第7話 私が私で在るために
「ひ、ひゃうっ!」
俺からの質問を受けて、正座していたアミィの体が裏返った声と共にわずかにピョンと跳ねる。そんなアミィの顔からは、聞こえないはずの『ギクッ!』という擬音が聞こえてきそうだ。
このあからさまな反応を見るに、やっぱりアミィは俺になにか隠し事をしていたんだ。そう思った根拠は乏しいけど、ひとまず一歩前進かな?
とはいえ、そんな反応は俺から質問された直後だけで、次第にアミィはまだ片付けが済んでいない花瓶の欠片をチラチラと見ながら、俺の質問にたどたどしく答え始めた。
『なんでも答える』と言った手前、アミィは答えざるを得ないんだろうけど、やっぱりアミィの気は進まなそうだ。さて、今日までアミィはなにを隠してきたのだろうか。
「その、このようなこと言ってはダメなのは重々承知しているのですが、ご主人様のところに来る前は、このようなことは一度もなかったのです」
「そうなんだ、俺のところに来る前までは……って、ちょっと待った、アミィ。話の腰を折っちゃって悪いんだけど、『前は』っていうのはどういうことかな?」
アミィは俺の趣味を余すところ無く反映させたオーダーメイドアンドロイドで、アミィが主人に遣えるのは初めてのはず。
一応、世の中にはレンタルでアンドロイドを派遣するサービスもあるけど、アミィには当てはまらない。
「そうですよね、ご主人様の疑問はごもっともです。それでは、まずはそのことについて説明させていただきますね」
アミィの話によると、アミィに限らず、メイドとしての役割を与えられたアンドロイドは、実際にオーナーに引き渡される前に、最短一週間、長くとも一ヶ月程度の『研修』を受講するのだという。
その研修では、一般的な業務における作法に加え、既に一般家庭でメイドとして働いているアンドロイドを民間から講師として募り、その経験談を通じてメイドとしての生きた心構えを学ぶのだという。
俺のイメージでは、アンドロイドとして作られた時点で十全にすべての機能を備えているもんだとばかり思っていたから、この話は俺にとっては新鮮だった。
もちろん、研修の目的にはアンドロイドの動作チェックや妙な挙動をしないかの確認の意味合いもあるんだろうけど、アンドロイドが講師をするってのもまた意外だった。
『アンドロイドは第二の人類』なんて表現もあるけど、ここまで来たら、体構造以外は人間とアンドロイドに違いなんてないんじゃないかと思ってしまうよな。
そして、アミィが今日までこのことを隠してきた理由もハッキリした。要するに、どんな理由があっても、アミィは絶対に言い訳をしたくなかったんだ。
実際、もし初めてアミィがミスをしたときに、『今まではこんなことはなかったんですけど』なんて言われたら、俺がアミィを見る目は変わっていただろう。
当然、生真面目なアミィとしてはそんなこと口が裂けても言えるはずもなく。かと言って、アミィの中には『なぜ前のように上手く出来ないのか』という焦燥感は確実に蓄積されていたわけで。
少し前まで出来ていたことが急に出来なくなったら、誰だって焦るに決まってる。そして、ミスを取り返そうとして更にドツボに嵌まっていくことは容易に想像出来る。
つまり、アミィは二重ならぬ三重の苦しみを抱えながら今日まで過ごしてきたわけだ。ノーヒントでそれに気付くことは無理だったにしても、やっぱり俺としては少しだけ責任を感じてしまう。
「つまり、その研修中にはアミィはこれまでみたいなミスはしたことなかったってことなんだね?」
「はい、その通りです。研修期間も二週間くらいで済みましたし、少なくとも、仮想ではありますが、ご主人様の所有物を破損させたり汚したりすることは一切ありませんでした」
「まあ、そう、だよ、ね……」
それはそうだ、そうじゃなかったらアミィがこうしてここにいるはずないんだし。そうだ、いい機会だからついでにあの話も今のうちにしておこうか。
「え~っと、その、もちろん、その研修では、料理の腕前なんかも見られるんだよね?」
「はい、お料理についてもミッチリお勉強しましたし、そのときにはお鍋を焦がしたり包丁で指を切ったりすることはありませんでした……」
アミィが言うように、アミィの料理の腕前もなんだか危なっかしいところはあるのは事実なんだけど、俺が気になっているのはまた別の話なんだよな。
「えっと、アミィさ、それ以外で他になにか料理をしてて気になることはあったりしないかな?」
「他にですか? う~ん、他に、他に……」
「あ、いや、無理して挙げなくてもいいんだ。無ければいいんだよ、無ければ……」
「そう、ですか?」
そっか。つまり、あの独特な料理の味付けについては、アミィ的にまったく問題ないわけだ。だったら不用意にそこに突っ込むとアミィが落ち込むかもしれないから今はスルーしよう。
「それにしても、アミィもそうやって勉強してから俺のところに来たってことなんだね、いや~、知らなかったよ」
