第8話 リセット

 『リセット』。その単語を、アミィはついに口にしてしまった。いや、実のところ、アミィの口調から堅苦しさが消え失せていく過程で、俺には薄々アミィが何を考えているのか解っていたんだ。


 その単語については、アミィの取扱説明書の最後のページに赤字で記載されていて、そのときは『そんなことあるわけない』と思いながらも、怖いもの見たさで読んだんだったな。


 確か、アンドロイドに予期しない不具合があった場合の暫定的な対処法として、一旦アンドロイドを製造初期の状態に戻すことで、不具合の改善を図るという内容だったはず。


 要するに、パソコンやスマホの様な電子機器にトラブルが起きたときに、一旦フォーマットするようなものだ。

 もちろん、アンドロイドのリセットに際しても、パソコンのフォーマットと同じように、それまでに蓄積された記録は、当然のこととして。


 すべて、消去される。


 つまり、アミィが俺と出会ってから今日までの記録が、アミィの中から消えてしまうということだ。そして、その選択肢を、アミィ自ら俺に提案した。

 当然、そんな提案、俺には到底受け入れられないけど、アミィにはアミィなりの考えがあるはず、まずはちゃんとアミィの話を聞こう。


「アミィ、一応確認するけどさ、アミィは、『リセット』の意味を解ってて言ってるんだよね?」


 俺がアミィにそう問いかけると、アミィは笑顔を崩すことなく、俺の質問に不自然なほどハキハキと答える。


「もちろんですよ、ご主人様。一度、私の頭の中をスッキリさせて、今度はちゃ~んとご主人様のお役にたてるようになるのです。ただ、それだけですよ」


 アミィは、さも当たり前のようにそう言いきった。そんなアミィの態度に、俺の胸に一瞬の虚無感と、言い様のない苛立ちがこみあげる。


「待ってよ、アミィ。つまり、アミィは今日までのことを忘れてしまってもいいってことなのかっ!? なあ、アミィっ!」


 俺は再びアミィの両肩を強く掴みながら、アミィに対して初めて怒りをぶつけた。それでも、アミィの笑顔は崩れなかった。


「大丈夫ですよ、ご主人様。一旦はお別れかもしれませんが、リセットしても私は私ですし。あ、でも、そのときは、もう一回研修を受け直さないといけませんねぇ」


 このアミィの諦観したかのような物言いに、俺の方がおかしいことを言っているんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。

 いや、もしかして、本当に俺がおかしいのか? ここまで一台のアンドロイドに入れ込んでいる、俺がおかしいのか?


「研修を受け直してみて大丈夫だったら、今度こそ、バッチリご主人様のお役にたってみせますよっ! ですから、今日まではお互いお試し期間だったと思いましょう?」


 そう言いながら、アミィは力が抜けてしまった俺の手をスッと持ち上げ、俺の方に背中を向けて、メイド服をモゾモゾとはだけ始めた。

 程なくして、アミィの白い背中が俺の目の前にさらされる。その背中の中心には、うっすらと白い五枚の花びらのマークが印刷されている。


「出来ることなら自分で押したいのですが、そうもいきませんし。さあ、お願いします、ご主人様」


 このマークの下に、アミィのリセットボタンがある。位置的にアミィの手が届かないこともあるけど、そのボタンは事前に登録した俺の指紋以外には反応しない。

 だから、どちらにせよ、アミィのリセットボタンは俺にしか押せないんだ。つまり、アミィをリセットするかは俺の腹一つってことだ。


 つまり、人工知能とはいえ、一台のアンドロイドの記録を、人間の指一本で消せるんだ、冷静に考えたらこんな恐ろしいことはない。

 俺がそんなことを考えながら固まっていると、アミィが背中をこちらに向けたまま、俺に語りかけてきた。


「申し訳ありません、ご主人様。こんなイヤな役割を押し付けてしまって。でも、リセットするなら、出来るだけ早いほうがいいですから」


 俺はアミィに言われるまま、頭のなかに霞がかかったような状態で背中の小さなハッチを開く。すると、俺の目の前に青白く発光するボタンが現れた。その光は、まるでアミィの心臓の鼓動であるかのように、ゆっくりと明滅している。


 そして、俺は朦朧とした意識のまま自分の指をフラフラとそのボタンへと持っていく。その途中、アミィが俺にこう言った。


「あ、そうでした、そうでした。一度リセットすると、私は自分の名前も忘れてしまいますので。そのときは、お互いまた自己紹介からですね、ご主人様」


 アミィは事実を口にしただけ、それだけのはず。でも、その言葉を聞いて、俺の頭にかかっていた霞が吹き飛んだ。

 馬鹿か俺は、アミィは『リセットしても私は私』なんて言ったけど、そんな訳あるかよ。今ここにいるアミィ以外のアミィなんているもんか!


