ、俺が無闇に火元に突っ込んだら、中毒で倒れることだって十分あり得る。ここはアンドロイドのアミィの言う通りにしたほうがよさそうだ!


「解ったっ!! それじゃあ、アミィは消火器持って奥の二人のところへ!!」


「はいっ! こちらは私に任せて、ご主人様は早く消防に連絡をっ!!」


 急転直下の展開に、俺もアミィもとにかく必死だ。アミィは長椅子から跳ね、俺はポケットから慌ててスマホを取り出した。

 そして、俺は消防に緊急連絡するために電話番号を入力する。ああ、警察、救急、それと消防、どれがどれだっけ。


 焦って俺がまごついていると、なにやら廊下の奥から音がしてきた。それも、火事や停電とはなんの関係もなそうな、奇妙な音が。


 まず、太鼓を叩くような音が数回。その音は、回を追う毎に間隔を狭めていく。更に、甲高い笛の音と共に、なんだか三味線の音色のようなものも聞こえてきた。


 それを受けてスマホに最後の数字を入力しかけた俺の手と、非常灯にぼんやりと照らされた消火器に向かって飛び出したアミィの体がピタリと停止する。

 病院とは無縁そうな、雅な音楽に聞き入る俺とアミィ。そんな異様な状況に対して、まずはアミィが口を開いた。


「……あのっ、ご主人様。私、気付いたことがあるのですが、言ってもよいでしょうか?」


「……いや、多分、俺もちょうどアミィと同じことに気付いたから、言わなくても大丈夫だよ」


 俺はスマホをポケットにしまいながら、アミィは手に持った消火器を戻し、長椅子の俺の方に戻りながら、多分、お互いにこんな風に思ったはず。


『いや、これは違うんじゃないか?』と。


 冷静に状況を確認すれば、火事ならあるはずの高熱も感じなければ、周囲には焦げ臭さもない。もっと言えば、火事ならスプリンクラーも作動しているはずだ。


「ど、どうしましょうか、ご主人様。念のため、私、奥の方を見てきましょうか?」


「いや、俺にもよく解んないんだけど、ひとまずは、このまま座ってた方がいいんじゃないかな……」


 俺もアミィも、恐らく火事ではなかったことに安堵しつつも『じゃあ、この場違いな音楽と煙はなんなんだ?』という新たに湧いた疑問に首をかしげる。


 そんななか、いきなりロビーの照明の一部が復旧したかと思ったら、廊下の奥になにやら妙な声がしてきた。


「ひとお~つ、数多の生命が栄えし、混沌の世に蔓延る苦悩を摘み取り」


 なんだか芝居がかった声の、摺り足で照明の真下へとにじり寄ってくるその人影は、白衣ならぬ、金の刺繍が施された着物を身に付けた奇妙過ぎる出立ちだ。


「ふたあ~つ、ぶっちゃけ一部の患者からは煙たがられているお節介三昧」


 ふと、アミィの方に目をやると、目の前で繰り広げられている口上を見ながら、口をポカーンと開けていた。

 もちろん、俺だってそれは同じだ。いや、そもそも、ここ、病院だよな? 俺とアミィは、なにを見せられているんだ? 

 

「みい~っつ、浮世に巣食いし醜い病魔を、我が慧眼にて退治してくれよう、柿太郎っ!!」


 そして、その白塗りの顔をこっちに向けながら、目をキッと見開きいて、俺とアミィに名乗りを上げる。


「拙者、姓は九喜! 名は柿太郎っ! 以後、お見知り置き候也っ!」


 いや、なんだこれ。俺とアミィは、目の前で中腰になって、膝に両手を乗せながら頭を下げる人物をしばらく凝視し、どちらからともなく顔を見合わせる。


 その直後、ロビーの照明がすべて復旧するのと同時に、辺りに漂っていた煙が消え失せる。そして、ロビーには誰かが手を叩く乾いた音が響き渡る。


「ハイハイ、これで気は済みましたか? センセ? まったく、毎度このような茶番に付き合わされる私の身にもなって頂きたいものです」


 その音の先には、さっきの看護師さんが無表情で手を叩きながら立っていた。足元には小型の扇風機らしきものとレトロなラジカセ、そして、煙がもうもうと立ち上がる発泡スチロールの箱、ああ、これがさっきの煙の正体か。


