羨望を嫌う。
ユキハラチウヤ
知ったところで
授業が終わり、騒がしくなる教室。薄目を開ければ、目の前にはセカンドを守るチームメイトがいた。
「クラス違ぇのに来んの早すぎ」
「終わって速攻ダッシュした」
「最後とか絶対ぇ聞いてねぇだろ」
当たり前、と白い歯を見せながらソイツは昼飯が詰め込まれた弁当箱を開ける。周りの奴らも同じように弁当を広げたり、或いは購買や学食へ赴いたりと忙しい。
「マサは?またパン?」
「そうだけど?パンのコスパは神だぞ」
「腹持ち悪ぃからパス」
エナメルバッグから焼きそばパンを出し、袋を開け頬張る。
「分けて食えばいいだろ」
「何個も食ってたらコスパもクソもねぇよ」
「そんな時にはチョコスティックパン。」
くだらない話に花を、なんて綺麗なものではないが、軽い調子で言葉を交わす。付き合いが長いからか、コイツとは話が尽きない。たまに疲れて投げ槍になるが、コイツはそれすらも拾う。部活ではないのだから、話くらいエラーを連発しろ、と何度も願った。
「課題やった?」
「やったとしてもお前には貸さねぇよ」
「酷ぇな、裏切り者め」
「いつ加担したんだよ」
味方だって信じてたのによ、と何かの映画で使われそうな言葉を吐いて、コイツは笑う。
「バカじゃねぇの」
小さく笑い、吐き捨てるように言うが、ソイツはそれでも笑って飯を掻き込んでいた。
廊下側から数えて3列目、後ろから2つ目の、なんとも微妙な席。人に囲まれているし、うるさいし。窓も遠い。ひとつ救いなのは、陽射しが遠い分、ペンを持った時、ノートに自分の手が影を落とさないことだけ。
「アイツ、ほんっとガタイ良いよな」
「え?ああ、でもアイツ運動部じゃねぇんだろ?壮行式で見ねぇし」
移動教室の時、たまにすれ違うガタイのいいヤツ。ソイツが丁度教室の前を通ったようで、心底羨ましそうに目の前のチームメイトは嘆息した。
「文芸部らしいよ。なんだっけな、短歌?川柳?そういうの書いてるらしい」
「まぁ、文芸部はそういう部活だからな」
俺には分からない面白さがあるらしいその部活に熱を注ぐソイツの見た目は、文化部の人間のそれではなかった。
高く上がった白球を凝視する。
「オーラァイ」
右手に嵌めたグローブを頭上に翳し、それを捕らえようと開く。パンッと革と革がぶつかり、弾けるような音と共に重さが加わった。手首を痛めないよう左手をグローブに添え、走者を確認しボールを握り直す。
--ツーアウトで二塁にランナー。もう走ってる。三塁、踏んだ。もうひとつ獲れば、チェンジ。
「バックホーム」
キャッチャーの掠れた声が耳に飛び込んできた。左腕の無駄な力を抜き、思い切り踏み込む。右脚全体にしっかりと体重を乗せ、腕と連動するように身体を起て、振り抜いた。
俺の手から離れたボールは真っ直ぐ、キャッチャーの構えたグローブに吸い込まれていく。が、突っ込んできたランナーにより、キャッチャーは吹っ飛び、倒れた。ボールは更に奥へ飛んで視界から消える。
「大丈夫か⁉︎」
焦ったように審判として立っていた先輩が声を上げる。内野とベンチにいたヤツらも駆け寄った。
「大丈夫かな?」
「まぁ、あの人フィジカル強ぇし」
大丈夫じゃね、とライトのヤツと話しながら、外野の俺はその場で待つ。少しして、顧問が紅白戦を再開するよう促すのと、得点板が捲られたのが見えた。
「惜しかったな」
「な。間に合ってりゃゲッツーだった」
肩をグルグルと回しながら各々ポジションへ戻る。グランドに沿って張られているフェンスをふと見ると、一方的に見慣れている影があった。
「ありがとうございました!」
結局、あのあとも打線は繋がらず、長打も出ず、俺がいた紅組は負けた。
「にしても、マサの強肩羨ましいわ」
「まぁ、一応肩トレしてっからな」
先輩方だけでミーティングをしている間、グラウンドを均しながら少し後ろを歩く同級生と話す。だいぶ暑くなり、もう少しで7月になろうというこの季節。俺たちが甲子園球場へ行くことはない。
「来年は行きてぇよなぁ」
「春があんだろ」
「あぁ、そうな」
均し終わったグラウンドから、エナメルバッグが並んでいるベンチへと歩み寄る。グローブを磨こうとタオルを出し、艶を取り戻すためにそれで包んだ。
