第5話 お帰りなさいませ、ご主人様っ!

 「それにしても、今朝はアミィに悪いことしちゃったな……」


 仕事終わりでややくたびれたサラリーマンやスポーツバッグを肩に下げた学生、そんな人間を脇目に、黙々と現場仕事に勢を出すアンドロイド。今日も高天原たかまはら駅前は賑やかだ。


 人混みという程ではないにしても、ちょっと気を抜けば行き交う人間やアンドロイド達に呑まれてしまいそうになる。なにか考え事をしながら歩いていたら尚のことだ。


 俺は今朝のことを少し後悔していた。本当は友達と夕食を食べる約束なんてないのに、あんなその場しのぎを嘘をアミィについてしまったことを。


 もちろん、これから先ずっとあの調子だと困るのは事実だけど、今朝がたまたまああだっただけなのかもしれない。今思えば、本当に軽率だったと思う。


 とはいえ、アミィにああ言った手前、もう近場のファミレスで夕食は済ませてしまったし、あとはアミィの待つ部屋に帰るだけなんだよな。


 でも、このまま帰っても、俺は胸を張ってアミィに「ただいま」と言える自信がない。俺は家事を済ませて、暇をもて余しているであろうアミィに負い目を感じてしまっているようだ。


 いや、俺はあくまでアミィの主人なんだから、ここは無理矢理にでも堂々としているべきだ! かと言って、アミィに対する罪悪感があるのもまた事実な訳で。


 俺がそんな一人相撲とも言える思考を巡らせながら人混みを歩いていると、俺の目が、ふと、とある建物に向けられた。


 「そうだ! これなら……!」


 普段なら気にも止めかったであろう光景。恐らく、俺は無意識下でこの悩みの解決策を求めていたのだろう。そして、俺は足早にその建物へと駆け込んだ。


 …………


 俺は建物から出た足で、だいぶ早歩きで部屋へと帰る。これでアミィが喜んでくれるかは解らないけど、少なくとも怒ったり悲しんだりはしないはずだ。


 そして、部屋の前にたどり着いた俺は、早歩きの勢いのまま部屋の鍵を開け、ドアを勢いよく開けた。


 「ただいまっ! アミィ!」


 今朝のアミィの様子なら、玄関で俺の帰りを今か今かと待っていてもおかしくないだろう。俺はそんなアミィに一秒でも早く帰ったことを伝えたかったんだ。


 でも、そんな俺の期待とは裏腹に、玄関にはアミィの姿はなかった。いや、確かに俺が勝手に期待していただけではあるんだけど、少し肩透かしをくらった感は拭いきれない。


 その代わりに聞こえてきたのは、なにやら部屋の奥でバタバタと誰かが駆け回るような足音だった。もちろん、その足音の主はアミィ以外あり得ない。


 この様子だと、アミィは俺が帰って来たことに気づいてないんだろうな。仕方ない、今日のところはメイドさんのお出迎えはお預けだ。


 「ただいま、アミィ。どうしたんだい? そんなに慌ててさ」


 俺がリビングに入ると、なにやらアミィは手にカゴを持ってベランダでゴソゴソと作業をしているのが見えた。


 そして、ベランダからリビングへと戻って来たアミィの目と俺の目が合う。すると、アミィは一瞬だけビクッとしたかと思うと、いきなりフローリングの床に跪き、スライディング気味に勢いよく頭を下げた。


 「ああ! ご主人様っ! 申し訳ございませんっ! 申し訳ございませんっ!」


 「ちょっ! なに? どうしたのさアミィ!? とにかく、まずは落ち着いて! アミィ!」


 アミィの額がゴツンゴツンとフローリングに当たる音と、アミィからの理由が解らない謝罪に面食らった俺は、ひとまずアミィの上半身を起こして、土下座を止めさせようとした。


