第3話 朝ごはんを召し上がれっ!

「……様~」


「う~ん」


 なんだ、誰かが俺の体をしきりに揺すっているぞ。それになんだか聞き慣れない、可愛らしい声もする気が。

 でも、俺の部屋には俺以外は誰もいないはず。ああ、これは夢、夢なんだ。だったら、目覚めるまでこの心地好さに身を任せよう。


「ご~主人様~ 起~きてく~ださ~い」


 その声の主は、さっきまでよりちょっと強めに俺の体を揺らし続ける。その力加減はまるでマッサージを受けているようだ。

 

「あ~、そこ、もうちょっと強めに……」


 そんな俺の声に反応して、俺の体を揺する手がピタリ止まった。なんだ? もうおしまいなのか?

 そして、俺のベッドの上でギシリと音がしたあと、俺の体になにかがもたれかかってくる。そして、その直後。


「ご・主・人・様~、あ・さ・で・す・よ~」


 不意に耳元で奏でられた脳に直接潜り込んでくるような甘いささやき、そして、それと同時に耳元にフッと吹き掛けられた優しい吐息。


「ふぉあっ!?」


 俺はその甘美な二重奏に驚いて、思わず声をあげながら飛び起きてしまった。そして、それに伴い、俺にのしかかっていたなにかが、俺にはね飛ばされてベッドから転げ落ちる。


「きゃあっ!」


 そのなにかは、ベッドからコロコロと寝室の床に転がり落ちて、フローリングの床の上でわちゃわちゃともがく。

 その光景を見て、さすがに俺の脳も完全に覚醒する。ヒラヒラのメイド服に身を包んだ、青い髪のちいさなメイドさん。そうだ、彼女は、俺の新しい家族のアミィだ。


「あ~、そうだった、な」


 そうだった。昨日、俺がアミィにそういう風に俺を起こすように設定したんだった。取り敢えず、この定番のシチュエーションだけは押さえておきたかったんだから仕方ない。


 そして、その効果は絶大だった。毎朝こんな風に起こしてもらえたら、どんなに前の日の疲れが残っていても、一発で目が覚めるってもんよ。


「おはよう、アミィ。ゴメンね、なかなか起きなくて」


「あっ! おはようございます、ご主人様!」


 床に転がったまま元気に目覚めの挨拶をしてくれるアミィ。惜しむらくは、多分笑顔なアミィの顔がこっちからはよく見えないことだ。


「ああっ! こんなみっともない格好でお返事してしまって申し訳ありません! すぐに立ちます、立ちますよっ!」


 そう言いながら、アミィはバタバタと起き上がる。そんなに慌てなくてもいいのに。でも、やっぱりメイドとしては主人に対しての粗相はご法度なんだろうな。

 

 さて、それはともかくとしてだ。昨日はアミィのことに集中してしまったもんだから、夕食も適当にしか食べてなかったんだった。

 ここはアミィのメイドとしての力量を存分に振るってくれたであろう優雅な朝食を楽しむとしよう。


「えっと、アミィ、朝ごはんなんだけどさ、もう準備は出来てるのかな?」


 俺がアミィに尋ねると、アミィの笑顔が一瞬だけ固まり、少しずつ俺の顔から目を逸らし、人差し指をこねながら返事をする。


「あの、その、朝ごはんの準備は出来てます。出来ては、いるのですが……」


 さっきまでの元気はどこへやら、アミィの表情はまるでなにか悪いことをしてしまった子供のようだった。

 そんなアミィの態度にちょっとした違和感をもちつつも、出勤までの時間もそんなに余裕もないし、俺とアミィはそのままキッチンへと移動する。


 移動中もアミィの様子は少しおかしかったけど、ともかく俺は朝食が並べられたテーブルにつき、目の前の光景をじっくりと見る。

 バターが塗られたトーストにスクランブルエッグ、野菜サラダにホットコーヒー。よく言えばオーソドックス、悪く言えばちょっと味気ない朝食だ。


 でも、普段は焼いてもいないパンと牛乳だけで済ませていたんだから、それと比べれば十分すぎる献立だ。

 それだけに、アミィのなんだか申し訳なさそうな表情の謎はますます深まる。仕方ない、ここはアミィに問いただすしかないか。


 でも、俺がアミィに問いただそうとする前に、アミィは自分からその表情の理由について答えてくれた。


「あの、実は、そのスクランブルエッグ、本当はオムレツを作ろうとしていたのですが、うまく玉子が巻けなくて……」


 言われてみればこのスクランブルエッグ、玉子のサイズがまばらで、玉子を巻くのに失敗してやむを得ず玉子を崩した感じだ。

 俺もたまに玉子焼きを焼くのに失敗したらこうしてしまうからよく解る。


「だから、ご主人様に失敗してしまったお料理を食べさせるのが申し訳なくって、それで……」


 なるほどな、合点がいった。アミィとしては本当は作り直したかったんだろうけど、主人の所有物である食材も無駄に出来ない。

 そんな呵責もあって、アミィは自分の失敗を正直に話して、俺からのお叱りを受けようと考えたわけだ。


 さすがはプロのメイドさん、主人に対しての気遣いは素晴らしいものがある。それに料理の失敗だって、初めて立つ台所での調理だし、オムレツは意外と難易度が高い料理だ、プロでも失敗することだってあるさ。


「でもでもっ! お味は大丈夫なんですよっ! ちゃ~んと味見もしましたから、ですから、ですから……」


 アミィはなんとか俺に朝食を食べてもらおうとするけど、その表情はますます曇っていく。

 でも、俺のアミィに感じている気持ちを伝えれば、きっとアミィは笑ってくれる。さあ、俺の主人としての初仕事だ。


「アミィ」


「は、はいっ!」


 俺がアミィを呼ぶと、アミィはビクッと震え、背筋を正す。そんなアミィに向けて、俺は嘘偽りのない自分の気持ちを伝えた。


「アミィ、失敗のこと黙っていてもよかったのに、正直に話してくれてありがとう。でも、俺としてはアミィが朝ごはんを作ってくれたことそのものが嬉しいんだよ。それに、アミィが色々考えて考えて、こうして正直に話してくれたことは俺なりに解ってるつもりだから」


