好きとか嫌いとか

 移動教室の時、俺を目で追う人は少なくない。昔から体格に恵まれていたのもあり、学年もよく間違われていた。だから、そんなに気にしたことはなかった。

「ケンくんだ、こんにちは!」

「こんにちは、巧くなったか?」

 引き戸の向こうにある神棚へ一礼し、身体を起こして足を踏み入れる。稽古を終えたばかりの小学生達は、身体がデカい俺を羨望の眼差しで見ていた。夏でも冷たい道場の床は、ただ歩くだけでもその度に音が響き、足は自然と前へと進む。

 放課後、文芸部の部室に顔を出して、その日書いた短歌や詩だけを部長に預ける。いい顔はされないが、きちんとひとつの作品として他の部員と同じように扱われるのは、純粋な評価なのだろう。

 デカいのに文芸部、とよくヒソヒソと言われているのは知っている。イメージから程遠いかもしれないが、文系で、小説が好きで、なんなら授業中に部誌に載せるものを書くくらいには、字が好きだ。きちんとした剣道部があれば、勿論そっちを選んだ。なんとなくで選んでしまった自称進学校では、剣道部なんてただのチャンバラでしかなかった。

「よーす」

「おう。今日は早いな」

 剣道着に着替えている小学生の頃からの仲間の隣に荷物を置き、バックパックから紺の剣道着と袴を出す。稽古が終わった小学生達が帰る中、反対に中学、高校生が道場へと入ってくる。バタバタとこちらへ向かってくる足音が響いた。

「清水清水清水!課題やった?」

「どれのだよ」

 着替え終わりストレッチをしていると、唯一同じ高校に通う友人である柳田晴樹が俺に大声で話し掛ける。どうやら、課題を見せろ、ということらしい。

「英語!」

「辞書引けよ」

 大体書いてあるだろ、と少し低い位置にある顔を見遣れば、不機嫌そうに眉根を寄せる。

「辞書の文法の見方わかんねぇの!」

「いや、調べろよ。ケータイあるだろ」

 同い年だが、そこはかとなく現代っ子らしい発言をする友人に苦笑する。

「お前はなんでもよぉ、こう、薄情だよなぁ」

「努力しない奴は助けねぇよ」

「ひでぇよなぁ」

 減るもんじゃねぇだろ、と言って友人は不貞腐れたが、そこまで深く考える質でもない友人はさっさと着替えを済ませた。それぞれ垂を腰元に巻き、きつく縛っている。小学生の見送りを終え、階下にある自販機で買ったらしい缶コーヒーを片手に袴姿の師範が道場へと戻って来た。神棚に一礼し、顔を上げてすぐにこちらを見る。

「全員いるか?」

「はい、よろしくお願いします!」

 胴の紐を交差させながら返事をして、竹刀を片手に整列した。

「素振り」

 野郎の野太い声が道場いっぱいに響き、稽古が始まった。いち、に、と師範の声に合わせて竹刀を振り、姿勢や肘の位置を細かく直されながら、止めの声が掛かるまで腕と足を動かし続けるた。

 師範の勇ましい声が響き、全員が竹刀を止める。すぐさまそれぞれの面と小手が並んだ壁側へと走る。体力や筋力が乏しい奴は、すでに肩で息をしていた。

「早く面つけろよ」

「はい」

 いいだけ素振りをし、足の動きや剣先の高さ、振りの速さを注意された後、ここからまた負荷を増して本格的な稽古が始まる。すでに軽く汗が滴っているが、そんなものには構わず手拭いを頭に巻き、面に頭を突っ込んだ。手早く面紐を絞めて後頭部でキツく結び、竹刀を脇に挟み小手をはめながら列に戻ると、師範が前に来いと、俺を見ながら床を数度竹刀で叩いた。

「はい」

「構えろ」

 段位で明らかに敵う相手ではない。体格では俺が勝るとしても、剣道は体格が全てではない。慣れた上段ではなく中段に構えると、普段をよく知る師範は鼻で笑う。

「なんだ?健太郎、ビビってるのか?本気で来い」

「……はい」

 溜息を吐いて首を軽く振り、身体から余計な力を抜こうと両肩を回す。俺と師範のやり取りを見ている他の門下生は明らかに緊張していた。

「お願いします」

 稽古の中で、たまに八つ当たりのような掛かり稽古を師範から吹っ掛けられる。大体は鍔迫り合いになった途端に身体を吹っ飛ばしてくるのだが、何が原因で師範にそうさせるのかが全く理解できない。師範が静かに剣先を下げた。