 このボタンを押すことは、アミィを殺すのと同じことだ。そして、もし押したなら、俺はアミィと同じ姿、同じ声、同じ笑顔のメイドさんから、もう一度、『はじめまして』を聞くことになるんだぞ!


 そんなことになったら、多分、今度は俺の方がおかしくなってしまう。アミィのリセットの先に待っているのは、決して今日までと同じ様な楽しかった日々じゃない。

 アミィと全く同じ仕草の、アミィじゃないメイドアンドロイドと共に暮らしながら、もう二度と戻ってくることはないアミィに許しを乞い続ける生き地獄だ。


 その事実に気づいた俺には、もうこのボタンを押すことなんて出来ない! 俺は一刻も早く、目の前で明滅するボタンを視界から消すために少し乱暴にハッチを閉じる。


「どう、されたのですか? ご主人様」


 俺の行動を受けて、アミィの声色がわずかに曇る。もう俺の目はハッキリ覚めた、俺はさっきまでなにを見ていたんだ?

 こうしてすべてを受け入れたように振る舞うアミィか? 違うだろ! これから起こるであろうことに震えるアミィだっただろうが!!


 それを再認識した俺は、アミィの背中に覆い被さるように、アミィの体を抱き締める。手にはアミィの肌の滑らかさと体温が伝わってくる。

 そして、俺はアミィに怒りとも懇願ともとれるような、今、自分の中に溢れて溢れて止まらない感情をぶちまける。


「もういいからっ!! もう無理してガマンしなくていいからっ!! アミィの本当の、本当の気持ちを俺に聞かせてよっ!!」


 そんな俺の必死の訴えに、アミィが被っていた笑顔の仮面がようやく剥がれ落ちる。いや、顔は見えてはいないんだけど、それと容易に解るほどアミィの声が跳ね上がっている。


「なんでっ、なんで押してくれないのですかっ!? 私はご主人様にウソばかりついてきたのにっ! 押してくれたら、もうウソをつかなくてもよくなるかもしれないのにっ!」


「いいよっ!! いっっっくらでも嘘ついてくれてっ!! でも、嘘をつくなら俺にだけにしてくれよっ!!」


「!! ご、ご主じっ!?」


 俺はそう言いながら、アミィの二の句を遮るように、強引にアミィの身体を俺の方に向かせる。アミィの上半身が剥き出しだけど、それどころじゃない!

 俺はそのままアミィを正面から力一杯抱き締めた。そして、俺は涙目になりながら、アミィに向かって言葉を絞り出す。


「アミィが俺に嘘をつくのが辛いのはよ~く解ったよ。でも、多分、それと同じくらい、俺だって、アミィが無理して自分に嘘ついてるのを見るのが辛いんだよ」


 もちろん、アミィにこんな自分を見せるのは初めてのことだ、アミィも俺の態度の変わりように動揺しているだろう。

 でも、今の俺にそんなことを考えている余裕はない。ただ、アミィに伝えたいことを伝える、それだけだ。


「それに、まだアミィと出会ってそんなに経ってないけど、俺、今日までアミィと一緒に過ごしてきて、少しずつだけどアミィのこと解ってきたし、アミィからたくさんの宝物をもらったんだよおっ」


 そう、誇張抜きで、俺はアミィから様々な宝物をもらった。癒し、元気、気付き、反省、後悔、そして、目標。だからこそ、俺はアミィにこれだけは解ってほしい。


「もしアミィが消えちゃったら、その宝物も全部捨てなきゃならないんだよお。俺、今日までアミィから貰ってきたたくさんの宝物を捨てたくないんだよお。だからさあ、アミィ、お願いだから、考え直してくれよお……っ!」


 俺は、本当に、本当に久しぶりに心から泣いた。こんな気持ちになったのはあの時以来だ。

 もう俺に出来ることはない、あとはアミィの気持ち次第だ。俺はアミィの心変わりを願うように、必死でアミィにしがみつく。


 しばらくそのまま寝室の時が止まる。長い長い数秒が経ち、やがて、その時はアミィの一言によって動き出す。


「本当に、よいのですかっ? そんなこと言われたら、私、たくさんワガママ言っちゃうかもしれませんよ?」


「うん、いいよ、それでも。アミィが無理してガマンするよりそっちのほうがずっといい」


「このまま、ず~っと、同じ様なドジばっかり踏んじゃって、お部屋がボロボロになっちゃうかもしれませんよ?」


「そうなったときは、俺が大屋さんに謝るよ。アミィのミスは俺のミス、それが主人の仕事だからさ」


「こんな、どうしようもないポンコツな私でも、本当に、本当に、ご主人様の、お側に、居ても、よいの、ですかっ?」


「うん、これからもず~っと、俺のところに居てくれよ。な、アミィ」


「……はいっ! こんな私でもよろしければ、いつまでも、ご主人様のお側にいますっ……!」


 こうして、アミィは自分を『リセット』することを思い留まってくれた。一時はどうなるかと思ったけど、もし、アミィに言われるままにボタンを押していたらと思うと怖気がする。