 そう、アンドロイドだろうが、仕事だからだろうが、こうして俺のために食事を用意してくれた事実、これが一番重要だ。


「だからさ、そんな顔しないでよ、アミィ。あ、怒ってるんじゃないよ? ただ、やっぱりさ、せっかく初めてアミィが作ってくれた朝ごはんだから、さっきまで見せてくれてたアミィの笑顔と一緒に食べたいんだ、ダメかな?」


 俺がアミィにお願いすると、アミィはさっきまでかかっていた雲を吹き飛ばすように、笑ってくれた。


「はいっ! そうですよね、私がこんな顔してたら、美味しく朝ごはんが食べられませんもんね、申し訳ございませんでした!」


 この笑顔は、アミィの本心からなのか、俺が命令したから無理矢理笑っているのか。いや、アミィはアンドロイドなんだから、多分後者なんだろうな。

 そもそも、アンドロイドに人間と同じような感情を望んでいる俺がちょっとおかしいのかな。でも、目の前で笑うアミィを見てたらそれを望まずにはいられないよ。


「よしっ! それじゃあ、冷めないうちに食べようかな。堅苦しい話は終わりっ! いただきまーす!」


「はいっ! お召し上がりくださいっ♪」


 わずかに残った重い空気を無理矢理吹き飛ばすように、俺は勢いよく朝食に取りかかる。まずは『味付けは大丈夫』とアミィが豪語したスクランブルエッグを頂こう。


 やや堅めに焼かれた玉子をスプーンですくい、口へと運ぶ。そして、玉子を頬張り、何度か咀嚼をすると、思わぬ衝撃を受けた。

 いや、不味いとか、危険な味がするとかじゃないんだけど、とにかく、このスクランブルエッグ、ものすごく甘い。


「お味はいかがですか?」


 アミィはというと、味そのものには絶対の自信があるのか、鼻息をフンスフンスとさせながら俺の方をそのキラキラ光る青い目で凝視する。


「あ、ああ、こんなスクランブルエッグ、今まで食べたことないよ。ちなみに、レシピとか聞いても、いいかな?」


 嘘は言っていない、こんなスクランブルエッグは食べたことないのは事実だ。アミィはうまく俺の意図通り、俺の問いに一層の笑顔で答える。


「はいっ! と言っても、卵にお砂糖と牛乳、あと、隠し味に少しだけチョコレートを入れるくらいで、そんなに難しいことはしてませんよ?」


 う~ん、なんだか、仮にうまく調理が出来ても、オムレツというよりはトッピングがない分厚いクレープが出来上がるだけな気がするのは俺だけだろうか。


「材料や隠し味の分量については……ヒ・ミ・ツ・ですっ♪」


 アミィは右手でピースサインをニコッとイタズラっ子のような笑みを浮かべる。そこが一番重要な気もするけど、秘密なら仕方ないよな。


 その後も、アミィによる甘味責めは続く。まずはハチミツとバターがたっぷり染み込んだトースト、正直これだけでカロリー的には十分な朝食になりそうだ。


 次に、既に飽和量まで砂糖が溶けてるんじゃないかと疑われるコーヒー。事実、コーヒーを飲み干すとマグカップの底には溶けきっていない砂糖が結構溜まっていた。


 唯一問題なさそうだった野菜サラダ、もとい、フルーツサラダについても、フルーツたっぷりて伏兵としてはなかなか手強かった。一日だけならまだしも、毎日これだと血糖値が爆上がりしてしまうこと受け合いだ。


 この調子だと、夕飯も同じようなことになりそうだ、アミィに口出しするのは悪いけど、少しずつ、やんわりと、糖分少なめの味付けに修正するように伝える努力をしないとな。


 …………


「ごちそうさま、アミィ、美味しかったよ」


「お粗末さまでした♪ この調子でお夕飯も頑張って作りますから、楽しみにしててくださいねっ!」


 まあ、そうなるよな。とはいえ、朝食がこれだと、ボリュームが確実に増えるであろう夕飯は下手をすれば劇物になりかねない。


「あ、その、夕飯なんだけどさ。今日はちょっと友達と食べる予定だから、いいや」


 そう、ひとまずはこれでいい。アミィには本当に申し訳ないけど、俺もそんなに若くはない、血糖値もそれなりに気にしてるんだ。


「そう、ですか? 解りました。それでは、道中お気をつけて、いってらっしゃいませ、ご主人様っ!」


 俺が玄関から出る間際、アミィは手を下腹部に添え、深々と頭を下げる。その所作は俺が知ってるメイドさんそのもの、完璧なものだった。

 そして、数秒後に顔を上げたアミィは笑顔で手を振りながら、俺を見送ってくれた。それはまるで、メイドの仕事のときとは違う、素のアミィの笑顔みたいで、これもまた男心をくすぐる。


「ああ、行ってきます!」


 俺はアミィの方に向けて、アミィと同じように手を振った。そこでふと、昨日の夜、あんなことを考えていたせいか、遠い昔に見た同じような光景が一瞬、頭のなかをよぎった。


 それにしても、やっぱり、朝から見送ってくれる相手がいるっていうのはいいもんだよな。これからは、毎日こうしてアミィに見送ってもらえるんだ。

 こうして、俺はアミィからとびきりの元気をもらって、今日も社畜として働くべく戦場へと旅だった。

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