アミィからの懇切丁寧の説明を聞いて、俺は感心しながら何の気なしにそう答えると、アミィは少し声のトーンを落として言った。
「いえ、私がこんなじゃなかったら、わざわざ説明する必要はないことなので。本当に、なんと申してよいやら……」
「いやっ! そんなつもりで言ったんじゃないんだよ、だからそんな顔しないでったら、アミィ」
マズイな、このまま余談を続けてたら、不用意な一言でアミィが落ち込んでしまいそうだ。閑話休題、話を戻そう。
「それじゃあ、研修のときのことは一旦置いといて、次はアミィがドジを踏んじゃう理由について具体的に考えてみよっか!」
「そうでしたそうでしたっ! ダメダメ、私、しっかりしないとっ!」
よしよし、アミィの顔に活気が戻ってきたぞ。まずは、アミィがミスをする前と後について状況を詰めていこう。
「う~ん、それじゃあ、俺がアミィを見てきたり、アミィから聞いた限りで思ったことなんだけどさ。アミィのドジって、なんだか『一瞬気が抜けた』ときにばかり起きてる気がするんだよね」
アミィのミスはいわゆる『ケアレスミス』ばかりで、根本的に手順が間違ってたりするような類いのミスじゃないんだよな。
俺はまだ生まれてから二十年ちょいだけど、これまで培った経験上、そんなミスが起こる原因の大半は、『他に何か考え事をしているとき』だったりするんだよな。
「それでさ、アミィは仕事中になにか他の考え事をしてることってあったりしないかな?」
そんな俺からの質問に、アミィは正直に答えてくれた。でも、そのアミィの答えは俺の意図とはまったく違っていた。
「他のこと、ですか……。そうですね、その、お仕事以外のことですと、その、ず~っとご主人様のことばかり考えています、かね」
「あ~、いや、俺が聞きたいのはそういうことじゃないんだけどな~……」
「……あっ! そ、そうですよねっ! あ~、なに言ってるんだろ、私。変なこと言っちゃって申し訳ありませんでしたっ!」
「いや、大丈夫大丈夫、気にしないでいいから……」
そりゃあ、アミィはまだ俺のところに来てから間もないし、俺以外の人間やアンドロイドと接してないし、それはそうなんだけどさ。
それでも、こうして言葉にしてそう言ってもらえると嬉しいもんだ。心なしか、アミィが俺の質問にはにかみながら答えているようにも見えるし。
「ゴメンゴメン、俺の聞き方が悪かったよ。例えば、洗濯物を干してる最中にお鍋の様子に気が入ってたり、掃除中にお風呂のお湯を入れているのを忘れてたりとかいうこと、無いかな?」
状況的に考え、恐らくこんな話なんじゃないかと思ったんだけど、アミィから帰ってきた答えは、俺の想定から外れていた。
「いえ、それは無い……ですかね。研修の初日に座学で、『仕事の効率化より仕事の正確さを優先すべし』というお話がありまして、今の私は、ご主人様の部屋でのお仕事を正確に把握する段階であると思っておりますので」
アミィがそう答えるときの顔は、さっきまでのはにかみ顔とはうって変わって至って真面目、真剣そのものだった。
仮に、アミィの仕事振りしか知らない他人がこの言葉を聞いたら『態度だけは立派』なんて風にも見えるかもしれない。
それでも、アミィの偽り無い正直な気持ちに触れてきた俺から見れば、アミィのこの言葉は決して軽い気持ちから出たものじゃないことはよく解る。
「あ、そう、なんだ……。うん、確かに、アミィの言う通り、だよね。俺も入社したてのときに同じようなことを何度も言われたから解るよ」
確かに、理解が浅い段階で仕事を平行して進めるのは、かえってミスを呼び、効率の低下を招くという話はメイドに限った話じゃない。
でも、そうなってくると、この質問はアミィのミスを低減するに当たっての解決策には繋がらなかったわけだ。
「う~ん、困ったな~。まさか、こんな頻繁に一瞬だけ意識が飛んだりしてるしてる訳じゃあるまいし……」
俺が半ば冗談で言ったこの言葉、それを聞いたアミィは再びピタリと固まってしまった。そして、アミィは体を小刻みに震わせながら、途切れ途切れに口を開く。
「いえ、ご主人様、あの、ですね、実は、その……」
俺が話の流れで何の気無しに放った一言を聞いたアミィは、口を開いたかと思えば、俺から目を逸らし、空気を飲み込むかのように口をつぐむ。
そんなサイクルを何度か繰り返し、最後に長く口をつぐんだアミィは、急に自分の体をギュッと抱え込み、ガタガタと震え始めた。それを見た俺は、咄嗟にアミィの両肩を掴む。
「どうしたんだい、アミィ、なあ、アミィったら!!」
俺はそのまま何度もアミィに強めに呼び掛けたけど、アミィはなにも答えない。その間もアミィの震えは止まらない、いや、その震えはむしろどんどん強くなっていく。
ガチガチと歯と歯が当たる音、焦点が定まらず揺れる瞳、そしてなにより自分の震えを声を殺して必死で抑え込もうとするアミィの姿が俺の心を掻き毟る。
