#8 自然の美しさ(4)
木は、自然と水を結びつけているようだ。
水がなければ景色は完成しない。
頭上の雲は、天空そのものに美しさを加えてくれる。
泉や小川、川や湖は、自然界に生命を与えているように見える。
私たちの祖先は、水そのものが生物だと考えていた。
水は、朝霧の中でも、広い湖の中でも、小川や水たまりの中でも、広い海の中でも、それぞれの雰囲気の中で美しく輝いている。
水は植物を育て、低地を緑で覆い、山を雪で覆う。水は岩を削り、谷を掘る。ほとんどの場合、主に柔らかい雨による作用だが、硬い岩には過ぎ去った時代の氷のノミで溝が刻まれていることもある。
大地に降り注ぐ爽やかな雨が、人間の心に注ぐ影響を軽視できない。
長い仕事の後、湖畔や川辺や海辺に座って楽しむことは、どんなにすばらしいだろう。
「耳元で小さなささやきが聞こえて
足元で小さなさざなみが広がる」[7]
イギリス人は誰でも海を見るのが好きだ。
私たちにとって、海は第二の故郷のようなものだ。
大気そのものを活性化させるのか、海の空気は滋養剤であると格言で言われているように、私たちの血管の中で元気に血を躍らせる。
海は、天空よりも自由と壮大さを強く感じさせる。
マンチェスターのある貧しい女性は、海に連れて行かれたときに「誰でも十分に食べられるものを初めて見た」と言って喜んだ。
海辺はいつも面白い。
過去の歴史を刻む断崖絶壁、潮の満ち引きを待ち、波によって打ち上げられた海草と生物が海岸にあふれ、海鳥の奇妙な鳴き声、呼吸するたびに新鮮な命と健康とエネルギーをもらっている楽しい感覚。
私たちが海から得られるすべてのものを考えると、どれほど過大評価しても足りない。
さらに言えば、海はつねに変化している。
今年の休暇で、イギリスの南海岸にあるライム・リージス(Lyme Regis)を訪れたので、一日のうちに窓から見える景色の移り変わりを説明してみよう。
私たちの居室は小さな芝生に面していて、その先は海に向かって急に落ち込んでいる。約2マイル先の海の向こうにはドーセットシャー海岸の丘、明るい黄色い砂の頂きがあるゴールデンキャップ沿岸と、暗い青色をしたブラックヴェンのリアス式海岸が見える。
(※)ゴールデンキャップ(Golden Cap):イギリス海峡の海岸沿いにある長い丘と崖。
(※)ブラックヴェン(Black Ven):地層が露出している崖。太古、ヨーロッパ最大の土石流が発生した場所で、アンモナイトから恐竜まで化石採集の名所。
朝早くそこへ降りてみると、向かい側から朝日が昇り、穏やかな海上から光の道が部屋の中に差し込んでいた。太陽が高くなるにつれて海全体がきらめき、丘はすみれ色の霧に包まれた。
朝食の時間までにすべてのきらめきが海から消えた。銀が灰に変わるように。
空は青く、綿毛のような雲が点在している。向かいの海岸のなだらかな斜面には、畑や森、採石場、地層の線が見え始めたが、崖はまだ影を落とし、より遠くの岬では次々とゴーストが現れ、それぞれが前のものよりも淡い色をしている。
日が昇るにつれて海は青くなり、対岸の暗い森や緑の草地、黄金の穀物畑がより鮮明になり、崖の細部が徐々に見えてきて、黒い帆を張った漁船が現れ始める。
徐々に日が高くなり、対岸の崖下に黄色い海岸線があらわれると、海の色が変わり、浅瀬は緑に近いターコイズブルーに、深いところは深いバイオレットになる。
それもつかの間、雷雨がやってきた。頭上で風がうなり、雨が木の葉を叩き、向かい側の海岸はまるで嵐に飛ばされないように縮こまっているみたいだ。海は暗く荒れ、あちこちに白馬(白波)が現れる。
しかし、嵐はすぐに収まった。
雲が切れて雨が止み、太陽は再び輝き、丘は再び姿を現す。
