第11話 アミィ、怒る

 クリニックにアポイントを取り、ようやく迎えた日曜日。俺とアミィは一時間ほど電車に揺られて、クリニックがある四竃山しかまやま市へとやって来た。


 それにしても、クリニックの所在地が思いの外近場だったのは幸運だった。四竃山市といったら、俺達が住んでいる高天原市のベッドタウン、取引先の所在地としても馴染み深い。


 決して田舎ではないけど、高層ビルが雨後の筍のように軒を連ねる高天原市と比べれば、幾ばくかの解放感はあるってもんだ。

 とはいえ、こうして四竃山市にやって来た理由を考えるとそうも言っていられない。なんせ、今日はアミィのこれからを左右するかもしれない日なのだから。


 もちろん、アミィだってそのことは解っている。その証拠に、こうしてクリニックに向かって歩いている間、アミィは一度も口を開かず、ただ、俺の後ろに付いて来ている。


 電車の中では、初めて見る車窓からの風景にあんなにはしゃいでいたのに。いや、もしかしたら、それすらも、俺に不安を感じさせないためのアミィの精一杯の空元気だったのかもしれない。


 そんなアミィに、何か声をかけようとも思ったけど、実際、俺にもそんな余裕はないんだ。こんな気持ちで口を開けば、却ってアミィを不安にさせてしまうようなことを言ってしまいそうだったから、俺も黙って、クリニックへと歩を進める。


 駅前の建物郡の隙間を抜け辿り着いた、やや閑静な住宅街の外れに、目的地の九鬼クリニックはあった。

 車二台分のスペースの駐車場に、平屋一階建てのごく普通の、いかにも『町のお医者さん』といった佇まいだ。


「それじゃあ、入ろっか、アミィ」


 俺がアミィにそう言うと、アミィは喉元で両手をギュッと握りしめ、そのまま数秒停止し、小さく、コクリと頷いた。


「はいっ、もう大丈夫です。それでは、入りましょうか、ご主人様」


 そんなアミィの様子に、俺は思わずアミィに手を差し伸べた。ようやく口を開いたアミィ。顔は無理して笑顔を作ってるけど、その声からはアミィの不安がありありと伝わってきた。


「大丈夫だって、アミィ。今日まで二人であんなに準備したんだから。神様だって、俺達のことを見てくれてるさ」


「そう、ですよね。大丈夫、大丈夫……」


 アミィが握り返したその手からは、脈動は無いにしても、震えとやや高めの体温が伝わってくる。そして、この手汗は俺のなのか、アミィのなのか。


 自動ドアをくぐり、病院の中に入ると、そこには誰もいなかった。俺の目に入ってきたのは、長椅子と観葉植物、それに小さな本棚。周囲からは人の気配は全くしない。


「誰も、いらっしゃいませんね……。もしかして、今日はお休みなのでしょうか?」


「いや、それならドアにはロックがかかっている筈だし、灯りもついてないはずだし……」


 それに、俺がアポイントの日付を間違えるなんてあり得ない。俺が待ち望んだ運命の日、日程なんてバカみたいに、何度も、何度も確認した。

 

 呆然と俺とアミィがロビーで立ち尽くしていると、不意に、ロビーから奥まった廊下から、前触れもなく、スルリと、人影が現れた。


「ああ、申し訳ございません。少々席を外しておりました。なにぶん、久しぶりの患者様でしたので。貴方様は、本日ご予約の、響様でお間違いございませんか?」


 その人物は、まるで自動音声のような僅かな抑揚の声で、淡々とした口調で俺に話しかけてきた。気配も無く現れた人物とその声に驚いた俺は、声すら出なかった。


 袖とスカートが短い白衣に、アップで纏めた銀色の髪、そして、顔の左半分が眼帯で覆い隠された端正な顔。

 顔のパーツは整っているけど、表情が眼帯に隠されて読みにくくて、何処か近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