『どうしたんだ』とは言ったけど、正直、アミィがこんなに震えている理由を俺は察している。というか、これまでの話を整理すれば自ずと解ることだ。
まず、アミィのミスの原因は、自覚の有無はともかくとして、アミィ自身に何らかの不具合が発生していること。
いや、アミィのこの尋常ではない怖がり方は、ハッキリではないにしても自覚の様なものを感じていたんだろう。
次に、俺とアミィで原因を追及していくうちに、アミィが朧気に持っていた自覚が明確なものとなって、今、アミィの目の前に突き付けられたということ。
アミィはこの事実が意味することを理解して震えているんだ。俺は断じてアミィのことをそんな風に思ってないけど、恐らくアミィは自分のことを、こんな風に思っているんだろう。
『私は、
そして、アミィはこれからの自分に下される処遇に対して、震えている。このまま見捨てられるか、不良品として返品されるか、あるいは……。
恐怖に震えるアミィに、俺は主人として、所有者として、なにをしてあげたらいいのか。いや、そんなこと、考えるまでもないよな。
俺はアミィの両肩から手を離し、アミィを覆い被さるように抱き締めて、アミィに俺の気持ちを伝える。
「大丈夫だよ、アミィ。俺、アミィのこと絶対離さないから。ドジ踏んじゃってもいいよ、それを含めて、アミィはアミィなんだからさ」
俺の嘘偽りの無い気持ちに、当然ながらアミィは反論する。その声には、自分でもどうにもならない現状に対する怒りがこもっていた。
「いい訳ないじゃないですかっ! もうダメなんですよ、私はっ!」
そう言いながら、アミィは俺から逃れようとする。その力は凄まじく、俺の力じゃ長くは抑え込めそうにない。
それでも、俺はアミィを離さなかった。ここでアミィを離したら、そのままアミィがどこかに行ってしまうと思ったから。
俺の体力が限界に迫る頃、ようやくアミィの力が緩む。いや、俺の力が緩んだから、アミィもそうしたのかもしれない。
そして、二度目のアミィからの抵抗にややグロッキー気味な俺に抱き締められたまま、アミィは俺を抱き締め返しながら言った。
「ごめんなさい、ご主人様。私、本当はあの日から『自分はおかしいんだ』って薄々解っていました。解っていて、今日まで、ご主人様にそのことを言わずに過ごしてきました」
そう言ったアミィは、さっきまでのように泣くことはなかった。でも、そんなアミィの空元気な声色が逆に俺を不安にさせる。
「でも、それを言っちゃったら、ご主人様とお別れしないといけなくなっちゃうかもって思って。だから、私、黙ってました。でも、今日、ご主人様にこうして言われて、ようやくそのことを受け入れることが出来たのかもしれません」
つまり、偶然とはいえ、俺のあの一言が幸か不幸か、こうしてアミィの奥の奥に存在していた本音を引き出したわけだ。
俺に淀み無く語るアミィの砕けた口調の端々から、言い様の無い喪失感が俺に流れ込んでくる。まるで、アミィがもうメイドとしての業務から解放されたかのように。
「本当に、ご主人様はこんなドジな私にいっつも優しくしてくれて。だから、私、『いっそのこと、このままこうして、ご主人様と一緒に暮らすのもいいのかもな~』なんて思っちゃって。私はメイドなのに、可笑しいですよね」
いや、俺だって、初めはそれでよかったんだ。だったら、早めにアミィにハッキリそう言えばよかったのか? そんな俺の考えをまるで見透かしたかのように、アミィは語り続ける。
「それでも、私はご主人様のメイドですから。ご主人様にウソをつくことになっても、ご主人様が本当の私を望んでなくっても、どんなに私がダメなメイドでも、私がメイドとして在ることだけは、どうしても、捨てきれませんでした……」
アミィは俺がアミィに何を求めていたのか初めから解ってたんだ。それでも、アミィは自分が少しでも理想のメイドとして在るために、俺に何故自分を叱らないのかをあんなになってまで問い詰めたんだ。
これは、俺が求めていた希薄なメイドさん像よりも、アミィは自分の存在そのものを優先させていたということ。たとえ、今の自分がアミィの望む理想とは違っても、ただただ、真っ直ぐに。
「あ~あ、私、ご主人様にウソばっかりついちゃって。『なんでも話す』なんて言ったくせに。今だって、私のウソのせいでご主人様にこんなこと言わせちゃって、ホントに、ダメなメイドです」
そんなことない、アミィの嘘は優しい嘘だ。自分の胸に刃物を突き刺して、突き刺して、その傷口から溢れ出た、アミィのメイドとしての命そのものだ。
「でも、こうして全てを包み隠さず話せて、今更だけど、私もスッキリしました。だから、もう思い残すことはありません」
そして、アミィは、話に聞き入る俺の胸元からスルリと抜け出して、満面の笑顔で、俺がアミィの口から一番聞きたくなかった言葉を口にした。
「もう、『リセット』しちゃいましょう?」
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