草原と木だけでなく、陽光と陰影に分かれている。
空は晴れ、太陽が西に傾き始めると、海は美しく澄んだ紺碧一色に染まり、やがて前方は淡いブルー、後方は濃いバイオレットへ変化し、再び雲が集まり始めると、明るいブルーの海と群青色の深い島々からなる群島になる。
太陽が西に移動すると、向かい側の丘がまた変化する。同じ場所とは思えないほどだ。陽光に照らされていたものが日陰になり、日陰にあったものが陽光に照らされて明るく横たわっている。海は再び青一色となり、小さな風が吹くとソバカスみたいなさざ波が散らつく。
夕方になると太陽が沈むにつれて青白くなり、夕日を受けた崖は深い色を失う。場所によってはほとんどチョークのように白く見えるだけだが、日没時には再び黄金の輝きを放ち、同時に海は冷たい灰色に沈んでいく。
すぐに丘も肌寒くなり、ゴールデン・キャップの丘は最後まで勇敢に持ちこたえ、夕暮れの影が崖や木、穀物畑や草原に広がっていく。
これらは、一日の変化のほんの一部に過ぎない。
同じ日が続くことはほとんどない。ある時は海霧がすべてを覆う。今日まで穏やかに眠っていた海が、ある時は荒れ狂い、湾の存在そのものが自然の力を証明している。
夜もまた、昼と同じように変化する。
ある時は暗闇の天蓋に覆われ、ある時は数百万の光り輝く世界に照らされ、またある時は月光に包まれる。二晩続けて同じ姿を見せることはない。
湖は、海ほど雄大でないにしても、ある面では海よりも愛らしい。
海岸は比較的地面が剥き出しになっているが、湖岸は水際まで豊かな植物に覆われていることが多く、時には水の中まで生い茂っている。木が豊かな島々が点在していることも多い。
緑の草地に縁取られていることもあれば、深い水面から直接そそり立つ岩の岬に囲まれていることもある。
穏やかで明るい水面は、複雑に絡み合う波紋の模様に彩られていたり、湖面に柔らかく反転した「第二の風景」を映し出していることもある。
虹の不思議な光景も水のおかげだ。
「雲の中の神弓」というように、虹はまさに天からの使いだ。
この世のものとは思えないほど、他のものとは違っている。
さまざまなものに色がついているが、虹は色そのものだと思う。
「最初に燃えるようなレッド、次に黄褐色のオレンジ、
その次に美味しそうなイエローが鮮やかにあらわれ、
横では爽やかなグリーンが優しく降り注ぐ。
秋の空を彩るピュアブルーが柔らかく戯れ、
(霜の降りた夕暮れのように)悲しい色合いの
深いインディゴがあらわれて、
屈折した光の最後のきらめきが、
消えゆくバイオレットの中で消えていった」[8]
私たちは、色彩の恵みがいかに素晴らしいかを十分に理解していないと思う。
光は、物体を知覚することを可能にするが、陰影と形によってのみ可能だったかもしれない。人間が色をどのように認識しているかを理解するのは難しい。
それでも、私たちが「美しさ」について語るとき、自然に思い浮かべるものといえば、鳥や蝶、花や貝、宝石、空、虹などだろう。
人間の精神は正確に組み立てられているかもしれないし、最高で崇高な真理を理解できるかもしれないが、頭の中に小さな器官がなければ、人間は音の世界から締め出されていただろう。
自然の音も、音楽の魅力も、友人との会話も失い、永遠の沈黙を宣告されていたはずだ。
そして、紙一枚よりも薄くて指の爪よりも小さな網膜にわずかな変化が生じるだけで、この美しい世界の輝かしい光景、形のみごとな多様性、色の栄光と遊び心、森と野原、湖と丘、海と山などのさまざまな景色、昼と夜の空の輝きも、すべて失われていただろう。
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