 「離してくださいっ! 離してくださいったら! ご主人様あっ!」


 「アミィ、落ち着いてったら! なにがあったかはゆっくり聞くから、そんなに暴れないでっ!」


 俺の制止に体全体を使って抵抗するアミィ。その見た目にそぐわない力強さに驚きながらも、俺はなんとかアミィをなだめながら抱き締めるように押さえ込む。


 しばらくそのまま抵抗は続いたけど、次第にアミィの体から力が抜けていき、やがて無抵抗になる。それを確認した俺は、ゆっくりとアミィから離れた。


 「ハァ……ハァ……。えっと、こうして暴れるのを止めてくれたってことは、もう大丈夫ってことでいいのかな?」


 俺が肩で息をしながら、念のためアミィに口頭でそう確認すると、アミィはガックリとうなだれてながら返事をした。


 「はい、もう大丈夫です。いきなり取り乱してしまい、本当に申し訳ありませんでした」

 

 よし、ひとまずはアミィも落ち着いたみたいだし、これならまともに話を聞けそうだ。俺はこの世の終わりのような顔をしているアミィに、なにがあったのかを訪ねる。


 「取り敢えず、なんであんなになってまで俺に謝ったのかを聞いてもいいかな、アミィ」


 「はい、その、実は……」


 俺からの問いに、アミィは目を合わせないまま、喉の奥から声を絞り出すように答える。その顔からは、尋常ならざる自責の念を感じずにはいられなかった。


 でも、その内容は俺からすればなんのことはない話で、要約すると、洗濯物をベランダに干すときに誤ってひっくり返し、その回収、及び再洗濯に時間をとられ、他の家事が俺が帰ってくるまでに間に合わなかったというだけのことだった。


 「私がこんなドジを踏まなかったら、疲れて帰って来たご主人様のことを、お出迎え出来たのに、私、ご主人様のこと、笑顔で、お出迎え、したかった、のにっ……!」


 俺に全てを話し終えたアミィの目から、ポトリ、ポトリと涙が滴り落ちる。アミィは正座したままの膝の上で拳を握り、唇を噛みながら体を震わせる。


 俺の感覚からしたら、正直、アミィがこの程度のミスでそこまで思い詰める必要があるのか全く解らない。でも、アミィからしたらそうじゃないんだろうな。


 多分、アミィは自分のミスで主人の持ち物を汚したことを心底悔いているんだろう。でも、俺としては服が汚れることより、アミィが泣いていることの方が辛いよ。


 それにしても、この泣き顔にせよ、今朝の笑顔にせよ、アミィからは人間以上に人間味を感じてしまう。心の琴線に直に触れられるような、そんな感覚。


 だから、俺はアミィのこの泣き顔にも、今朝の笑顔にも、出来る限り真摯に応えたい。それが自己満足でも構わない、目の前でアミィが泣いている事実だけが俺の真実だ。

 

 俺は体を震わせながら泣き続けるアミィに、出来るだけアミィの気持ちを否定しないように、言葉を選びながら語りかける。


 「確かに、今回アミィがドジを踏んじゃったことは良くないかもしれないけど、あんまり気負いすぎるのもよくないんじゃないかな?」


 そうだ、失敗を省みることは必要だけど、反省も過ぎればそれは未来への歩みを妨げる鎖でしかない。


 「それに、俺としては洗濯物なんか放っておいて、アミィに出迎えてもらったほうが嬉しいんだけどな~。でも、こんなこと言われたらアミィ、困っちゃうのかな~、いや~、どうしたもんか、悩むな~」


 冗談めかして言ってるけど、これも俺の本心、どうせアミィが来る前は自分で洗濯してたんだし。でも、アミィにはアミィなりのプロ意識もあるんだ、そこだけは否定しちゃいけないよな。


