#8 自然の美しさ(5)

 山は「人類のために建設された学校や大聖堂に見える。学者のために光り輝く資料の宝庫として、労働者のために簡単でやさしいレッスンとして、思想家のために静かな青白い回廊として、崇拝者のために聖なる栄光で満ちている。この星の偉大な大聖堂は、岩のゲート、雲の敷き石、小川と石の聖歌隊、雪の祭壇、絶え間ない星々が横切る紫色の丸天井を持っている」[9]


 これらすべての自然の美しさは、アルフレッド・テニスンの『オイノネの谷(Oenone’s vale)』の街、花、木、川、山のみごとな描写に凝縮されている。


「イダ山には渓谷があり、

 イオニア丘陵にあるどの渓谷よりも美しい。

 蒸気が漂う斜面は、日差しを妨げ、

 腕を伸ばし、松から松へと忍び寄り、

 蛇行しながら、ゆっくりと引き寄せられる。

 両岸は、茂みから草地まで花が豊かに咲き乱れ、

 そのはるか下流では轟音が響き、長い小川が

 クローヴの深い谷を縫い、滝のように海へ落ちていく。

 谷の最深部にガルガロスの峰がそびえ、朝を迎える。

 大きく開いた峡谷の前方にはトロイアと、

 トロイアの王冠であるイーリオンの円柱の城塞が見える」


 大地から目を上げたとき、雲が天に向かうように上へ上へと浮き上がる様子や、「日差しが差し込み、山がその光の柱を屋根のように吊り下げる[10]」様子を見て、を感じたことがない人はいないだろう。


「完全な怠惰と無気力の瞬間、最後に空に目を向けるとしたら、どの現象について語るだろうか。ある人は『雨に濡れた』と言い、別の人は『強い風が吹いている』と言い、別の人は『暖かかった』と言う。昨夜の正午に地平線を覆っていた背の高い白い山脈の形と断崖について、おしゃべりな群衆は教えてくれるだろうか。南から差し込む細い陽光が、その山頂を叩き、青い雨粒となって溶けて朽ちていくのを見た者はいるだろうか。昨夜、陽光が去り、西風が雲を枯葉のように吹き飛ばしたとき、雲の『死の舞踏』を見た者はいるだろうか。すべてが過ぎ去り、目に見えないものに未練はない。あるいは、一瞬でも無気力を振り払うことができるなら、それは単に総体的なものか非日常的なものによってのみである。しかし、崇高でよく発達した最高の人格が顕現するのは、元素のエネルギーが広範囲で荒々しく表れる中ではなく、雹の衝突や嵐の吹きだまりの中でもない」[11]


 真昼の空の青いアーチと、尽きることのない多種多様な雲は、優美で愛らしい。


「目が、美しさを深く感じて、求めてやまない光がある。それは日暮れと夜明けの光、そして地平線のグリーンの空で篝火かがりびのように燃える緋色の雲のかけらだ」[12]


 確かに、夕方の色はすぐに消えてしまうが、夜が訪れると、


「大空は生きているサファイアだ、

 どれほど輝いていることだろう。

 星々の軍勢を率いたヘスペロスが明るく輝き、

 やがて雲に覆われた威厳ある月が昇ると、

 女王らしく比類なき光をあらわして、

 暗闇に銀のマントを投げかけた」[13]



(※)ヘスペロス(Hesperus):ギリシャ神話に登場する「宵の明星」を司る神。または「黄昏、西方」という意味。





 人間は、一般的に「穏やかに澄んでいて、頭上で星が明るく輝く美しい夜」についてよく話すが、自然の野生的な姿——例えば、稲妻がで輝くときの壮大さは、この上なく素晴らしい。


「峰から峰へ、ガラガラと音を立てる岩山で、生きている雷が鳴り響く」[14]


 スコットランドの盲目の英雄詩人オシアン(Ossian)の言葉を借りれば、


「今夜はゴーストが暴風雨の中を駆け抜けていく。

 突風の合間をぬって歌うその声は甘美で、

 別世界の歌である」


 また、天の驚異と美しさは、雲や青空だけにとどまらない。

 私たちの目の前にある天体は、「永遠に崇高な存在であり続けている」。

 巨大で遠い存在でありながら、柔らかな夏の夜には「私たちの魂の耳に届くように、身を乗り出してささやいているみたいだ」[15]


 セネカは、「人は天に向かって目を上げ、何百万もの輝く光を見て、その軌道や回転を観察することは、宇宙の共通善を無視しても、驚嘆と敬意を抱かずにはいられない」と語っている。


 冥界から戻ったダンテが、次のように語った心境に共感しない者はいないだろう。


「視界に、天の美しい光が広がっている。

 洞窟の円形の開口部から夜明けを迎える。

 そして再び星を見ることができた」


 夜、星を眺めていると、静止して動かないように見えるが、実は人間がこれまでに成し遂げた速度をはるかに超える速さで駆け抜けている。


 海の砂のように、天の星は、膨大な数の象徴として使われてきた。

 独自の惑星を持つ星が、およそ7500万個あることがわかっているが、これがすべてではない。

 天のフロアには「明るい金色のパターンがぎっしり嵌め込まれている」だけでなく、絶滅した星も散りばめられている。かつては太陽と同じくらい輝いていたのに、現在は死んで冷たくなっている星だ。ヘルムホルツは「私たちの太陽も1700万年後にそうなるだろう」と語っている。

 さらに、一度に見ることができるものは少ないが、星よりも数が多い彗星がある。星雲もあり、宇宙を循環する無数の小天体があり、時には流星として見えることもある。


 圧倒されるのは天体の数だけではない。大きさや距離もかなり感動的だ。

 海は非常に深くて広く、ほぼ無限に広がっている。私たちがイメージできる範囲ではそうかもしれない。


 しかし、空と比べたら海はどうだろうか。

 私たちの地球は、太陽系では木星や土星の巨大な球体とは比べ物にならないほど小さな存在だ。太陽自体が、太陽系の大きさに比べるとほとんど無に等しい。

 シリウスの大きさは太陽の1000倍、距離は100万倍と計算されている。

 太陽系は宇宙の一部の領域を移動して、世界と世界の間を航行し、太陽系と同じくらい大きく複雑な他の多くのシステムに囲まれている。

 それでもなお、人間は宇宙そのものの限界に達していない。


 光は一秒間に十八万マイル(二十九万キロ)も進むのに、地球に光が到達するまで何年もかかる遠い星々がある。

 さらにその先には、単独では認識できないほど遠く離れた星系があり、最も強力な望遠鏡でさえ、微小な雲か星雲のようにしか見えない。


 科学によって明らかにされた無限—— 一方では無限に大きく、他方では無限に小さい——は、実のところ、真理を弱々しく見せてくれているに過ぎない。人間の想像力をはるかに超えており、尽きることのない喜びと興味の源であるばかりか、人生のささいな悩みや悲しみから救い出してくれる気がする。



【原作の脚注】


[1] Beattie.

[2] Tennyson.

[3] Thomas a Kempis.

[4] Gray.

[5] Shakespeare.

[6] Tennyson.

[7] Trench.

[8] Thomson.

[9] Ruskin.

[10] Shelley.

[11] Ruskin.

[12] Ibid.

[13] Wordsworth.

[14] Swinburne.

[15] Symonds.

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