 それから俺とアミィは何度か言葉を交わし、お互いに気持ちが落ち着いたところで、がっしり抱き合っていた手をほどいて、身体を離す。

 そうすると、頭の中がニュートラルに戻った俺の網膜に、さっき棚上げした魅力的な光景が飛び込んでくる。


「ちょっ! ア、アミィっ! あの、その、ゴメン、前っ! 前っ!」


 俺はアミィから急いで目を逸らして、何度もアミィに向けて指を突き出す。よくも悪くも、さっきまでの重苦しい空気がアミィの可愛らしい膨らみのお陰で跡形もなく消し飛んだな。


「あの、そんなに慌ててどうされたのですか? ご主人さ……ま゛ああああっ!?」


 俺に自分の痴態を指摘されたアミィは、今まで聞いたことのない叫び声を上げ、サッと俺に背中を向けながら、ワチャワチャとメイド服を着直した。


「あの、も、申し訳ありませんでしたっ! このような粗末なものをご主人様にお見せしてっ!」


「いや、こっちこそ悪かったよ。そもそも、俺が無理矢理アミィにこっちを向かせたんだし……」


 いや、アミィのそれは粗末なんじゃない、慎ましいんだ。というか、アミィのサイズは俺の好みでそうなったんだ。

 もしアミィがサイズを気にしているのなら、ちょっとアミィには申し訳なかったかもしれないな。

 

 俺はそんなことを考えながら、改めて床に散らばったガラスを片付けるために、その場で立ち上がろう足に力を込める。

 すると、アミィが俺に背中を向けたままチラリと俺の方に振り向き、少し熱っぽい視線を送りながらとんでもないことを口走った。

 

「あの、ご、ご主人様? その、これまでのお詫びといってはなんなのですが、もしこのような粗末なものでもご覧になりたいのでしたら、いつでも仰ってくれてもよいのですよ?」


「ブフッ!」


 アミィからの予期せぬ奇襲に、俺は思わず吹き出してしまった。身体を少しずつこっちに向けながら、俺の目をチラチラと見ているアミィの表情からは、溢れんばかりの羞恥心が見て取れる。


「な、なに言ってるのさ、アミィ! いくら俺が悪かったからって、そんなこと言ってからかわなくてもいいじゃないか!」


 アミィのらしくない大胆な発言に慌てる俺を見たアミィは、数秒だけ目を見開いたあと、口を押さえながら小さく吹き出した。


「……ぷっ! うふふふっ♪」


 そして、アミィはさっきまでの恥ずかしそうな表情から一転、無邪気な笑顔を浮かべながらクスクスと笑い始めた。


「いや~、ちょっと笑い過ぎだって、アミィ。それよりも、時間も遅いし早く片付けないと! さあっ! アミィもいつまでも笑ってないで、手伝ってっ!」


「はあ~いっ! それにしても、今日は色々ありましたが、ご主人様の色んなお顔が見られたので、私、なんだか得した気分です……なんちゃって」


「……俺も、アミィが俺に本心と悩みを打ち明けてくれて嬉しかったよ。本当に、お互いこれからだよね」


「そう、ですね……」


 いや、本当はこのままずっとアミィの笑顔を見ていたいんだけど、そうもいかないよな。だって、まだアミィはそれなりに無理してるだろうから。

 それはそうだ、ついさっきまで、アミィは自分の記録をリセットしようと考えるところまで追い詰められていたんだから。


 それが急にポジティブ思考に切り替わることなんてあるもんか。アミィは無理にでもこうして振る舞うことで、俺に『私はもう大丈夫だ』ということをアピールしたいんだろうけどさ。

 

 俺だってそうさ、アミィがこうして思い留まってくれて安心したとはいえ、目先の問題はまだ未解決なんだ。アミィも俺も、今は空元気でなんとか先の見えない不安を乗り切ろうとしているんだ。


 とはいえ、アミィにそんな気を回す余裕があるなら、アミィのメンタルはしばらくは大丈夫そうだ。とはいえ、当然、このままなにもしないって訳にもいかない。

 アミィの意識障害疑惑についてはなんの解決もしていないんだ。リセットはやり過ぎにせよ、何かしら対策しないといずれ今日みたいにアミィが思い詰めてしまうことになるのは目に見えている。


 とにかく、まずはアミィと似た事例がないかを調べてみよう。アンドロイドの意識障害なんてあるものなのか、それすら俺には解らないけど。

 でも、大丈夫、この世の大半のことは本気で挑めばなんとかなるもんだ、大丈夫、大丈夫、大丈夫だからな、アミィ。

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