「……繰り返させて頂きますが、貴方様は、本日ご予約の、響様でお間違いございませんか? 返答をお願い致します」


 再度、その看護師さんは表情をピクリとも変えず俺に確認する。硬直する俺の体と声帯。そんな俺の代わりに、後ろにいたアミィが、前に出てハッキリと返答した。


「はいっ! こちらは、本日、来院の予約をした響ですっ! ご主人様に代わり、メイドのアミィがお答えしますっ!」


 そんなアミィの声色から普段聞き慣れない刺々しさを感じつつも、俺は看護師さんに向けて首を数回縦に振る。

 その看護師さんはアミィを右目でジロリと一瞥し、再び視線を俺のほうに戻す。そして、看護師さんが手に持っていたボードとボールペンを俺に渡しながら言った。


「そうですか。それでは、こちらの問診票にそちらのアンドロイドの症状について、可能な限り詳細に記載くださいませ。後程回収に参ります」


 その看護師さんは、俺に問診票を渡すと、再び廊下の方に戻っていった。俺とアミィは、そのまま長椅子に座り、問診票を書き始める。

 事前にアミィの症状について話してはいたけど、あれから気づいた点もあったし、それもしっかり書かないと。


 それと、アミィにはいくつか聞きたいことがあるから、問診票を書きながらでも聞いてみるか。なんだか、アミィの様子もおかしいし。


「アミィ、ちょっといいかい?」


「はい、なんでしょうか? ご主人様」


 ああ、やっぱりアミィ、ちょっと怒ってるな、なんだかいつもより声から圧を感じるし。とりあえず、まずはさっきのお礼からだ。


「アミィ、さっきは俺の代わりに看護師さんの質問に答えてくれてありがとうね。いや~、あの看護師さん、いきなりヌッと出てきたもんだからさ、アハハ……」


「いえっ! 可能な限り、ご主人様の代わりを務めるのもメイドのお仕事ですから。それに、本当はもっと早く動かなきゃいけなかったのです、申し訳ございません、ご主人様」


「いやいや、そんなことないって。それよりも、アミィ、ちょっと言いにくいんだけどさ……」


 アミィには助けてもらっておいてだけど、このことは主人としてしっかり言っておかないと、アミィ自身にも良くない。


「アミィのさっきの看護師さんに対する態度なんだけど、あれはちょっと良くないんじゃないかな? あっちだって、仕事なんだしさ……」


 そんな俺からの叱責に、アミィは顔を伏せ、膝元で両手をギュッと握りしめ、頬を軽く膨らませながら反論する。


「でも、あんな高圧的に言わなくってもいいじゃないですか。ご主人様がビックリしてるのは見れば解るハズなのに。なんだかご主人様が悪いことしたみたいに思われてるみたいで、私、くやしくって……」


 もちろん、アミィの言いたいことも解る。看護師さんのややキツめの見た目も相まって、さっきの対応が高圧的に見えてもしょうがない。

 でも、看護師さんとしてはただ与えられた仕事を全うしているだけなんだ。、それも尚更だ。


「アミィの気持ちは嬉しいけどさ、あの看護師さんだって悪気はないんだって。あくまであの看護師さんの性格がああだって話さ」


「でも……」


 俺の答えにアミィが納得していないのは、今のアミィのブスッとした膨れ顔を見れば解る。それでも、そう割りきるしかないんだよ。

 いや、むしろ、あの看護師さんの対応の方が、俺がこれまで見てきたアンドロイドとしては普通に見えるんだよな。


 アミィのように、喜怒哀楽がハッキリしているアンドロイドの方が珍しい。もちろん、愛玩用と業務用の違いはあるんだろうけど。


「とにかく、今後は初対面の相手にあんな態度は取らないこと。いいね? アミィ」


「はいっ、解りました。あのような言い方をして申し訳ありませんでした、ご主人様」


「解ってくれたなら、もうこの話はおしまいっ! さ、続き続きっと……」


 俺の忠告に対して、アミィはややふて腐れながら答えた。これもあんまり良くないんだけど、俺への親愛の気持ちから来た行動だったのだから、今日のところは良しとしよう。


 話しながらで少しモタついたけど、なんとか問診票も書き上がった。後は看護師さんが取りに来るのを待つだけだ。

 

「失礼致します。問診票は書けましたか? 書けたのでしたら、こちらに頂けますか?」


 そして、書き上がった直後のタイミングで、再び無音で看護師さんがやってくる。二度目だったからか、今度は動揺せずスムーズに対応出来た。


「はい、書けました。こちら、お願いします」


「それでは、お預かり致します」


 俺が問診票を渡すと、それを受け取った看護師さんは眼球を左右に動かしながら記載事項に目を落とす。


「見たところ、事前にこちらが把握していた症状より、大分追記があるようですので、少々お時間を頂き……」


 問診票を読み、再び顔を上げた看護師さんの目が、俺の隣で座っているアミィに向けられる。その目は、今までよりもやや見開かれていた。


「私に、何か?」


 何事かと思い、俺もアミィの方に目をやると、そこには恨めしそうにジッと看護師さんを睨むアミィがいた。


「アミィっ!!」


 俺は咄嗟に、名前を強く呼びながらアミィの頭を抱え込む。駄目だってアミィ、気持ちは十分に解ったから、ここは抑えてくれっ!


「すみませんっ! 何でもないんです、いや~、看護師さん、お綺麗ですから、ついアミィも見とれてしまって、ハハハ……」


「はあ、そう、なのですか?」


 よし、看護師さんの視線と興味がうまく俺に移ったぞ。アミィもさすがに今の態度はマズイと思ったのか、俺の腕を振り払うことはなかった。


「それでは、センセに問診票を渡して参りますので、こちらでもうしばらくお待ちください」


 そう言って、看護師さんは廊下の奥へと歩いていった。ひとまず、不要な衝突は避けられて本当によかった。俺はアミィを抱えていた腕を解いて、軽く溜め息をつく。


「……さっき言われたばかりなのに、私、今日はちょっと変ですね。本当に、申し訳ありませんでした」


 俺が再び叱責する前に、アミィが頭を下げて謝罪する。それにしても、ここまでアミィが怒るとは、俺としては嬉しいやらヒヤヒヤするやらだ。


「まあ、怒ること自体は悪いことじゃないだけどさ、あんな風に吐き出すのはやっぱり良くないよ、アミィ」


「はい、今後はご主人様に頼らず、自分で抑えられるように気を付けます……」


 もちろん不満やストレスを発散することは必要だけど、それにもやり方ってもんがある。その為にも、俺がアミィの話をちゃんと聞いて、アミィの拠り所になれるようにしないとな。

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