気迫に満ちた師範の声に応え、肺にある空気を思い切り吐き出す。

--ああ、嫌だ。

 この人の、師範の考えていることが分からない。なんのためにするのか、やってどうなるのか。無駄な怪我なんて負いたくない。

 互いに動かず、ただ剣先と足捌きを見守り、間合いを決して詰めようとせず、飛び込みもしない。

「消極的だな」

 構えと間合いを崩さず、詰めずにいる俺へ師範が吐き捨てる。

 本当に、嫌だ。

 再び肺に空気を取り込み、吐き出した。剣先を振り下ろすと同時に踏み込み、獲りにいく。

振り下ろした竹刀は空を切り、代わりに喉元に衝撃が走った。堪らず息を詰まらせる俺を無視して、八つ当たりのような掛かり稽古は一方的に終わりを告げる。

「お前は考えすぎだ」

 ひとり蹲踞をして竹刀を納めた。大きな溜息を吐きながら門下生が対面して並んでいる中へ戻り、竹刀を構える。鶴の一声に呼応して、門下生は気合の声を出した。

「今日もやられてたな」

「たまにはお前が狙われろよ」

「清水はでけぇから、負かした時の優越感が段違いなんだろな」

「だからって、」

 突はねぇよ、と呟きながら汗に濡れた道着を脱ぐ。頭に巻いていた手拭いはグッショリと汗で重みを増し、小手の中は蒸れている。十年近く嗅いでいるから慣れたが、それでもやはり、この独特なニオイは好きではない。スッと静かに目の前に手が現れ、反射的にそれから顔を逸らす。

「お前、柳田サイテー」

 ベルトを締めてバックパックに袴と剣道着を突っ込む。ほんの悪戯心でやったに過ぎない柳田は、それを見て慌てて身支度を整えた。

「ウソウソ、ウソだから!ゴメンって!」

「絶対ぇ課題貸さねぇ」

「ゴメンって!ホント!なぁ、清水!」

 柳田を置いて道場を出ようと、ドスドスと足音を響かせる。神棚に一礼したところで柳田は追い付いたが、それを無視して階段を駆け降りた。ケラケラと笑う門下生の声が聞こえた。

「なぁ!そんな怒んなよ!」

「うるせぇなぁ」

 肩を掴む手を振り解きながら、一礼しろよ、と柳田に吐き捨てる。離れた手は俺を追わず、ガシャンと柳田が担いでいるエナメルバッグの中身が音を立てた。それを置き去りにし、さっさとその場から離れる。

 小手を外した後の手の臭いとか、道着や防具の臭いは嫌いではない。昔からずっと、殆ど毎日嗅いできたし、どちらかというと達成感に近いものを得る。だから、どうということはないのだが、なんとなく、今日は少しだけ不快感を覚えただけだ。柳田だから、だろうか。

 道場を出て歩いていると、バタバタと走る音が響いた。

「なぁ!置いてくこたぁねぇだろ!」

「うるさい。道端で騒ぐなよ」

 月と申し訳程度の街灯が照らす中を大股に歩く。俺より背の低い柳田はやはり脚の長さも違うのか、少し小走りになりながらそれについて来る。

「なぁ、そんな怒ることか?なんで怒ってんだよ」

「しつけぇな。今日は機嫌悪いだけ。静かにしとけよ」

「なんでそんな機嫌悪いんだよ」

 いつものことだろ、と柳田も不機嫌そうに呟いた。

「あ、ハルじゃん。ハルー!」

 背後から柳田を呼んでいるらしい声がした。柳田もそれに気が付き、足を止めて振り返ると、声の主を見付けて明るい表情になり手を振った。

「おお、侑司。今帰り?」

「ファミレス帰り!部の奴らで寄り道した」

「ファミレスいいなぁ」

 知らない奴だ、と顔を向けずに判断してさっさとその場を離れようとする。

「清水?」

 が、名前を呼ばれて反射的に足が止まる。振り返り、認識して心臓がやけに大きな音を立てた。

「八古。なに?」

 柳田と、侑司と呼ばれた八古の隣に立つ野球部員は、なんだなんだと俺と八古を交互に見る。

「え、清水……知り合い?」

「知り合いっつーか、」

「あ!お前、文芸部の」

 八古に俺の部活を教えたのはこいつか、と理解した。正確には、柳田がこいつに教え、それを八古は又聞きしたのだろう。

「トモダチ、だよな」

「そんな大層なもんじゃねぇだろ」

「へぇ、珍しいな。お前ガッコーにトモダチほぼいねぇじゃん」

 うるせぇ、と柳田に吐き捨てるが本人は全く気にしていない。

「二人は?友達?こんなとこで何してんの?」

 純粋な目で俺を真っ直ぐに見て、八古のチームメイトは俺と柳田に問い掛ける。

「俺と清水はこれから帰るとこ」

「何帰り?」

「道場」

 そこの、と少し遠くにある、ほんの数分前までいた道場を柳田とふたり指を差す。

「道場?なんかあんの?」

「俺ら剣道やってんだわ」

「剣道?」

 柳田が答えると、八古が反応する。それに目を丸くすると、八古は頭の天辺から爪先まで俺を見て、何かを納得したらしく頷いた。

「通りで、そのガタイか」

「ああ、まぁ。つか、言ってなかったっけ?」

「今日初めて話して聞いてる訳なくね」

「ハハ、確かに」

 緩く笑って言うと、八古は不服そうに眉根を寄せて俺を見上げる。グラウンドで見たのよりずっと豊かな表情に、口角が上がった。

 八古は、多分俺のことが嫌いだ。だからこそ、グラウンドでは俺を突き放し、関わりたくない、と顔に書いて遠去けようとした。それが面白くてわざと距離を詰めたのだが、なぜだろう。それ以上の興味が湧く。

