転入1-7


「誰かが窓を開けたままにしていたのね。大丈夫?由紀」

「だっ大丈夫、です」


 お姉様のことを惚けて見ていたせいか、心配をかけてしまった。慌ててなんでもないように取り繕って返事をする。なんとも言えない微妙な空気が私たちを包んだ。どうしよう、何か話題を出さなければ。

 そんなことを知ってか知らずか、お姉様は空いていた窓を軽い音を立てながら閉める。かちゃり、と鍵をかける白魚のような手が酷く優雅に見えた。


「どうかなさった?由紀」

「あ、いえ、そのっ。ここは木造の建物だから、どれくらい前に建てられたのかなと」

「突然ね。でもごめんなさいね、私パンフレットを広げたのはもう入学する前のことだから覚えていないの」

「そう、ですか」

「気になるのなら一度開いてみるのもいいかもしれないわ」


さして興味のない話題を出して、割とすぐに終わってしまった。面白みのない子だと判断されたらどうしよう、何かもっと面白い話は……。そう頭を悩ませていると、再びお姉様の足が止まる。道順なんてもうほとんど記憶に残っていない。学校案内とはなんだったのか、と自分の物覚えの悪さに落胆する。これではお姉様にただ迷惑をかけてるだけじゃないか。そう一人心の中でため息をついて、自己嫌悪する。私の良くない癖が頭をもたげ、表に出ようとするのだから本当にどうしようもない。


「由紀、ここがコンピュータ室。最新、とまではいかないけどいいデスクトップが置かれているわ。その奥が図工室よ。一年の間でコンピュータ室に用があるのは授業の時だけだけど、三年になれば嫌でもお世話になるわ」

「お姉様もお世話になってるんですか?」

「私はもう進路が決まってるの。不要よ」

「そうなんですね」


お姉様の話を七割ほど耳から流しながら返答する。私もお姉様のように進路が決まるだろうか、など考えがよぎったもののそれを振り払うように頭を左右に振った。

 それじゃあ次に行きましょう、とお姉様が振り向いて私と目が合う。あの吸い込まれそうなほど美しい黒曜石が長いまつ毛を纏ってキラキラと煌めいている。目を奪われて言葉を失う前に、私はその宝石のような双眸から目を逸らした。


「つっ、次の教室はどちらですか?」

「次はこっちよ。時間的にも次が最後になるかしら」

「え、もう?」

「ええ。ここから教室は少しばかり遠いもの。余裕を持ったほうがいいわ」


 白く細い手首に巻かれた黒い革のベルトの時計を見てお姉様はそう答えると、少しばかり足早に廊下を進む。ヒラヒラと揺れるスカートが、マタドールの布のように目を引いた。

 パタパタと酷く静かな廊下に足音が響く。外と切り離されたように感じる閉塞感が私の心により緊張感をもたらす。外は植えられた木々がサワサワと動いて初夏の風を運んでいるのが見えた。


「ここが今日最後の部屋ね。音楽室よ。その奥が音楽準備室。基本的にここは声楽部や吹奏楽部が使っているわね」

「音楽室……」

「基本的にどの教室も鍵はかかっているのだけど、一声かければ先生も許可してくれるわ」


じゃあ戻りましょうか、というお姉様に頷いて教室のある棟に戻る。特に会話もなく、ただお姉様の後をついて行って渡り廊下に出た時だった。

 ――それは、目を見張るほどに力強い鮮烈な赤だった。

ブレザーの制服は前が苦しいのか開けられ、ワイシャツのボタンは一つ二つ開放している。ポニーテールでまとめられた赤の髪は誰の目も引くほど力強い美しさがあった。

その人は、よお、とお姉様に軽薄に声をかける。


「何かようかしら」

「つれないな、あんなに酷く遊んだ仲だってのに」

「授業の話でしょう?私は妹を教室に送り届けたいの、退いてちょうだい」

「ほーお?『人形の方』『笹の君』の妹なあ……」

「あ、えっと」

「由紀、気にしなくていいわ。この人はただあなたと遊びたいだけだから」

「おいおい、仲良くしようって思っての行動だぜ?そこまで言わなくてもいいんじゃないか?」


剣呑な雰囲気。まさにそれがこの場と包んでいる言葉にぴったりだった。何か言わないと、と思っても喉がひっついたかのように声が出ない。どうしようか悩んでいる時に、タイミングよく予鈴が鳴った。助かった、そう心から安堵する。


「貴女も出席日数が危ないんでしょう?早くお行きなさいな」

「……仕方ないな。次は絶対紹介してくれよ?」

「善処します」

「冷たいねぇ」


カラカラと笑うその赤い人は踵を返して教室のある棟へと戻っていった。ほ、吐息を吐いてお姉様に声をかけようと手を伸ばす。あの人は一体誰なんだろう?瞼の裏にあの鮮烈な赤が蘇る。この学校では珍しい、制服を着崩した変わった人。


「お姉様、あの方は一体」

「それよりも、先に授業を受けましょう。由紀」

「は、はあ」


有無を言わさぬお姉様の声に閉口するしかなかった。

 ――授業に集中できるだろうか、私は。

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