 「だからさ、今は失敗を必要以上に後悔するよりも、俺はアミィに今出来ることをして欲しいな。俺がなにを言いたいか、解るかな?」


 これは、俺の願望でもあり、イジワルかもしれないけど、アミィが本当に俺の気持ちを理解してくれているかのテストでもある。


 俺の話を、正座したまま黙って聞いていたアミィ。その目から零れていた涙は既に止まっている。そして、アミィは顔を上げ、俺の目を見ながら答えた。


 「そうですよね。ご主人様の仰ること、みんな正しいと思います。ですから、私、今、私に出来ることをやりますね」


 アミィは、わずかに目尻に残った涙を袖でグシグシと拭って、可愛らしい笑顔を見せながら、俺に言った。


 「お帰りなさいませ、ご主人様っ! 今日もお仕事、お疲れさまでしたっ!」


 「うん、ただいま、アミィ」


 ああ、やっぱり、アミィは根っからのメイドさんだ。こうしてハッキリと伝えれば、意図をしっかり汲んでくれる。

 アミィには口が裂けてもこんなこと言えないけど、俺がアミィに求めているのはメイドとしての仕事より、むしろこっちのほうなんだよな。


 「あ! そうだ、今日はアミィにお土産があるんだった! 仕事の邪魔して悪いんだけど、ちょっとキッチンまで来てくれないかな?」


 「は、はい。でも、ご主人様、今日はお食事はご友人と済ませてこられたのでしたよね?」


 「いいからいいから(本当はよくないんだけど)、おいで、アミィ」


 危ない危ない、アミィの慌てように驚いて忘れかけてた。これだけは明日には回せないんだ、早くしないとせっかくのお土産が台無しになってしまう。


 俺は戸惑っているアミィを連れてキッチンへ向かい、アミィをテーブルに付かせてから、冷蔵庫からお目当てのものを取り出し、それを平皿に乗せてから、アミィの前に置いた。


 「あの、これ、は……!」


 アミィは、目の前に置かれたものを、元々丸い目を更にまんまるに見開いて見つめている。その顔は驚き半分、喜び半分、期待通りの反応だ。


 「いや~、昨日はアミィが寝ちゃったから、まだ言えてなかったことがあってさ。今日、どうせだからお祝いにと思って買ってきたんだ。アミィ、甘いもの好きでしょ?」


 アミィは俺からの問いに、コクリ、コクリと何度もうなずきながら答えてくれた。


 「はいっ! はいっ! 私、甘いもの、大好き、ですっ! 大、好き、ですっ……!」


 アミィの目の前には、俺がケーキ屋で買ってきた、大粒のイチゴが乗った、生クリームたっぷりのショートケーキが一つ。


 そのショートケーキを前に、アミィの目から涙が零れる。でも、その涙はさっきの涙と違って、心なしか輝く宝石のように見えた。


 「それじゃあ、改めて!」


 俺はショートケーキを前に、顔をほころばせながら泣いているアミィに向け、アミィへの歓迎の気持ちを言葉に込める。


 「俺のところに来てくれてありがとう、アミィ。正直、これからのことは全部手探りだけど、これからもよろしくね」


 そんな俺のささやかな歓迎にアミィは笑顔で答えてくれたけど、その笑顔からはぎこちなさも見て取れた。


 「はいっ! こちらこそ、ご主人様のお役にたてるよう精一杯頑張りますので、末永くよろしくお願い致しますね、ご主人様っ!」


 アミィとしては、こうして歓迎をされることは素直に嬉しいんだろうけど、あんなミスの後だから、心から喜べないんだろうな。


 でも、アミィはそのことを決して口にすることなく、美味しそうにショートケーキを食べ進める。俺の方を見て、細かな味の感想を述べながら。


 これまでのやり取りとさっきのアミィの言動から察するに、本当は自分のミスを理由に、ケーキの受け取りを拒否したかっただろうに。


 そんなアミィの心遣いに、俺は少し感動してしまった。もちろん、俺が勝手にそんな風に解釈しているだけかもしれないけど、アミィの気持ちが俺にはそう伝わったのは事実だ。


 こうして、俺とアミィが出会って二日目の夜が更けていく。まだ二日目だけど、俺は既にアミィの魅力に惹かれてしまっている。


 そして、この感情はこれから先の共同生活を経てどんどん強くなるだろう。根拠はないけど、目の前でケーキを頬張るアミィを見ているとそう感じずにはいられない。


 昨日より今日、今日より明日。こんな前向きな気持ちになるのは久しぶりだ。本当に、俺のところにやって来てくれてありがとう、アミィ。

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