 なぜ、俺を嫌うのか。

 今日初めて話をして、今日初めて名前を知った俺を、なぜそんなにも毛嫌いするのか。不思議で仕方ない。

「見学くらいなら来てもいいよ」

「誰が行くかよ」

 吐き捨て、俺から視線を外す八古に思わず笑ってしまう。柳田は俺を訝しげに見て、苦笑した。

「なんでもいいけど、トモダチなら仲良くしろよな」

「いいんだよ。取材対象だから」

「取材?……ああ、次の題材か」

 そ、と短く答え、八古のチームメイトに目を遣る。八古と同じか、少し小さいくらいだが、俺の視線に気付き小首を傾げた。

「君、いつも八古と一緒にいるよね」

「え、ああ、うん」

 そうだけど、と歯切れ悪く答えるも彼は、特に聞かれて困ることではない、と割り切っているらしく明るく応えた。そんな彼も、いつも俺を見るうちの一人だ。大多数は数度見れば慣れて俺を見なくなる。だが、八古と彼だけは飽きずに毎回、俺を見つける度に未だに俺を凝視する。だから、顔だけは覚えていた。

「いつも見てるよね、俺のこと」

「ガタイいいから羨ましくてさ。俺、髙橋。ハルとはクラス同じで、野球部。セカンドな」

「柳田と同じなら八組か」

「そうそう。つか、ハルもスポーツやってたのな」

 明るくて、快活で。八古とは正反対にも見える性格の髙橋は、俺の視線に不快感を示さず笑顔で応えた。

「まぁな。侑司は俺のことなんだと思ってたんだよ」

「ホームルーム終わったらすぐ帰るから、帰宅部のエースだと思ってたわ」

 所謂、根明。楽しそうに生きている奴の代表とも言えるような明るさを、髙橋は持っている。それは柳田も同じだが、柳田とは違い髙橋の場合は爽やかだ。

「柳田、髙橋のこと見習えば」

「は?どゆこと?」

「ウザすぎるってこと」

「ただの悪口じゃねぇか」

 柳田を一瞥し、再び髙橋を見る。なるほど、確かに野球部の彼らと比べると、俺だけでなく柳田もガタイが良くゴツい。骨格の違いか、鍛え方の違いか。

「今度、見に来たら。」

「いいな。アレだ、清水がコテンパンにやられてるの見れるぞ」

「なんだそれ」

「師範は清水がお気に入りだもんな」

「語弊」

 柳田を肘で突き、ニヤニヤと笑っているその顔を睨む。あれは“お気に入り”にすることではない。

「お気に入りは間違ってねぇよ。あの人、いっつも筋いい人狙ってたろ」

「それは去年までだろ。俺はセンスなんかねぇよ」

「なに、お前強いの?」

 街灯を背に立つ八古が口を開く。が、すぐに口元に手を添え、言ってしまった、とでも言うように俺から目を逸らした。

「八古が思ってるよりは強くねぇよ。県で入賞できるかできないか」

 そんなとこ、と薄く笑んで応える。柳田はそれに不満そうな顔をするが、何も言わず、ただ俺を見た。

「県で入賞ならすげーじゃん!ハルは?強いん?」

「俺はフツーだよ。良くも悪くも」

 臍を曲げたように吐き捨て、柳田はポケットからスマホを取り出し画面を見た。

「やべ、俺そろそろ帰るわ」

「あ、今何時?」

 柳田が焦ったように言うと、髙橋が辺りを見渡した。ある一点でその目が止まり、ゲ、と濁った音を溢した。

「やばい、母ちゃんマジギレするやつだ」

「そんなギリギリまで外出してたのかよ」

 髙橋は門限があるらしく、柳田と同様に顔を青くした。柳田がいつも曲がる角まで走っていく。髙橋も同じ方向らしく、ハルもこっちかよ、と笑う声が響いた。

「八古は?相方に置いてかれてるけど」

「俺ここだから」

「……は?」

 八古の言葉で目を上げる。その指が差しているのは、中学の頃に柳田と、どんな奴が住んでいるのか、と話していた玄関前に庭のある豪邸だった。

「んじゃ」

「あ、おう」

 もう少し、話せると思っていた。こんなにピシャリと終わるとは思いもしなかった俺は呆気に取られ、ただ応えるしかなかった。八古が門をくぐり、どんどんと進んでいく。その背中がドアに隠され、重々しい音を立ててドアが閉められた。溜息をひとつ吐き、ひとり家までの道を辿る。街灯に掻き消される程細やかな星明かりだけが、俺を見守っていた。

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