「いや~! いつも悪いね、テレサちゃん。それじゃあ、僕はちょっと着替えてくるから、二人を診察室に通しておいてよっ!」


「本当に悪いと思っておられるなら、このような茶番劇はもう今回限りにして頂きたく」


「そう言わないでったら~。これも患者さんの緊張をほぐすためのちょっとしたセレモニーじゃないのさ~」


「ハイハイ、それはようございましたね」


 大口を開けてヘラヘラと笑いながら弁明する男性と、それを顔色ひとつ変えずに軽くあしらう看護師さん。

 そんなやり取りを、口を挟むに挟めず黙って見ていた俺とアミィに、その男性がにやけ顔のまま話しかけてくる。


「何はともあれ、我が城へようこそ御両人! それじゃあ、僕はちょっと鬼退治の準備してくるから、また後でっ!」


 そう言いながら、俺とアミィに向けてビッと手を上げ、目の前の男性は急ぎ足で立ち去ろうとする。しかし、足元にダランと伸びた袴に足を取られて、その人物は盛大にスッ転ぶ。


「あ痛っ!! ちょっと、テレサちゃ~ん、もしかしてこの床、ワックス塗り立て!?」


「ご冗談も程々にして下さい。お待ちの二人にも私にも、これ以上無駄な時間を使わせないでくださいな、センセ」


「あっ! いや、僕が悪かったっ! 謝るから、引きずるのは勘弁してよテレサちゃあ~ん!」


「もうっ、いつもそれではないですか。とにかく、早く着替えと洗顔を済ませて来て下さいな、患者さんがお待ちです」


「グエーッ!! 絞まってるっ! 絞まってるってば!」


「そんなに騒ぐ気力があるなら大丈夫です。さあ、行きますよ、センセ」


 なにがなにやら解らないまま、看護師さんに襟元を掴まれてズルズルと廊下の奥に連れていかれる着物の男性。そして、静かになったロビーに俺とアミィ二人だけになる。

 今の話の流れ的に、あの人がこのクリニックの院長の九喜先生なんだろうけど、正直、あの人にアミィを任せていいもんなのか不安になってきた。


「……どうしよっか、アミィ。不安なら、今日の診察はキャンセルしてもいいんだよ?」


 目の前の光景に呆気に取られていたアミィが、俺からの提案を受けて、我に返りながらこう答えた。


「いえいえっ! 私なら大丈夫ですからっ! それに、折角こうして歓迎して貰ったのですし、このまま帰っちゃうのは、院長さんにも申し訳ないですよ」


「確かに、それはそう、だよなあ……」


 今の歓迎(?)はかなり手が込んでたのは間違いないし、こちらから診察をお願いしておいてのキャンセルってのは道義的に良くないよな。


 それに、今の人が本当にあのメールを送ってきたのかも改めて確認もしなきゃだし。なにせ、あのメールの文面から想像した人物像と、今この目で見た人物とのギャップがあり過ぎる。


「それに、ちょっとビックリはしましたが、さっきの院長さんは、私には全然悪い人には見えませんでしたし……」


「それも、そうだよね……」


 アミィの言う通り、奇妙なインパクトはあれど、さっきの歓迎からは悪意はまったく感じなかったのは確かだ。

 

「よしっ! それじゃあ、また看護師さんが呼びに来るまで、もうちょっと待ってようか、アミィ」


「はいっ! それにしてもあの看護師さん、ご主人様だけじゃなくて、院長さんにもちょっと冷たい態度でしたよね……」


「そう? 俺はそんなに気にならなかったけどな~。アミィ、ちょっと気にしすぎなんじゃないか?」


「そう、なのでしょうか……」


 確かに、主人の襟元を掴んで引きずるのはやり過ぎかもだけど、九喜先生が容認してたみたいだし、いいんじゃないかな、多分。

 それよりも、俺はアミィがあの『テレサ』と呼ばれていたアンドロイドに対して抱いている不信感の方が心配だ。


 アミィのような性格のアンドロイドばかりじゃないことは、アミィ自身も解っている筈だけど、さっきのアミィの様子だと、少々不安ではある。

 これから始まるアミィの診察では、アミィが過剰に九喜先生とテレサさんの不快感を煽るような言動をしないように、ちゃんと俺がアミィを見ててあげないと。

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