鎖のような愛

 風呂場に連れて行かれたボクは、裸にされて拘束された。

 両手は結束バンドで固定され、足はビニールの紐で縛られる。


「お入りください」


 足を持ち上げられ、顔が浸からないように、ゆっくりと入っていく。


「冷たっ!」


 浴槽に張られていたのは、水だった。

 昼は暖かいけど、夜はまだ肌寒い季節である。


 足の指先が触れ、沈み込んでいく度に、下から体温が奪われていく。

 心臓を温めるために、胸には両腕をくっつけ、縮こまるようにして入水した。


 本当は怖くて泣きたかったけど、それどころではない。


 ボクが浴槽の中で動けずにいると、安城さんは一度風呂場から出て行った。


「はぁ、……はぁぁぁ……っ、……くっ、……さむ……」


 じっと固まっていると、再び安城さんが戻ってくる。

 両手には何かを持っていた。


 歩く度に、ジャラジャラと音がして、嫌な予感がした。


「忠告したはずです。ランは加減ができません」


 すると、躊躇いなく、ボクの浸かっている浴槽へ氷を入れ出した。

 この行為一つで、安城さんが本気だというのが伝わってくる。


 大量の氷を入れられたことで、水の温度は一気に低下していく。

 時間が経てば経つほど、体は冷えて、本当に死にそうだった。


 歯をカチカチと震わせて、さらに縮こまる。


 安城さんは浴槽の前で屈んで、ボクを見ていた。

 何の感情もない。

 生気のない瞳のままで、目から入り込んで、ボクの中を覗き込んでいるみたいだ。


 たまらずに、ボクは膝を抱えて、俯いてしまう。


「あ、あ、安城さん。ごめん。ごめんなさい」

「はい」

「もう、……許してください」

「ダメです」

「いつもの、優しい。……くっ、安城さんに戻って」


 安城さんは黙った。


 早く、氷風呂から出たい。

 その一心で顔を上げて、安城さんを見つめる。


「いつもの、とは。どういう意味でしょうか?」

「……やさ、しくて。お母さんみたいな……うっ……」


 頬に温かな感触があった。

 安城さんの手だ。


 この状況では人肌の温度がとても恋しい。

 逃すまいと、頬と肩で挟み込み、ボクは小さな温もりにしがみ付いた。


「くす、……ふふ……お母さん……。あ、ははは」

「安城さん?」


 見たこともない顔だった。

 歯を見せて、にっこりとした笑顔。

 なのに、見ているとゾッとしてくる。


「ええ。レン様が望むなら、母になりましょう」


 笑顔を見ていて、段々と気づいてくる。


 安城さんは、


 ただ、それを認めた瞬間、自分の中で今まで築き上げてきたものが崩れそうだった。

 安城さんに対しての信頼だったり、短い間ながらも勉強を教えてもらった思い出。一緒に寝た時の温もり。


 全てに対して、「嘘だ」と突きつけてしまう。


 怖い。

 怖くて、何も言えない。


「レン様は、お互いを知らないと交際できないんですよね」


 ボクの座っていたベンチと、安城さんの座っていたベンチは、距離があったはずだ。


 ボクの姿を見る事はできても、声は聞こえない。

 なのに、堤さんとの会話を間近で聞いていたかのように、今日話していた、ボクの言葉に答えてくる。


「ランを知ってください」

「う、うぅ、安城さん」


 早く出して。

 懇願する思いをのせ、真っ直ぐに見つめる。

 安城さんは笑った。


「ランは、なんです」


 何の事だろう。


「学生時代から、ずっと。女の人だけが好きでした。親からは気持ち悪がられ、友達はいなくなって、ばい菌扱いされました。氷風呂に入れば、悪い病気が治ると、父に入れさせられたんですよ」


 妖しい瞳の奥には、明らかに憎悪があった。

 良い思い出話じゃないことは分かる。


「ずっと、気持ち悪がられてきた結果。ランは男も女も嫌いになりました。ですが、人並みの人生は歩みたいんですよ。形だけでも。男の人と結婚をして、家庭を持ち、人並みに。……人並みに」


 震える歯の間に指が差し込まれた。


「ですが、諦めて、この館の主人に尽くし、どこかのタイミングで死のうと考えていました。そう。死にたかった。……なのに」


 指がスライドし、頬を摘ままれる。


「あなたが来たんです」


 うっとりするような、妖しい笑顔が近づいてくる。


「ランは、……、異性に濡れることができました」


 耳を撫でられ、首筋を片手で温められ、鼻と鼻がくっつく。


「ランの望んだものが、ここにあるんです。ずっと、ほしかったものが。あなたは魔性だ。その魔性に心から感謝しています。だって、ようやく人を好きになれたんですから。異性を。人を好きだという気持ちを。やっと。……やっと!」


 温かい吐息が耳に吹きかけられた。


「絶対に……逃がしませんよ……」


 風呂場には安城さんの笑い声が反響した。

 本当に楽しげで、幸せに満ちた笑い声だった。


「う、う、じゃあ、なんで。こんな事するんですか? ボクが、嫌いだから? 怒ってるんですか?」

「ハッキリと言葉にしないと、伝わりませんか」


 唇を擦り合わせ、間近でボクの目を見つめてくる。


「あなたを愛しています。レン様を手に入れるためなら、何だってしますよ」


 内面を潰されそうな告白だった。

 鎖に巻かれたような気持ちになり、ボクは言葉を失う。


「出してほしいですか?」


 限界だったボクはすぐに頷いた。


「でしたら、レン様からキスをしてください」


 それで助かるなら、とボクは首を伸ばす。


「う、うぐっ」


 色気も何もないキスだった。

 口をくっ付けるだけのキス。

 そのままでいると、口に触れた柔らかな肉が形を変えていく。


 唇を通して、安城さんの笑みを感じた。

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