「お前ホントに見かけによらねぇよな」
「どういうことだよ」
「意外と丁寧だって言ってんの」
「あっそ」
褒めてんのに、と不服そうなソイツを無視して磨き続ける。
グローブに付いていた砂や埃がきれいになった頃、目の前が少し暗くなった。
「なぁ、」
声を掛けられ、反射的に顔を上げる。目の前にいたのは、ガタイのいいアイツだった。話したことはないし、セカンドのヤツが言うに、コイツは文芸部に所属している。それしか知らない。あの体格で、と、勿体ない、とずっと思って見ていたその身体が、目の前にある。
「……俺?」
そ、と俺ではないどこかを見ながら呟き、外方を向く。
身長は、多分百八十はある。肩も胸板も、下半身もしっかりと筋肉が付いていて、見ただけでスポーツマンだと分かる。制服のズボンなんて、太ももがはち切れそうだ。
「なに?」
「ノーバウンドのライナー、凄かったね」
「ああ、まぁ」
何となく、褒められているが話し難い。いつも一方的に見ている手前、それが余計に居心地を悪くさせた。
「んで、勘違いかもしれないけどさ」
ドッドッ、とこの後続けられるであろう言葉を予測して、心臓が早鐘を打つ。
「いっつも、俺のこと見てない?」
やはり続いた心当たりしかないその問いに、答えようにも言い辛く、視線をグローブとそれを包むタオルに落としたまま、ぴたりと動けなくなる。なにも、悪いことなんてしていないのに。
「なんで俺のこと見てんの?」
無言を肯定と取られ、更に言葉が続く。が、ガタイがいい割に口調は柔らかく、圧もない。声は少し掠れていて今すぐ飴玉をくれてやりたくなる。
「ガタイいいよな、って。羨ましいだけ」
誤魔化そうとしても無理だと察し、開き直り、それだけだ、とまたも一方的に突き放す。それしかないのだから、そうするしかない。
「あ、へぇ……そういうこと」
よく分からない反応の後、理解したのか、していないのか、指先で頬を掻きながら、更に外方を向いた。
「気分悪かったよな。すまん。見ねぇように気を付けるわ」
じゃあな、とグローブをエナメルバッグに入れながら立ち上がり、帰ろうとチームメイト達がいる方へ身体を向ける。数歩歩いたところで強くはないが、いきなり左腕を引かれた。反射的に身体が強張る。
「ちょ、何」
「え、ごめん」
利き腕を引かれたことで無意識に語気が強くなる。俺よりタッパのある、ガタイのいいソイツが少し小さく見えた。
「ごめん、俺肩壊すわけにはいかねぇんだわ。」
「左利きなのか。」
ごめん、と言いながらすっと俺の腕から手を離す。別に痛みはないし、そこまで怒ることでもない。反射的に、無意識に語気が強くなった。
「いや、俺もごめん。知らねぇなら仕方ないよな」
「あー、普段意識してないから、その」
「いいよ、大丈夫」
なんとなく、このまま終わらせてはならない気がして咄嗟に返す。今の今まで無愛想だったのだから、言葉が出てきただけマシだろう。
「そうだ、同級生だよな。クラスは?」
「四組。お前、文芸部なんだってな。」
クラスは知らねぇけど、と伸びてもいない爪をカリカリと擦り合わせながら言えば、ソイツはまた口を開く。
「俺は七組。部活、知ってんだ」
「まぁ、人から聞いた。じゃあな」
身体を前へ向けて再び歩き出す。腕を引かれることはなかったが、あの掠れ声が鼓膜を撫でた。
「え、なぁ。俺野球部を題材にすることにしたから、しばらく出入りするよ」
「そうかよ」
「貴重な同級生だし、仲良くしようや」
「何でだよ」
「トモダチは多くても怒られないだろ。名前は?俺、清水健太郎」
親しくするつもりはない、と態度で示したはずだが、何かが清水にそうさせないらしく、名前を聞かれた。教えるか悩み、減るものではない、と割り切って口を開く。
「八古匡弘」
「八古ね。よろしく」
おう、と清水の目を見ずに言う。視界の端に見えた清水も俺を見ておらず、何だこれ、と一瞬思う。が、なんとなく、清水が笑ったような気がした。
「マサ、帰らねぇの?」
セカンドのアイツ--髙橋侑司の声に応えて、今度こそ清水に背を向けた。
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